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街頭をゆく 田中泰延 安堵町紀行(前篇)富本憲吉篇

 

 

東京ドーム100個の広さの、といっても広いのか狭いのかよくわかりませんが、人口7,401人の町(令和元年8月1日現在)。

 

安堵町。「あんどちょう」…すみません。名前を聞くのも初めてです。もちろん行くのも初めてです。

 

しかし、3つの川が交わるその地は、歴史も、偉人たちも交わる地でした。

 

 

 

おひさしぶりです田中泰延です

 

『街頭をゆく』…例によってどこかで見たような題名で始まりました。司馬遼太郎大先生の大名作、『街道をゆく』となんとか間違えて読んでもらえないかと画策したこのコラム。

 

この紀行文は、あの偉大な『街道をゆく』とは何が違うかと言いますと、歴史を伝える街道をつぶさに観察し、思索しながら歩くのではなく、たんに知らない場所まで行って、なんとなく街頭をぶらつくという、あまり苦労のないレポートだということです。

 

 

こんにちは。田中泰延(たなか ひろのぶ)と申します。

 

最近、著書を上梓しまして、『読みたいことを、書けばいい。』という本なんですが、これが予想に反して売れております。現在6万部。

 

 

昨年、一昨年と奈良新聞からお呼びがかかり、これまで、奈良県の2つの自治体を訪ねたんですが、まさか自分が本を出すとは思いませんでした。

 

いままで伺った自治体はこちら。

 

第1回『街頭をゆく 橿原市紀行』

 

街頭をゆく 橿原市紀行(1) – 橿原神宮編

 

 

街頭をゆく 橿原市紀行(2) – 今井町編

 

 

街頭をゆく 橿原市紀行(3) – 香具山〜藤原宮跡編

 

 

第2回『街頭をゆく 東吉野村紀行』

 

 

 

 

さて、今回は安堵町にお伺いします。

 

 

安堵町へ…行かない

 

 

ちなみに今回訪問する奈良県生駒郡安堵町へは、まず近鉄電車で奈良へ向かいました。安堵町はここにあります。

 

奈良県安堵町位置図 ©Shogakukan 作図/小学館クリエイティブ)

 

 

広大な奈良県のなかの、まさにひとつの町といった感じですね。

 

近鉄奈良駅から安堵町までは車でほんの20分と聞いていました。一路、現地へ向かうのかと思いきや…

 

 

私を乗せた車は奈良県庁の向かい、

 

 

こちら、奈良県立美術館に着きました。すぐ安堵町へは行かないのか。私、段取りがよくわかってません。ひょっとして根本的になにか大きな間違いをしているのだろうか。徐々に不安になってきました。

 

 

うむ。なにか展覧会をやっているらしい。

 

 

せんとくんがいる!

 

 

いや、だいじなのはそっちじゃなかったです。

 

 

こちら、富本憲吉に関する企画展が開催中だったんです。

 

 

お出迎えくださったのは奈良県立美術館 主任学芸員の飯島礼子さん。

 

 

 

この方が富本憲吉さん。飯島さん、私、不案内なもので、いろいろ教えていただけますと幸いです。

富本憲吉は安堵町出身で、重要無形文化財技術保持者、いわゆる「人間国宝」に認定された陶芸家です。

ああ、安堵町生まれの方なんですね。それでまず私をここへ。

 

 

富本憲吉は偉大な陶芸家であると同時に、デザイナーであり、絵や書もたしなむ文人的な面もある人でした。その創作物も多岐に渡っています。今回の企画展では、芸術家としての生涯を大きく「1.生い立ち」「2.大和時代」「3.東京時代」「4.京都時代」と年代に沿って展示しています。

 

「1.生い立ち」

 

富本憲吉 書「後世可恐」附、雛図(書1893年/雛図1904年) 奈良県立美術館蔵

 

「後世おそるべし」と書いてありますね。

 

これは富本憲吉、数え年8歳(※実年齢7歳)の書ですね。

 

8歳!「のちのち大物になるぞ」みたいな意味ですね。自分が偉くなることを予言してたのか憲吉少年は。

 

これはもともと孔子の『論語』に出てくる言葉で、富本家は代々漢籍に親しむ、知識人家庭だということがわかりますね。憲吉は東京美術学校、現在の東京藝大に入学します。

 

富本憲吉 「音楽家住宅設計図案」(1908年) 東京藝術大学蔵

 

こ、これは、建築の図面じゃないですか。

 

図案科でデザイン・建築学を学んだ富本は卒業制作としてこの住宅図案を仕上げて、ロンドンに留学します。ロンドンではエジプト美術のスケッチを遺しています。

 

富本憲吉 ヴィクトリア・アンドアルバート美術館所蔵品スケッチ(1909年頃) 文化庁蔵

 

留学したんですね。

 

富本憲吉 ヴィクトリア・アンドアルバート美術館所蔵品スケッチ(1909年頃) 文化庁蔵

 

さらには5ヶ月間、インド視察もして、イスラム美術や仏教美術も学びます。

 

明治時代の人、すごいな。

 

この展示では、生い立ちから学びの時期までを丁寧に紐解くことで、富本憲吉がのちになぜあそこまで多岐にわたる才能を発揮したかを伝えようとしています。

 

伏線だらけの大河ドラマみたいですね。子役から始まるやつ。

 

 

「2.大和時代」

 

帰国した富本憲吉は、日本に住んでいたイギリス人陶芸家、バーナード・リーチと知り合います。リーチはのちに陶芸家として活躍する人です。

 

 

バーナード・リーチ!ぼく、自宅から歩いて5分のリーガロイヤルホテルの「リーチバー」によく行くんですよ。

 

 

Copyright © RIHGA ROYAL HOTELS. All Rights Reserved.

 

日本の民藝を遺そうとしたリーチの着想をもとに、吉田五十八が設計したバーですね。

 

朝11時からやってるわ、椅子は木工だから長居すると尻は痛いわ、一切のBGMはないわで、すごいバーなんですけど、特別な空間ですよね。ぼくはとくにカクテルの、

 

…。

 

リーチバーの話はもういいですね、はい。

 

富本憲吉 バーナード・リーチ宛書簡(1915年) 京都市立芸術大学芸術資料館蔵

 

この頃、楽焼を始めていたリーチに影響を受けて、富本は故郷、安堵村の生家裏に窯をつくり、陶芸に踏み出します。

 

バーナード・リーチ 楽焼飾壷(1914年) 京都国立近代美術館蔵

 

これは当時、リーチが富本のために焼いた楽焼。こっちは、後年、富本が造った楽焼です。

 

富本憲吉 楽焼 彫草花模様(1922年) 奈良県立美術館蔵

 

作品を見ているだけで、友情を感じますね。

 

 

富本は「うぶすな」、つまり生まれ育った地の安堵で、この場所で採れる「土」を活かして多くの作品をつくりました。

 

富本憲吉 楽焼 草花模様 蓋付壷(1914年) 奈良県立美術館蔵

 

また、考え抜いて「模様から模様をつくらず」という結論に達し、昔からある伝統的な柄やデザインではなく、自分がいま見ている自然や形をモチーフに自分の模様を創り出すことを追求しました。

 

富本憲吉 磁器 染付線彫柳模様 円陶板(1921年) 奈良県立美術館蔵

 

 

実際に目の前にある安堵の木や川や道が、くりかえしモチーフとなる「模様」になっていくんですね。

 

「昔からあるし、柄ってこんなもんだろう」というステレオタイプを捨てたわけですね。オリジナリティだなあ。

 

「3.東京時代」

 

 

これは、すごい。陶器にうといぼくでも、何時間でも見ていられる。

 

富本憲吉 白磁 八角壷(1932年) 奈良県立美術館蔵

 

富本は子供達に教育を受けさせるに当たって、東京へ移住します。すでに陶芸で名を知られていた彼はやがて帝国芸術院会員になるなど公的な役職にも就きます。また制作の面では白磁と染付を精力的に創作します。

 

富本憲吉 磁器 染付絵変皿/10枚組(1933年) 京都国立近代美術館蔵

 

この1933年の「染付絵変皿 10枚組」なんか、新しく手がけたテクニックと、前から提唱してる「見たものを模様にする」の集大成ですね〜。

 

 

さらに、富本は石川県の九谷へ行き「色絵」の技法を学びます。

 

富本憲吉 色絵蝶模様 飾箱(1941年) 個人蔵

 

とどまることを知らない人なんですね。どんどん、変化していく。

 

富本憲吉 色絵円に花模様 飾箱(1941年) 奈良県立美術館蔵

 

これなんか、今、どこかのお菓子ブランドがそのまま箱にしてほしい。めっちゃ欲しい。

 

そして東京時代の代表的な仕事として、「四弁花模様」を創りあげます。

 

テイカカズラ

 

もともと5弁の花であるテイカカズラを連続した模様にするために四弁に変えてパターンを作ったんです。

 

 

富本憲吉 色絵赤更紗模様 皿(1941年) 大阪市立美術館蔵

 

 

 

手で緻密に描いていっているわけですよね。

 

この更紗模様の繰り返すリズム、あのインドで見聞を広めた時代の経験が生きているんじゃないでしょうか。

 

富本憲吉 色絵四弁花更紗模様 香炉(1944年) 奈良県立美術館蔵

 

生い立ちから学生時代、修行時代と展示を辿ってきたから感じる、まるで映画のクライマックスを観ているような気持ちです。

 

富本憲吉 色絵四弁花更紗模様 六角飾莒(1945年) 奈良県立美術館蔵

 

 

「4.京都時代」

 

富本憲吉 赤地金銀彩羊歯模様 蓋付飾壺(1953年) 奈良県立美術館蔵

 

これは、陶器にうといぼくでもみたことある!富本憲吉だったのか。

 

創作のクライマックスはまだ続くんですね。富本は、第二次大戦後、いちど安堵に戻り、そして京都で京都市立美術大学教授となります。そこで羊歯模様と金銀彩に取り組みます。

 

 

 

この羊歯(シダ)が連続する模様を考えついた時、富本は研究室を通りがかった大学の学生や教員に「できたぞ!見てみろ、こうして描くのだ」と興奮気味に語ったといいます。

 

富本憲吉 赤地金銀彩羊歯模様 大飾皿(1960年) 奈良県立美術館蔵

 

 

よく見ると、赤地を一度描いて、その上に金で羊歯を描いていますね。

 

金銀彩は赤地の陶器に施すと定着しやすいので、赤地に金銀の配色が基本です。ですが、富本は白地の磁器にまず赤で絵付けをしてからその上に金銀を描く手法を発明したんです。そうして白地に金銀の模様のある作品を作りました。

 

こうして変化に富む生涯の創作活動の中で、ついに人間国宝となったんですね。

 

 

いやあ、ぼく、いつも「一番ダメな芸術鑑賞は、ただ観て、ふーん、綺麗だなって思うこと」って言ってるんですよ。その芸術が生み出された歴史や文脈を学んで、自分の中の知的好奇心が満たされた時に、目の前の芸術がほんとうに輝いて見える。お話を伺いながら富本憲吉の創作を知ることができたのは、最高の経験です。飯島礼子さん、ありがとうございました。

 

 

(実は飯島さん、3時間半一度も座らず、すべての展示作品を息継ぎなしで解説してくださいました。その熱量に打ちのめされました)

 

 

企画展 富本憲吉入門は9月1日までの開催です。

http://www.pref.nara.jp/11842.htm(奈良県立美術館)

 

https://www.artagenda.jp/exhibition/detail/3727(ARTAgendA)

 

 

 

陶器にうとい私でも、富本憲吉についてまったく知らなかった私でも、いきなりおもしろかったですから、ぜひ行ってみてください。

 

 

そして、にわかにファンになった富本憲吉を生み、その陶芸の土を生んだ安堵町にそろそろ行ってみたい…。

 

行きましょう。

 

 

そういうあなたは、安堵町総合政策課 課長の富井文枝さん!!いや、いま名刺交換したばっかりですが。

 

 

 

 

次回、

 

ついに姿を現す西本安博町長!

 

 

 

 

安堵が誇る今村3傑!!

 

 

 

 

富本憲吉が見た安堵町の世界!!

 

 

 

 

襲いかかる西郷隆盛!!

 

 

 

 

謎の巨大生命体!!

 

 

 

 

安堵町のすべての秘密が明らかになる後篇にご期待ください。

 

 

 

街頭をゆく安堵町紀行(後篇)につづく

 
 
 

 
田中泰延

 

1969年大阪生まれ
株式会社 電通でコピーライターとして24年間勤務ののち、2016年に退職。ライターとして活動を始める。
世界のクリエイティブニュース「街角のクリエイティブ」で連載する映画評論「田中泰延のエンタメ新党」は200万ページビューを突破。

 

2019年、初の著書『読みたいことを、書けばいい。』を刊行。

 

Twitter:@hironobutnk

 

[広告主]安堵町

[編集・撮影]奈良新聞デジタル編集部

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