街頭をゆく 田中泰延 橿原市紀行(1) - 橿原神宮編
「紐帯は、相互の信頼と敬愛とによりて結ばれ」…この言葉はスポーツ大会の選手宣誓でしょうか。それとも結婚式のスピーチ?
『街頭をゆく』…のっけからどこかで見たような題名で始まりました。ですが、親しみのある名前というのはだいじですね。そもそも、司馬遼太郎先生の名前自体、どこかで見たような名前、つまり偉大な歴史著述家、司馬遷の名前をもじっているのです。
「司馬遷には遼かに遠く及ばないが、太郎の国、日本で歴史を語る者」というのが「司馬遼太郎」というペンネームの由来というのは有名です。そんなふたりの偉大な司馬さんに対し、私など「遼司馬遼三郎」と名乗りたいぐらいなのですが、自分の名前で書かせていただきます。
はじめまして。田中泰延(たなかひろのぶ)と申します。今回、奈良新聞社と橿原市からのお誘いで、丸一日、橿原市のさまざまな魅力を教えてもらい、いろいろ見て回って考えるという機会をいただきました。全3回、お付き合いいただけると幸いです。
この紀行文は、あの偉大な『街道をゆく』とは題名は似ているけど何が違うかと言いますと、歴史を伝える街道をつぶさに観察し、思索しながら歩くのではなく、たんに電車で知らない場所まで行って、なんとなく街頭に降りたつという、あまり苦労のないレポートだということです。
ちなみに今回訪問する奈良県橿原市へは、近鉄電車で向かいました。橿原市はここにあります。
出典:橿原市
近畿二府四県のちょうど中心部に位置していますね。各地からのアクセスは非常に便利です。
出典:かしはら探訪ナビ
私が住んでいるのは大阪市内なのですが、この日は近鉄に乗り、「大和八木」駅に降り立ちました。
ものすごく面白くない写真ですが、これは私が史上初めて橿原市に足を踏み入れた模様です。駅を出るとさっそく橿原市役所 魅力創造部 観光政策課のみなさまが出迎えてくださいました。
す、すると、おお???つ? そのユニフォームには英語で
紀元前660年
すべてがこの地から始まる
と書いてあるじゃないですか。いや、千年の都・京都! とか平城京遷都1300年! とか、世界最古の木造建築法隆寺・建立1400年! とかは聞きますけど、2680年も前の話がこの橿原に? そして全てが始まる? とはどういうことでしょうか。
私たちはその謎を探るべくアマゾンの奥地…ではなく、とってもわかりやすい地図をもとに橿原神宮に向かいました。
さて。今回この記事を書くにあたって、去る3月2日、まずは橿原市へ赴き、いわゆる取材をしたわけですが、取材当日の模様をリアルタイムでお伝えする試みとして「ツイッター」を利用しました。
このように、私は逐一ハッシュタグ「 #橿原市 」をつけて報告していたのですが、すると徐々に話題になり、なんと、その日の「ツイッタートレンド」に挙がることになりました。ツイッター社は、多くの人がその日、書き込んだり、閲覧している語句を「トレンド」として紹介します。
このように、たったひとりの取材でも、ウェブ上のソーシャルネットワーキングサービスを通じて地方の魅力を発信することで、多くの人の話題にしてもらえたことは、私にとっても発見でした。
そんななかで、「 #橿原市 」をつけてツイッターでつぶやいてくれる方も増えたのですが、意外だったのは「“橿原”が読めない」という声の多さでした。なるほど関西以外の人には特に難読地名かもしれません。橿原市のPRは、まずそこからですね。ここで声を大にして言っておきましょう。
かしはらし、です。
橿原神宮・一の鳥居に着きました。小学生のような感想ですが、お…大きい。そこから表参道を進むと、「神橋」と二の鳥居があります。
ここからは橿原神宮 御鎮座百三十年祭事業 事務局長の新鞍知規さんにお話を伺いながら歩くことにしましょう。
田中
境内に、橋がかかっているんですね。
新鞍
はい。外の世界からさらに一段階神聖な場所へ向けて、水の流れが隔てているんですね。
なるほど水の流れ・・・しかし、さりげなすぎっ!
外拝殿に向かう前に、手水舎で手を洗い、口を濯ぎ、心身を清め てください。
ここでも、水で清めるんですね。
見落としがちなのは、五番の「柄杓の柄を洗う」ですね。
僕が触った部分を最後に清めるというね。
この場所から、日本という国がはじまったんです。橿原神宮がお祀りしているのは、第一代神武天皇と、皇后の媛蹈韛五十鈴媛命(ひめたたらいすずひめ)です。
神武天皇。
そしてこの場所は、神武天皇が52歳のときに、この橿原宮の地で践祚(せんそ)、つまり即位された地なんです。
するとあの橿原市役所のユニフォームは!
紀元前660年、すべてがこの地から始まった
と書いてあったのは、そういう意味だったんですね。橿原市は日本が始まった場所なんだ。
空が、広いでしょう?
この空の広さはすごいですね。
空が広く作られています。設計なんです。
設計!
神社、つまり「おやしろ」には物語があるんです。少しの説明でこのおやしろにはどんな神様がいらっしゃるか、わかる設計になっています。
そこも設計なんですね。
神武天皇様は、天つ神でもあり、国つ神でもあって、神代と人代のはざま、天と地のはざまの奥におわします。なので、空と地が両方感じられるように、境内全体から見える空の量が計算されています。
ここに立つと、ストーリーがわかるんですね。
神道は感じるものなんです。「偶像ではなく空間でわかる」ようになっているんです。
僕、ちょうど先週、東京で明治神宮にもお参りしたんです。そこにもいろんなストーリーを感じる設計があるはずですね。また訪れたいと思いました。
明治神宮に詣でられたばかりとはご縁がありますね。この橿原神宮は、明治時代に「ぜひ神武天皇の神宮を」という国民の声を受けた明治天皇によって創建されたんです。
ああ、そういう風に呼ばれる感じって、不思議だなあ。別にオカルトっぽい話じゃなくって、ふつうに「ご縁」ですよね。
自然に頭が下がります。
おっと、なるべく「正中」をさけてお進みください。
そうでした。まんなかは神様が通られる道。
田中さんは、ここに至るまでに川を越えて、
(…さっきの川か)(ちっさ)
階段を越えて、たどり着かれました。神様に会うためには困難を越えないといけないんです。
(あんまり苦労してないけど、たどり着けてよかった)
二礼し、二拍手し、一礼したところで、権禰宜の伊藤英佑さんに、本殿へと続く内拝殿の廻廊へとご案内いただきました。
柱がたくさんあるでしょう。これは「八紘一宇」を象徴するんです。ほんとうは「八紘為宇」と書きます。
はっこういう。
八紘とは、8つの民族、これは多くの人々のことをさします。それらの人たちのいえとなす、平和にそれぞれの土地の個性を大切にしながら、 日本という国家をまとめあげたのが神武天皇だと思うんです。
どうしてもまつろわぬ者も、まぁ、いましたよね。逆らう人たちが。
神武天皇さまはそれらの人たちとは戦われて国を統一されましたが、その土地土地の考え方をつぶさない、その土地の神様も祀る、これが八百万の考え方です。
「大御宝(おおみたから)」という言葉があります。天皇の立場からすると、わたしたち国民が、宝なんです。
廻廊から見上げる空。何時間でも眺めていたい景色、そして何時間でもお話を伺っていたいひとときでした。
神社に来ると山のようにありがた?いグッズを買い込んでしまう私です。
私にとって、神社は、お願い事をするところではなくて、感謝と決意を申し上げる場所。今日まで元気に生きてこられて、明日からもなにか仕事をすることに思いをはせる場所です。親への感謝とも重なります。
今日は、私が立っているこの国がうまれた場所、橿原神宮に来るご縁があって、そしてたくさんのお話を伺えてほんとうにうれしく思いました。
いつでもいいんです。ちょっとお疲れになった時、お茶でも飲みたい時、心をやすめたい時、そんなときも気軽に、どうぞ足をお運びください。
ふらっと伺っていんですね。
ええ。おやしろは、みんなにとって、そんな場所なんです。
新鞍さん、伊藤さん、ありがとうございました。またお伺いいたします。
さて、おなかがすきました。お昼ごはんです。なんとわたしは朝から朝ごはんしか食べていません。これではおなかがすくはずだ。午後からは江戸時代の街並みがそのまま残る奇跡の町「今井町」を見学しないといけないのに、橿原市よ、飢える私をどうしてくれるのか。
そこで今井町の一角にあるこちら、カフェ「ハックベリー」にズームイン。
代表の成田弘樹さんが出迎えてくださいました。
古い建物の中はまさにカフェ! といったお洒落な店内。
聞くと、建物を極力生かしたまま、何ヶ月もかけてこつこつと内装を作りあげたのだとか。そして名物ランチは、行列のできるこちら、
アボカド“極”丼。スライスされたアボカドが大量に盛り付けられ、サイコロのようなベーコンに甘いタレが絡み、さらには温泉卵が。書いててまた食べたくなってきましたよ。
「おいしいですか?」
「って、そのままですね」
では、『街頭をゆく 橿原市紀行(1)』は、次回、江戸時代の街並みがそのまま残る奇跡の町「今井町」を歩く『橿原市紀行(2)』、そして藤原宮跡と天香具山を巡る『橿原市紀行(3)』に続きます。乞うご期待ください。
魅力いっぱいの橿原市観光情報は「かしはら探訪ナビ」まで。
[ライター・撮影]
田中泰延(たなかひろのぶ) 1969年大阪生まれ 株式会社 電通でコピーライターとして24年間勤務ののち、2016年に退職。ライターとして活動を始める。 世界のクリエイティブニュース「街角のクリエイティブ」で連載する映画評論「田中泰延のエンタメ新党」は150万ページビューを突破。 Twitter:@hironobutnk
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[編集・撮影]奈良新聞デジタル編集部