歴史文化
大和路の弘法大師【6】 益田池堤(橿原市白橿町1丁目) - 完成碑文を自ら揮毫
平安時代、橿原ニュータウン周辺にかんがい用として造られたと考えられている益田池。益田池堤は高取川の流れをせき止めるために約200メートルにわたって築かれた。
池が完成した際の碑文「大和州益田池碑銘并序」は弘法大師空海が揮毫(きごう)した。池の築造には弟子の真円らが携わり、弘法大師が改修した讃岐(香川県)の満濃池の技術が取り入れられたともされる。
益田池堤の幅は約30メートル、高さは約8メートル。益田池児童公園にはその一部、長さ約55メートル分が姿をとどめる。近くの丘陵上にある石造物「益田の岩船」は弘法大師が揮毫した石碑の台石とみる説もあり、土木技術と書に秀でた弘法大師をしのぶことができる。
(竹内稔人)