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街頭をゆく 田中泰延 橿原市紀行(3) - 香具山〜藤原宮跡編

 

 

橿原市 ここは時空の ミルフィーユ

 

いきなり五七五ではじまりました。こんにちは。田中泰延です。ひろのぶと読んでください。奈良新聞社と橿原市からのお誘いで、橿原市のさまざまな魅力を教えてもらい、いろいろ見て回って考えるというこの連載。

ついに最終回となりました。

 

奈良県橿原市(かしはらし)は地図上ではここにあります。

 

出典:橿原市公式HP

 

第1回と第2回の記事はこちらです。

 

 

2670年前の日本建国の由緒に基づいて明治時代に創建された橿原神宮。

 

 

そしてざっと450年前から150年前、安土桃山時代から江戸時代にかけての街並みを今に残す今井町。

 

 

…簡単に言いますけど、その間だけでも2500年ぐらいの時間の流れがあります。その時間がひとつの橿原市の中に重層的に横たわっているわけです。

 

今回はさらに、その間の1320年前の出来事、西暦694年からここが日本の首都だった時の史跡を巡りましょう。藤原宮跡です。

 

橿原市はこのように、歴史が何層にも重なった、ミルフィーユのような地域なのです。

 

https://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/thumb/7/7e/Mille-feuille_01.jpg/800px-Mille-feuille_01.jpg

出典:Wikipedia

 

が、藤原宮跡に行くその前に。

 

山登り、行きますよ。

 へっ?

我をして 苦行にいざなう 橿原市職員

 

思わず七五調になるくらい私が苦手なことを提案してくるのは、やっぱり橿原市役所 魅力創造部 観光政策課の梅野愛さん。

 

 

 

がんばりましょう。

平らな山ならいいんですけどね。

そんなに高くありません。登るのは、香具山です。「香久山」とも書き、天香具山(あまのかぐやま)とも呼ばれています。あちらです。標高152メートルです

 

 

手前の山? なかなか平たいね。楽勝ですね。行きますか。

 

 

 

 

 

ハァ、ハァ、登ってみると…

 

 

 

楽勝ではなかった。

 

 

ですが、荒行の果て、ついに私はやりました。この山を制したのです。

 

 

エイドリアーン!!

 

香具山に 登ってみれば 歴史を一望

息も絶え絶えですが七五調です。そうです。香具山といえば数々の和歌に彩られた山なのです。山頂にも歌碑がありました。

 

 

大和には 郡山あれど とりよろふ 天の香具山 登り立ち 国見をすれば 国原は 煙立つ立つ 海原は 鷗立つ立つ うまし国そ 蜻蛉島 大和の国は

 

…万葉集巻一の第二歌、有名な舒明天皇の歌ですね。「天皇香具山に登りて望国したまふ時の御製歌」と書かれています。大意としては

 

「大和には たくさん山があるけれど 特に立派な天の香具山 登り見れば 大地から かまどで飯炊く煙立ち 海面には カモメ飛び立つ姿あり 美しい国 良い国だ このあきづしま 大和の国は」

 

という感じでしょうか。

 

 

しかし、舒明帝が見たであろう景色を見下ろしますと…海原にカモメ?!

 

…奈良県のどこに海があるんじゃい!!

 

これは昔から議論がありまして、想像上の海だとか、池があったはずでカモメはカモのことだとか、いやいや、天皇はここではなく九州のことを歌ったのだとか、いろんな推理が飛び交っております。

 

そもそも「国見」じたい、非常に形式を重視した天皇の行為です。「日本書紀 巻第三 神武天皇」には、…ここから載せる資料は時間がかかるので読み飛ばしていただいて結構なので、小さい字で書きますね。

 

卅有一年夏四月乙酉朔、皇輿巡幸。因登腋上嗛間丘而廻望國狀曰「姸哉乎、國之獲矣。姸哉、此云鞅奈珥夜。雖內木錦之眞迮國、猶如蜻蛉之臀呫焉。」由是、始有秋津洲之號也。昔、伊弉諾尊目此國曰「日本者浦安國、細戈千足國、磯輪上秀眞國。秀眞國、此云袍圖莽句爾。」復、大己貴大神目之曰「玉牆內國。」及至饒速日命乘天磐船而翔行太虛也、睨是鄕而降之、故因目之曰「虛空見日本國矣。」

 

とあります。ここ香具山から見える畝傍山(うねびやま)のふもとで日本を建国した第一代神武天皇は、現在の

奈良県御所市付近で国見をして、「日本はよい国だ。狭い国ではあるけれど、蜻蛉(あきづ=トンボ)が連なって飛ぶような山々に囲まれた地だ」と言うんですね。ここから「蜻蛉島(あきづしま)」が「大和」の枕詞になります。

 

また小さい字で書きますけど時代は下って「日本書紀 巻第十一 仁德天皇」には

 

四年春二月己未朔甲子、詔群臣曰「朕登高臺以遠望之、烟氣不起於域中、以爲、百姓既貧而家無炊者。朕聞、古聖王之世、人々誦詠德之音、毎家有康哉之歌。今朕臨億兆、於茲三年、頌音不聆、炊烟轉踈、卽知、五穀不登、百姓窮乏也。封畿之內、尚有不給者、況乎畿外諸國耶。」

三月己丑朔己酉、詔曰「自今以後至于三年、悉除課役、以息百姓之苦。」是日始之、黼衣絓履、不弊盡不更爲也、温飯煖羹、不酸鯘不易也、削心約志、以從事乎無爲。是以、宮垣崩而不造、茅茨壞以不葺、風雨入隙而沾衣被、星辰漏壞而露床蓐。是後、風雨順時、五穀豐穰、三稔之間、百姓富寛、頌德既滿、炊烟亦繁。

 

とあります。第十六代仁德天皇も国見をしたところ、百姓の家のかまどが「煙立つ立つ」していない。こりゃいかんと三年間税を免除したら経済が立ち直ったと、それで仁徳がある天皇さまだということで、みんなで世界一大きな墓を今の大阪府堺市につくったというお話です。

 

これらの先例を踏まえた上で、第三十四代舒明天皇は「あきづしま」や「煙」を歌に込めたんですね。

 

 

香具山の山頂からは畝傍山(うねびやま)が綺麗に見えます。そうです。香具山、畝傍山、耳成山がいわゆる「大和三山」です。藤原京はこの三山をいだく形で建設されました。

 

 

https://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/d/db/Fujiwarakyo2.gif

 

出典:Wikipedia

 

ここでも歌が思い出されます。さきほどの舒明天皇の子、中大兄皇子、のちの第三十八代天智天皇ですね。

 

香具山は  畝傍を愛しと  耳成と  相争ひき  神代より  かくにあるらし  古も  しかにあれこそ  うつせみも  妻を争ふらしき 

 

大意としては、「香具山は 畝傍山を妻にしようと 耳成山と争ったそうだ 神代からそうであったらしい 昔からそうなのだから いまでも畝傍山を妻にしようと 耳成山と争っている」…呑気な歌のようですが、天智天皇と実弟の天武天皇が一人の女性、額田王を奪い合ったとする三角関係に結びつける解釈もあり、また、天皇家と蘇我氏の権力闘争の比喩だという見方もあります。

 

そうです。中大兄皇子といえば大化の改新。義務教育で必ず習いますね。皇子と中臣鎌足は、西暦645年、専横を極めた豪族・蘇我入鹿を斬りました。これが「乙巳の変」です。そして律令を強化し、天皇の政治を確立したという改革、「大化の改新」が始まります。

 

https://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/3/32/Irukaansatsuzu.jpg

出典:Wikipedia

 

入鹿の首…飛びすぎやろ…

 

中臣鎌足は藤原の姓を賜り、その後1,000年以上に渡って一族は繁栄します。みなさんおなじみの苗字、「佐藤さん」や加藤、伊藤、近藤、遠藤、斉藤、みな藤原鎌足の血筋、もしくはそれにあやかって藤の一字を使った姓です。いやあ、どこかの段階で政治的軍事的に勝利を収めるというのは、その後何百万人、何千万人という子孫を残す結果になるんですよね。

 

そして大化の改新ののち、日本は激動の時代を迎えます。激動の時代が来ることがわかっていたからこそ、急速な改革が必要だったのかもしれません。

 

西暦645年  乙巳の変

      蘇我氏滅亡 『天皇記』『国記』焼ける

      大化の改新  はじまる

 

西暦663年  白村江の戦い

      新羅と唐の連合軍と、百済と日本の救援軍が朝鮮半島で戦い、

      日本は敗れる

 

西暦667年  大津宮に遷都

 

西暦668年  中大兄皇子が即位、天智天皇となる

 

西暦672年  壬申の乱

      皇位の後継ぎで争いとなり、

      天智天皇の弟、大海人皇子が勝ち、天武天皇となる

 

西暦694年  天智天皇の娘、持統天皇が藤原京に遷都

 

西暦701年  大宝律令制定

 

 

西暦710年  平城京に遷都

 

西暦712年 『古事記』ができる

 

西暦720年 『日本書紀』ができる

 

ここらへんの古代史は、日本の歴史でもいちばん議論が激しいところといってもいいかもしれません。歴史学者はいうに及ばず、坂口安吾や黒岩重吾といった小説家もさまざまな説を提唱しています。

 

いわく

 

「蘇我入鹿は天皇を名乗ったから滅ぼされたのではないか」

 

「焼けてしまったとされる『天皇記』『国記』にはいま我々が習う日本史とは全然違う事実が書いてあったのではないか」

 

「『古事記』と『日本書紀』にはいろいろ事実と違うことが書いてあるのではないか」

 

などなど、侃侃諤諤状態です。まぁ、日本においては「古代史ミステリー」などと言いますが、中国の歴史からいうとグローバル国家・大唐帝国の時代であり、もはや「中世」といってもよい7世紀〜8世紀です。あらゆることが記録されていた時代に、日本についてはわからないことだらけというのが不思議で不自然なので、虫食いのような資料を前に、人々が推理を働かせるのも無理はありません。

 

ただ、緊張する諸外国との関係の中で、日本はひとつの国家として確固たるものになろうとしたのは確かで、そこでついに、いま見渡す橿原市の大地に壮大な都が建設されることになるのです。

 

藤原京 壮大なのに 知名度いまひとつ

もはや字余りなのかなんなのか適当すぎますが

 

 

香具山から見晴らす景色にいまいちど目をこらすと…

 

ばばーん。

 

http://www.city.kashihara.nara.jp/kankou/own_kankou/kankou/fujiwara/images/reconstrust_cg1.jpg

出典:かしはら探索ナビ

 

在りし日の都が浮かび上がってきます。

 

どどーん。

 

 

http://www.city.kashihara.nara.jp/kankou/own_kankou/kankou/fujiwara/images/k032_01.jpg

出典:かしはら探索ナビ

 

 

西暦にして694年、第四十一代持統天皇は大和三山を結んだ三角形の真ん中に「藤原宮」を建設しました。

 

「藤原京」は現代の呼び名でして、『日本書紀』には「新益京」(あらましのみやこ)」と書かれています。筆者が香具山の山頂から見渡す土地は広大です。なんと、このあとにできた、みなさんがよく知る平城京よりも巨大な都だったのです。なのに、「710年・なんと見事な平城京」「794年・なくよウグイス平安京」のような語呂合わせがないのが問題です。694年、うーん、「ロックしようぜ藤原京」、これでいきましょう。ギンギンだぜ!夜露死苦!仏恥義理!

 

http://www.city.kashihara.nara.jp/kankou/own_kankou/kankou/fujiwara/documents/fujiwara_cg.jpg

出典:かしはら探索ナビ

 

ロックは置いといて、また歌が思い出されます。万葉集、巻一の二八にある歌です。

 

春過ぎて夏来るらし 白たへの 衣干したり 天の香具山

 

『百人一首』 に収められた時には

 

衣干すてふ 天の香具山

 

とすこし変えられていますね。子供の頃この 衣干すてふ のところの読み方、「ころもほすちょ〜」「ころもほすちょ〜」と覚えませんでしたか?

 

万葉集の時代の元の歌は「洗濯物が干してある」と素朴な感じだったのが、時代は下って平安時代、優雅貴族マン、藤原定家のディレクションが入ると「昔は洗濯物を干してたんだってね」とキザな変更が加えられています。

 

これはこの藤原京を造った持統天皇自身の歌です。山の緑と白い衣との対比が初夏の訪れを表していて、見事にカラフルなのですが、実際に天香具山を見上げて、登ってみると、教科書で習ったことが身体で理解できた気がして、なんともうれしい気分になりました。

 

 

そう、大昔に、わけがわからないまま学んだ歴史。その地に立つことで、初めて単なる知識が自分の一部になる。具体的な時間と空間を心が把握する。その喜びを掴んだ瞬間、この『街頭をゆく』という試みの意味が、自分自身で理解できました。

 

それは、うれしい、という気持ちです。そして学ぶということは、そのとき意味がわからなくても、無駄ではない。なにかのきっかけで人生に「うれしい」を不意にもたらしてくれます。なにしろ、この歌を習ってから40年後に山登りしてうれしい思いをしたのですから。

 

ジオラマや ああジオラマや ジオラマや

 

山を下り、橿原市藤原京資料室に伺います。するとやっぱり…

 

 

ジオラマ!!

 

 

大好きジオラマ!!

 

 

約6m×7mもの大きさの藤原京の1,000分の1模型。

 

 

 

LOVEジオラマ!!

 

やっぱり、理解できる形にしてくれてあるものは最高ですね。スパゲティだって、これがないと食べる気になんかなりません。

 

https://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/thumb/d/d3/Spaghetti_sample_by_yaraaa_in_London.jpg/800px-Spaghetti_sample_by_yaraaa_in_London.jpg

出典:Wikipedia

 

 

 

そして橿原市といえば神武天皇。そこで催される「春の神武祭」の肖像画は、ガンダムで有名な安彦良和。ガンダム以外にも神話を題材にした『ナムジ』や『神武』の作品がある彼の絵をみただけで僕は大興奮です。

 

 

 

橿原市役所 魅力創造部 観光政策課の梅野愛さん、そんな神武天皇から藤原京に至るまでの史跡、「飛鳥・藤原の宮都とその関連資産群」は、いま国の世界遺産暫定リストに入っています。

 

正式に世界遺産に登録されるよう、我々も行動しましょう。

 

 

 

 

この行動と世界遺産登録に何の関係が。

「めざせ登録!!」と顔出し看板に書いてあります。

書いてありますね。

列柱を 教えてあげたい LET YOU KNOW

 

 

 

さあ、最後です。藤原京の中心地、皇居のあった藤原宮の跡地に参りましょう。

 

あ、じぶんだけ戻った。

 

 

 

ただ、ひたすらに広い。悠久の歴史をたたえたまま、ここには静かな風が吹いています。

 

 

 

御所が発掘された場所には、礎石と列柱のレプリカがならび、在りし日をものすごく中途半端に再現してくれています。でも、ここに天皇がいた、キャピタル・オブ・ジャパーンだったことをぜひあなたに知ってもらいたい。Let you know 列柱。

 

ちなみに私のツイッターの書き込みは文法が間違っています。

 

 

https://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/thumb/d/da/The_Parthenon_in_Athens.jpg/1024px-The_Parthenon_in_Athens.jpg

出典:Wikipedia

古代、人は政と祭の中心部に、天に向かって柱を立てました。柱こそ天に繋がる道であり、人々の心の拠り所でした。

 

私はいま、この地に立ち、そんな人間の歴史を抱きしめる思いです。

 

 

高校生の時に、歴史の先生に言われた言葉が忘れられません。

 

歴史って英語でヒストリー。「History」って書きます。これって「Hi-story」、「高度な物語」なんだよ。

 

私は橿原市の幾重にもかさなる歴史の、その層をなんども行き来しながら、そんな高度な物語を身体で感じていました。

 

 

奈良県で 一番高い? ミグランス

 

さあ、旅も終わりの刻を迎えようとしています。

 

さいごに、歴史が折り重なる街、橿原市のすべてを見渡せる場所から別れを告げようと思います。大和八木駅のほどちかく、橿原市役所の分庁舎とホテルなどから構成される複合施設、ミグランスです。

 

出典:ミグランスHP

 

このビルは高さ45メートル。奈良県で一番高い、というお話なのですが、JR奈良駅前に「ホテル日航奈良」があり、これは46メートルというお話で、うーむ、どっちやねん

 

https://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/thumb/a/a1/Hotel_Nikko_Nara02s5s3200_cropped.jpg/800px-Hotel_Nikko_Nara02s5s3200_cropped.jpg

出典:Wikipedia

 

海抜とかいろいろあるのでしょうか。とにかく、大阪府民の私をそんな微妙な争いに巻き込まないでいただきたい。それ以前に、奈良県で高い建物といえば、興福寺五重塔(50.1m)と東大寺大仏殿(46.8m)がありまして、問答無用でそれらの方が高いのです。前者は1426年再建、後者は1709年再建の木造建築です。

 

https://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/thumb/1/1d/Kofukuji13s5s3200.jpg/800px-Kofukuji13s5s3200.jpg

出典:Wikipedia

出典:Wikipedia

 

ともあれ、そんなミグランスの最上階にはどなたでも見学できる展望室があり、まるで鳥になったようにぐるりと橿原市を見渡すことができます。

 

 

そうなんです。鳥になった気分でと書きましたが、「ミグランス」とは市章にもなっているトビの学名『Milvus migrans(ミルヴス ミグランス)』から名付けられたものなんです。

 

 

あの、「紀元前660年 すべてがこの地から始まる」と書かれたユニフォームにも「トビ」が描かれていました。

 

 

西に傾いた日差しの中、私も鳥の視点で、この街の景色を目に焼き付けました。

 

 

 

 

 

出典:Twitter田中泰延

ぐるりと囲む大和三山。


 

畝傍山。

 

 

耳成山。

 

今日一日、私は三山のふところに抱かれていました。なんだか、一仕事終わったから帰ろ帰ろ、って気になれず、私はいつまでもこの景色を眺めていました。

 

 

また来ます 歴史重なる 橿原市

 

私の、大阪の自宅からほんの1時間ほど。たった1日の滞在。

 

しかし橿原市は、神武天皇に始まる日本建国の伝承、香具山から見下ろす古代の謎、藤原宮跡で偲ばれる巨大な都、今井町にそのまま遺る戦国時代や江戸時代の空気、荘厳な橿原神宮で感じる明治時代から現代につながる精神、とまるでタイムマシンに乗って一気に歴史を行き来できる、そんな場所でした。

 

この幾層にも折り重なった歴史のミルフィーユを味わいに、私はまた橿原市を訪れることでしょう。

 

 

 

 

ありがとう橿原市。歴史を感じ、考える楽しさを思い出させてくれました。きっと、必ずまた来ます。

 


魅力いっぱいの橿原市観光情報は「かしはら探訪ナビ」まで。

 

 

[ライター・撮影]

 

田中泰延(たなかひろのぶ) 1969年大阪生まれ 株式会社 電通でコピーライターとして24年間勤務ののち、2016年に退職。ライターとして活動を始める。世界のクリエイティブニュース「街角のクリエイティブ」で連載する映画評論「田中泰延のエンタメ新党」は150万ページビューを突破。
Twitter:@hironobutnk

 

[広告主]橿原市

[編集・撮影]奈良新聞デジタル編集部

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