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街頭をゆく 田中泰延 東吉野村紀行

 

 

人口、1745人。神奈川県川崎市や大阪府堺市とあまり変わらない面積の自治体に、信号は2つ。

 

非業の最期を遂げた若者たち。最後の一頭になった悲劇の獣。

 

そんな「終わり」が似合う場所が今、「始まり」が似合う希望の土地に。

 

 

 

こんにちは田中泰延です

 

『街頭をゆく』…例によってどこかで見たような題名で始まりました。そうです、司馬遼太郎大先生の『街道をゆく』と果てしなくまぎらわしいこのコラム。

 

こんにちは。田中泰延(たなか ひろのぶ)と申します。

 

前回の『街頭をゆく 橿原市紀行』

 

 

 

 

に続きまして、奈良新聞社からのお誘いで、奈良県の自治体を訪ね、いろいろ見て回って考えるという機会をいただきました。

 

今回は東吉野村にお伺いします。

 

『街頭をゆく』

 

この紀行文は、あの偉大な『街道をゆく』とは題名は似ているけど何が違うかと言いますと、歴史を伝える街道をつぶさに観察し、思索しながら歩くのではなく、たんに知らない場所まで行って、なんとなく街頭をぶらつくという、あまり苦労のないレポートだということです。

 

ちなみに今回訪問する奈良県東吉野村へは、近鉄電車で向かいました。東吉野村はここにあります。

 

 

出典:東吉野村観光協会

 

 

私が住んでいるのは大阪市内です。まずは近鉄電車に乗り、「大和八木」駅に降り立ちました。そうです、前回の橿原市へのアクセスと同じなのですが、そこから車で50 分。

 

橿原市から走り出してすぐに…

 

 

 

奈良県には度肝を抜かれます。

 

いやいや、旅は始まったばかりです。車はひたすら山奥へと進んでいきます。かれこれ30分以上、信号に出会いません。

 

着きました! 東吉野村

 

 

 

山あいの清流のほとり、そこに現れたのは…

 

 

おおお、なんと壮大な村役場。村のシンボルマークが…

 

 

ややコンピューター的な何かを思い出しましたが、

 

 

出典:wikipedia

 

よく見るとちがいます。

 

hyは、「ヒガシ・ヨシノムラ」の頭文字のようです。カッコエエなあ。

 

 

村役場の桝本賢二さんが出迎えてくださいました。

 

 

村長さん

 

 

まずは村長の水本実さんに表敬訪問です。

 

 

「人口が減少し続けていた東吉野村ですが、最近は他府県から移住してこられる方が多くなってきています」

 

(ううむ…移住。あれでしょ? サラリーマンを定年退職した夫婦がトマトとか作ってFacebookで自慢するやつでしょ…)

 

 

村長それは…

 

「東吉野村のキャラクター、ひよしちゃんです。狼をデザインしています。東吉野村は絶滅したニホンオオカミの最後の一頭が捕獲された場所なんです」

 

 

「ひよしちゃん」…ってひょっとして「ひがし・よしのちゃん」の略かよ。

 

(ゆるい)

 

 

「ニホンオオカミ以外にも、みどころがたくさんの村です。七滝八壺、俳句のさと、幕末の天誅組終焉の地、丹生川上神社、神武天皇が戦勝を祈願した夢淵…」

 

(多い 書くの大変)

 

「それから『小さな道の駅』というのもつくりましてね、村民にはゆずの苗を配って育ててもらい、名産品として販売しています」

 

(ゆず…トマトじゃなくて定年退職したサラリーマンがゆずを育てる話を書かなきゃいけないのか)

 

 

あのう、村長村長、この『街頭をゆく』は自然歴史紀行コラムなんです。移住者が増えたのはいいことですが、そんな定年退職した夫婦の家庭菜園の話は書きたくないんです。ありがちな自治体の宣伝は書きたくないんです。

 

 

「いや、移住者はクリエイティブ・ビレッジ構想に共感してくれたみなさんです。田中さんがいま思い浮かべている人たちとは全然違うんですよ。いまにわかります」

 

(クリエイティブ・ビレッジ構想? )

 

 

「これを見てください」

 

 

 

 

 

(えっ…若い…イケメンが集まっとるやないか)

 

 

(何が起こっとるんや)

 

 

「手始めに、オフィスキャンプを訪ねてみてください」

 

(オフィス…キャンプ? )

 

「あれです。さっきから見えています」

 

 

えっ? ええっ? あれですか? 

 

 

「わたしは生まれも育ちもこの村です。うつくしい土地です。ゆっくり見ていってください」

 

 

オフィス・キャンプと若き移住者たち

 

 

村役場と清流を挟んだ向かい、古民家のようなこの建物。

 

 

中に入ると

 

 

サ、サレオツ・リノベーション! 

 

 

シャレオツな積み木のオブジェもあります。

 

 

お話を伺ったのは代表の坂本大祐さん

 

 

「Wi-fiとノートPCがあればどこでも仕事ができる時代じゃないですか。僕は大阪でデザイナーをしていたんですが、いい環境のほうがクリエイティブな仕事ができるんじゃないかって。ならば引っ越してしまえと。で、自然が気に入ったここにシェアオフィスをつくればいいんじゃないかと考えて。水本村長の考えとも合致しまして」

 

 

「そうしたら、ここが一つの場になって、クリエイティブな仕事をする同世代の人たちが集まって、コミュ二ティができてきたんです。村役場が住む家を紹介してくださって、みんな移住しはじめたんです」

 

 

すると、あのイケメン軍団は…

 

 

「ええ、移住してきた同世代です。プロダクトデザイナーや、木工クリエイター、カメラマンとか。ここで『村民同士』になってクリエイティブチームを作れる」

 

 

いや、もうまったく予想してなかった。信号2つの村がクリエイティブの現場になる。

 

 

「会社の部署単位で都会から来て『企画合宿』してもらうのもいいですし、シンポジウムとかトークイベントなんかもいいですよ。普通にカフェとしても機能してますし。ここに集う連中に話聞いてみてください。そうですね、木工クリエイターの中峰くん、写真家の福井くん、私設図書館を作ってしまった青木くんを紹介します」

 

 

七滝八壺

 

さて、この『街頭をゆく』は基本的には自然歴史紀行です。せっかく自然美あふれる東吉野村を訪問したからにはここは外せません。

 

 

「七滝八壺」です。ななたきやつぼ、と読みます。

 

 

こんな吊り橋を渡っていきます。吊り橋といえば、「吊り橋効果」ですよね。

 

 

「は? 」

 

 

吊り橋を渡る時のドキドキした感じが、恋愛のドキドキに似ているので、そばにいる人を好きなのではないかと勘違いしてしまう効果のことです。

 

 

「そういう現象があるんですね」

 

 

あるんです。

 

 

…さて、七滝八壺にたどり着くまでには少々山を登らないといけないのですが、楽勝だと聞いていました。

 

が、しかし、ハァ、ハァ、登ってみると…

 

 

 

楽勝ではなかった。

 

 

 

 

ですが、荒行の果て、ついに私はやりました。この山を征したのです。

 

 

 

 

エイドリアーン!! 

 

 

桝本さん、ぼく、がんばったよ。

 

 

落差50m、七つの滝からなるのですが、「七滝八壺」というのは計算が合いません。滝が7つなら滝壺も7つやろ。

 

「七転び八起き」にあやかってつけたそうですが、そもそも「七転び八起き」も数学的に不可能やろ。

 

そういえば、「ヤマタノオロチ」もおかしい。頭が8つの大蛇なら、股は7つやろ。

 

そんなことを真剣に考えていると

 

 

おなかがすきました

 

またの話はまたの機会にいたしましょう。人間は何かを食べないといけません。もうお昼ですが、僕は朝から朝ごはんしか食べていないのです。

 

 

お伺いしたのは、こちら。「きのこの館」。

 

 

 

次から次へときのこが襲ってきます。どうやらきのこのことだけ考えているお店のようです。その味わいを文学的に表現すると、とてもおいしいです。

 

 

壁面には、著名人や芸能人のサイン色紙が多数飾られ、このお店の人気をうかがわせます、しかし、半径数キロ内にほかに飲食店もなさそうなので、ここで食べるしかなかったのではないでしょうか。

ですが、ほんとうに美味しかったので、おすすめです! 

 

 

 

移住者・中峰さん一家

 

 

さて。山あいにあらわれた一軒の工房。ちなみに東吉野村では「山あい」しかありませんので、なんでも「山あいの」と書いておけば間違いがありません。

 

 

こちらでお目にかかったのは中峰渉さん

 

 

「もともと僕は飛騨高山で木工家具を作っていたんです。そのあと兵庫県に住んでたんですけど、半年前に、嫁さんと子供ふたり連れて引っ越してきました。この4年間は、サラリーマンをしながら土日は兵庫県からここ東吉野村に通って、木工に打ち込んでたんですけど、いよいよ住もうかって家族と話し合って」

 

 

「住んでみると、特に不便がないんですよね。ネット通販も翌日なんでも届きますし。やっぱり、自然に囲まれてるのがよくて。昨日も川で魚獲ったんですよ。こう、モリで突いて。鮎は、突くんがむずかしいんですよ。動き、速いでしょ」

 

中峰渉さんは34歳、お子さんは4歳と1歳だそうですが、去年の東吉野村の小学校の新一年生…「1人」だそうです。お子さんが小学校に入られる頃には移住者がもっと増えて、クラスメートができるといいですね。

 

あ、ご自宅にお邪魔してもいいですか? 

 

「はい。道を渡ってすぐそこです」

 

 

中峰さんがデザインしてつくった木工作品がたくさんならんだ素敵なお宅です。

 

 

ええなあ。

 

 

奥さん、みなさん、おじゃまします。

 

 

おっ! 「ほぼ日カレンダー」じゃないですか。

 

もうちょっとマーカーが細いとありがたい、とお伝えください」

 

奥さん、承知しました。言うときます。

 

 

で、奥さん、渉さんに移住しようかって相談された時、反対しませんでした? 

 

「配偶者がサラリーマンを辞めてほんとにしたい仕事があるとき、反対したら40代になったら心の問題を抱えるかもね、ってアドバイスをくれる人がいて、そうだなって思いまして」

 

主婦の立場で不便なことはないですか? 

 

「スーパーはちょっと遠いかな。あと意外なのは、公園がない

 

あ、そうか。大自然の中なので公園は必要ないですよね。

 

「公園がないと、子供を連れた主婦同士が顔見知りになる、とかがないんです」

 

 

これから移住をしてみたいと思う人にメッセージがあるとしたら? 

 

「東吉野村にはオフィスキャンプもあるし、役場のみなさんはじめ、相談できる人がたくさんいます。僕もいますし。まずは通ってみて、家族とよく話し合って、魅力を感じてもらえたらいいなと思います」

 

「ぜひ引っ越してきてください」

 

お子さんの同級生、増えて欲しいですもんね。

 

 

最後のニホンオオカミ

 

東吉野村といえば、やっぱりニホンオオカミです。

 

 

絶滅してしまったこの生き物の、最後の、ほんとうに最後の一頭が確認されたのが東吉野村なのです。

 

1905年(明治38年)。ロンドン動物学協会に東アジア動物学探検隊員として選ばれ来日していたアメリカ人のマルコム・アンダーソンさんは、東吉野村の芳月楼という宿に泊まっていました。

 

いつものように捕獲した動物を剥製にする作業をしていると、3人の猟師が1頭のニホンオオカミの死骸を持ってやってきました。

 

「これが、日本で捕獲された最後のニホンオオカミになろうとは、当時、想像も及ばないことである」とアンダーソンさんの通訳と助手をつとめた金井清氏は回想しています。このニホンオオカミは、現在もロンドン自然史博物館に保存されています。

 

(画像提供:東吉野村)

 

ぐったりしとるやないか。

 

 

(画像提供:東吉野村)

 

ロンドンではかなりぐったりとしておられますが、東吉野村ではご存命の頃の雄姿が…

 

 

 

元気かよ!! 

 

 

このニホンオオカミがモデルになった東吉野村のゆるキャラ「ひよしちゃん」とご対面です。このゆるさとはえらい違いや。

 

東吉野村教育委員会の新子友一さんにお話を伺いました。

 

「オオカミは、野生の猛獣と言いますが、東吉野村で人間が襲われたという昔の話はきいたことがないです。むしろ害獣を食べてくれる。山の生態系の頂点ですね」

 

「山の神様なんですよね。日本語のオオカミの語源は大神(おおかみ)ですし、人々があがめていたんです。外国では童話などに悪い動物というイメージで出てきますが、日本ではないですね」

 

にしても、最後の一頭が東北とか、信州とか、もっと山深い地方ではなく、この京都や大阪にも近い奈良県にいたとは。しかし、絶滅してしまった。オオカミは、犬には似ていますが、とうとう人間と共存することはなかったんですね。

 

 

「人間の生活環境が広がった、植林がさかんになって住むところを追われたこともあるんでしょうね。狂犬病やジステンパーが原因で滅んでしまったとも言われています」

 

 

「東吉野村では、ニホンオオカミ手作り絵本コンクールを開催しまして、入賞作品を刊行しています」

 

…こちら『ひみつのさんぽ』、作者さんの名前はエホンオオカミ…っておもしろすぎるやろ。

 

 

しかし、絶滅して100年以上経ったのに、狼の遠吠えとか、見たことなくても小さな子供でもイメージできますよね。オオカミは、人間にとって心の中の存在でありつづけているわけですね。

 

移住者・福井さん一家

 

 

さて、この広い場所。廃校になった小学校の校庭ですが…この景色を独占できる場所にも移住してこられたご家族が。

 

 

穴掘ってはる。

 

こちらにお住まいなのは、空き家を改造して写真スタジオを作られた福井孝尚さん一家。

 

いやあ、小学校を勝手に使える感じがいいですね。この土地を自由に使うの、東京の世田谷区だったら50億円くらいかかりますね。

 

 

「子供が好きに遊ばせてもらってます。廃校なんで」

 

「僕はもともと東吉野村の生まれなんですけど、大学出て、東京で10年ほど働いて、結婚して子供も2人生まれて、上の子が小学校に入るタイミングで自然の中で育てたいなと」

 

 

こちらのご出身! でも奥さん、東京の方ですよね。ご本人はUターンだけど、

奥さんはどういうご意見でしたか? 

 

「どちらかというと妻の意見でした」

 

「Uターンありきじゃなくて、自然の多いところを考えてたら、自分の故郷はすごいんちゃうか? って思って。住んでみたら、朝起きると川の音がしてたりとか、ここで生まれたはずなのに、忘れてたことが多くて」

 

 

「ここも、もとはガレージだったんですけど自分たちで改装してスタジオにしました」

 

すぐ隣が駐在所ですね。

 

「おまわりさんがいてくれるし、郵便局もすぐそばだし。いい温泉も10分くらいだし」

 

 

バス停も家の前。

 

 

「ちょっとづつ動かしてきたわけじゃなくて、ちょうど目の前だったんです」

 

バス停勝手に動かす人、昔いたらしいんですけどね。

 

 

 

村長はここをクリエイティブな場所にするっておっしゃってました。

 

「ええ、オフィスキャンプの坂本さん、木工の中峰さん、いろんな人が集まってきて」

 

お会いしました。いや、村長に「移住者を取材してください」と言われたんで、定年退職した老夫婦がトマトを植える取材だったらどうしようかと思ってたんですけど。

 

「トマトに罪はないですよ」

 

で、写真のお仕事を。

 

 

「東京で10年住んでみて気が付いたのは、生まれた村はすごいとこだったってことですね」

 

すごいとこ。

 

「東京ではいろんなカタログ商品の、いわゆる『ブツ撮り』をしてたんですが、いまは自然や人を撮っています。村の広報誌の写真も撮らせてもらってるんですけど、ここで暮らしている人が『自分たちの暮らす自然はすごいんだ』って再確認できるような作品を撮っていきたいです」

 

 

「この村の自然と人を、まるごと記録していきたいですね。村の写真館としてもやっていきたいなと思ってます」

 

 

ご自身のご家族をはじめ、「移住家族の肖像」シリーズとかいいですね。

 

 

「いいですね。移住してこられた方といえば、このあとは、図書館をつくっちゃった青木さんに会うといいですよ」

 

 

小さな道の駅

 

さてさて、本日最後の取材先に伺う途上。

 

 

 

 

おお、これが村長のおっしゃってた「小さな道の駅」か! 

 

 

こちらにおつとめの小坂正晴さん中嶋大喜さんにお話を伺いました。

 

 

「こちら、小さな道の駅『ひよしのさとマルシェ』ではここで採れた野菜と特産品を販売すると同時に、村で唯一のコンビニ『ヤマザキショップ』もあるんです」

 

いやぁ、小坂さん、大阪から来た身としては、コンビニがあるとホッとします。中嶋さんはこちらのお生まれで? 

 

「僕はここの生まれじゃないんですけど、なぜかここで働くことになりまして…」

 

働いてみてどうですか? 

 

「まだオープンして1年経ってないんですが、やっぱり村唯一のコンビニということで、頼りにされてるなと。手作りパンもここで焼いています」

 

 

お、これが村長がおっしゃってた「ゆず」の加工品ですね。

 

 

村のみんなに苗木を配って育ててもらったという。

 

 

「はい。東吉野村で採れるものはこんなにいいんだよ、とみなさんに知ってもらいたいですね。この椅子とテーブルや、正面の柱も、『吉野のひのき』の無垢材の手作りです」

 

 

あれも、そうなんですね。

 

 

では、せっかくなので、変わった形のかぼちゃを買って帰ります。

 

移住者・青木さん

 

 

東吉野村の夜はとっぷりと暮れました。私は都会に住んでいるものですから、夜というのは本当は暗いということを衝撃的に味わっております。なんにも見えません。今からお伺いするお宅の前には、川が流れているようなのですが、音でしかわからない。そこに…

 

 

かすかな灯りが。

 

 

こちらにお住いの青木真兵さんがランプを手にお出迎えくださいました。

 

 

橋を渡った渓流の向こうの一軒家。中は、本、本、本。まさに図書館じゃないですか。現在の蔵書は約2000冊だそうです。

 

 

「ここ、Lucha Libro(ルチャ・リブロ)は自宅兼私設図書館です。東吉野村に移住して、こちらを開設して3年になります。妻がもともと司書をしていたのもありまして週3日、日月火は開館しています」

 

住み開き、って言葉がありまして」

 

 

すみびらき…? 

 

「僕も最近知ったんですけどね。住みながら、オープンな場所にするという考え方です。

 

この本棚は、内田樹先生が寄贈してくださいました。僕はもともと内田先生の大学のゼミ生でして。

 

自宅を図書館にするっていうアイデア自体、内田樹先生が自宅を合気道の道場にされてるのを参考にしたんです。ここを夫婦で運営しながら、僕は週5日、橿原市の社会福祉法人で障がい者の就労支援の仕事をしています。もともと僕は博物館学芸員、大学講師をしてたんですが、東吉野村でオフィスキャンプに出会って、移住してきました」

 

しっかし、ここ、川の向こうで、なんだかあの世に来たみたいなおうちですが…。

 

「天誅組の吉村寅太郎が討ち取られた、まぁ…なにかの終焉を思わせる土地で、さらに橋を渡らなければたどり着けない家なんですけど、社会関係を絶って隠居してるわけではないんです」

 

 

人里離れて、じゃないんですね。

 

 

「僕は今の仕事で、ひきこもりとか発達障害とか、そう呼ばれている方にアドバイスする場面もあるんですけど、孤立しないこと、社会と関わることが大切だと言っているんです。その関わりを『社会関係資本』と呼んでいますけど、どのような形であれ『社会関係資本』をもって働けばどこに住んでもいいわけで。そのつながりがあるか、ないか、という意味では東吉野村は、若い人がちょっと回覧板をまわしても「ありがとう」と言ってもらえる。都会だと自分を認めてもらうことのハードルが高いじゃないですか。ここではそうではないんです」

 

 

「東吉野村に越してきてよかったなと思いますね。引っ越したからハッピーというのではなくて、この図書館を開いて、また自分の職業をもって、さらにいろいろなつながりができて、この3つが揃ってハッピーになれている気がします」

 

 

「僕たちの世代でいうと、都会よりもっと感覚の鋭い人と出会いやすいのが東吉野村じゃないかと思っています。移住してきた同世代のみんなが、それぞれ目的意識を持っているからですかね」

 

 

「あと、僕、とにかくプロレスが好きなんです。月に一度大阪で、作家の竹内義和さんとプロレスについてのトークイベントをしています。

 

ルチャリブレ(Lucha Libre)は、メキシカンスタイルのプロレスのことで、この図書館の名前は、それをもじって図書館のLibroにひっかけた『ルチャ・リブロ』。プロレスと図書館、好きなものをくっつけたんです。『カレーハンバーグ』みたいなもんです」

 

 

いや、しかこんなイケメンがこの村に移住とは。まったく予想もつかないことでした。何度も言いますが定年退職した夫婦がトマトを育てるインタビューじゃなくてほんとうによかった。

 

 

「田中さん、トマトは悪くありませんよ」

 

 

そうですね。トマトに罪はございません。

 

 

では青木さん。大阪でプロレスの話、伺いますよ、私。

 

 

「ぜひ、大阪でお目にかかりましょう」

 

 

おなかがすきました

 

さあ。夜は暗いんです! 夜になったらおなかが減るんです! そして夜になったら寝るんです! しかも寝る前にはおふろに入りたいんです! これは基本的人権で保障されてるような気がするんです! 

 

 

そこで「あまご池 高見山荘」に今夜の宿を求めることになりました。渓流をそのまま引き入れて養殖された数十万尾のあまごが、このようなあられもない姿で私を待ってくれておりまして。腹を割って話そうか状態であります。川魚の刺身がこんなに旨いとは知らなかったのであります。

 

 

さらには、鮎。もう川魚天国であります。

 

 

女将さんは、夕食の時も、朝食の時も、数十万尾のあまごを野鳥から守る果てしない戦いのお話をしてくださいました。また、最近は野鳥や鹿だけではなく、外来種のアライグマが魚を襲うようになってきたそうで、これも時代の流れですね、と女将。

 

 

いいご飯に、いいお風呂に、楽しい女将さん、ほんとうにお世話になりました。

 

俳句のさと

さて。東吉野村、一泊二日の旅ですので、昨日は初日、一夜明けた今日は千秋楽ということになります。そらそうや。

 

初日は移住されたみなさんを中心にお話を伺いましたが、本来、この『街頭をゆく』は、自然歴史紀行です。ですので本日は…

 

 

 

萱葺きの合掌づくり、国の重要文化財に指定されている天照寺薬師堂

のとなりに佇む、「石鼎庵(せきていあん)」にやってまいりました。

 

 

東吉野村教育委員会 教育長 峠隆司さんにお話を伺いました。

 

 

「まずこの句を声に出して読んで味わっていただきたいです。

 

 

  淋しさに又銅鑼打つや鹿火屋守

 

 

 さびしさに また どら うつや かびやもり

 

 さびしさに また どら うつや かびやもり」

 

 

教育長、3回も音読されましたね。

 

 

「鹿火屋、というのは畑の作物を鹿や猪から守るために、畑の中に作った小屋ですね。夜中にここでひとり、火を焚いて銅鑼を鳴らす、自然の中で生きる孤独が伝わってきますね。

 

これが数多くの名作を残した俳人、原石鼎(はら せきてい)の代表句です。ここ石鼎庵は、彼の住んだ家を移築したものです」

 

 

おお、この人が石鼎さん。

 

「石鼎は島根県生まれだったんですが、ここ東吉野の自然のなかで名作を多くつくりました。

 

そして大正時代の代表的な俳人だった高浜虚子に師事して俳句雑誌『ホトトギス』に六句が選ばれ、一躍認められたんですね。

 

そして、さきほどの句にあった言葉をそのまま使って、俳句誌「鹿火屋」を創刊しました」

 

 

「ほかにも句を挙げてみましょう。

 

 

  頂上や殊に野菊の吹かれ居り

 

 

 

  蛇踏みし心いつまで青芒 

 

 

ああ、どちらも色彩が目に浮かぶような句ですねえ。

 

 

「その石鼎をはじめとして、東吉野村では、俳句の里づくりを推し進めておりまして、たくさんの句碑が自然の中に立っているんです」

 

 

ほんとうに多くの句碑がありますねえ。たとえば山口誓子の

 

 

  日の神が青嶺の平照らします

 

 

これは、さきほどの石鼎の

 

 

  頂上や殊に野菊の吹かれ居り

 

 

と同じ、神武天皇ゆかりの鳥見霊畤で詠まれているんですね。

 

 

「東吉野村には、全国各地から多くの俳人が訪れます。子どもたちの俳句づくりも盛んで、小学生や中学生の作品にも、力作というか、秀作というか、東吉野の独自性が出ている句が多く出てきています。子どもたちが、有名な俳人の方に指導していただけることを、嬉しく思っています」

 

 

 

「最初の句に戻りますが

 

 

   淋しさに又銅鑼打つや鹿火屋守

 

 

この句にしても、心情を述べているんじゃないんですね」

 

 

ああ、なるほど。俳句は、徹底して「自分の外にあることを描く」、写生のこころがまず基本にあるわけです。淋しいのは気持ちじゃないんですよ。「淋しさ」は真っ暗な畑の小屋であり、銅鑼を打つ動作であり、熾した火なんですね。しかしそこに人間存在本来の孤独さが浮かび上がり、音が聞こえ、炎の色が見える。

 

いやあ、俳句というのはたいしたもんですねえ。

 

さきほど伺った、高浜虚子の雑誌『ホトトギス』に石鼎の六句が選ばれて一躍有名に、っていうのも17文字×6でしょう? 全部平仮名で書いても102文字ですよ? 

 

それが載ったら日本中に、「あの人はひとかどの人物」だと。そんなの俳句じゃないとありえないですよね。

 

 

「東吉野村に来られた方が、俳句に出会って、石鼎さんに出会って、またここから新しい俳句が広がっていったらと願っております」

 

 

天誅組終焉の地

 

さあさあ自然歴史紀行『街頭をゆく』も佳境に入ってきました。東吉野村といえば、語られるのはこちら。天誅組。

 

明治維新の5年前に「天皇を中心にして幕府を倒す」と挙兵したものの、わずか40日で壊滅してしまった『天誅組』という組織を知っていますか。

 

 

こちら、村のメインストリートに面したおしゃれなカフェでお話を伺ったのは、東吉野村 天誅組顕彰会会長の桝本君孝さん。

 

 

「1863年8月13日、孝明天皇が神武天皇陵を参拝すると言いだしたんですね。

 

それを聞いたのが土佐脱藩浪士の吉村寅太郎(よしむら とらたろう)です。彼は同志38人を集めて、わずか19歳の公卿・中山忠光を主将にかついで、天皇を奈良で迎えようと決起しました。彼らはのちに「天誅組」と呼ばれました。

 

8月17日夕方、五條に着いた天誅組は幕府代官の首を刎ねて「御政府」を名乗ったんですね。江戸幕府に対する初めての革命政府ですね。ここで孝明天皇を待つと」

 

 

おお、まさにさきがけだ。

 

 

「ところが翌日、『八月十八日の政変』がおこり、攘夷派が失脚して天皇の大和行幸は中止。大義名分を失った天誅組は『逆賊』にされてしもうたんです。わずか一日の天下でした。

 

幕府は大軍を動員して天誅組を討伐します。奈良の山中を追われて、ここ東吉野村に逃げ込みます。最終的に追手から逃れる事ができたのは忠光以下たったの7人でした。その忠光も長州藩に逃げ込みますが暗殺されました」

 

 

はぁ…邪魔になると、公家まで殺されちゃうんだ。しかし、悲劇に終わったとはいえ、勤皇の志士、倒幕の先駆けだったのに、あまりにも知られていないですねぇ。

 

出典:wikipedia

 

これが吉村寅太郎。NHK大河ドラマ『西郷どん』にも出てきました。兼松若人が演じていましたね。

 

「せっかくなので、歩きながら彼らの最期の足跡を追いましょう」

 

 

「もうここまできたら逃げること、宮様を逃がすことだけしか考えていない状態ですね。しかし東吉野の村人は急に勤皇の志士がやってくる、幕府の軍勢がやってくる、もう青天の霹靂ですよね」

 

 

 

「ここで天誅組の那須信吾は刀を振りかざして奮戦したけれども、幕府軍の佐藤長三郎に鉄砲で撃たれて絶命したんですね」

 

 

なにかの大義を信じて殉じた人にはやはり自然に手を合わせてしまいます。これは大きな矛盾ですが、世の中を変えようと行動して死んでしまった人は、変わった世の中を見られないわけですねえ。

 

 

「この事件のわずか5年後に明治維新が成立したんですから、まぁ、やはり時代に対して早すぎたんですね。ですが彼らの決起がなければ、のちの坂本龍馬や西郷隆盛らの倒幕、大政奉還はなかったと私は思っとるんです。立ち上がった奴らがおったじゃないかと」

 

 

吉村寅太郎も27日に射殺されます。辞世の句は「吉野山 風に乱るる もみじ葉は 我が打つ太刀の 血煙と見よ」。享年27。あの、私設図書館を創られた青木さんの家の前ですね。

 

 

「両軍に死者が出ました。しかし東吉野の村人が偉かったのは、天誅組、幕府軍にかかわらず、みな手厚く葬ったんですね。逆賊を丁重に扱ったら、幕府に罰せられるのはわかっとるのに、わけ隔てなく」

 

 

「天誅組で生き残った者の中には明治政府の要職についた者もおります。一番大事なのは、昔と今と、途切れなく時間が続いていることを知る、これなんですね。毎年、東吉野村の小学校では6年生が自分たちで脚本も演出も考えて、天誅組の芝居を上演するんです」

 

 

自分に関係ない出来事はない、ってことですね。

 

 

「はい。そう考えると今、私たちは未来を創っているんであって、後の人たちの暮らしと、ぜんぶ結びついとるんです」

 

 

天誅組というのがいて、奈良で全滅しました、というのを本で読んだだけでは「はあ、そうですか」なんですけど、今日僕がここへきて、歩いて、まのあたりにすると、今生きている自分と関係がある、繋がっていると感じられますもんね。

 

 

「彼らはたしかに滅びましたが、あれは馬鹿なこと、野蛮な戦いだったと片付けたら、それは未来について考えないことと同じなんです」

 

 

水の神様

 

いよいよ『街頭をゆく 東吉野村紀行』も最後の訪問地となりました。

 

 

 

丹生川上神社(にう かわかみ じんじゃ)です。

 

「祭神はミヅハノメです。『古事記』では弥都波能売神(みづはのめのかみ)、『日本書紀』では罔象女神(みつはのめのかみ)と書かれています。水波能売命とも書きますね」

 

 

お話をお伺いしたのは、宮司の日下康寬さん

 

「ミヅハノメは、天照大神よりもお姉さんに当たります。『古事記』の神産みをみますと、イザナギとイザナミとの間に最後に生まれたのは火の神、カグツチなんですね。熱い神様だったもんですから、イザナミの陰部が焼けてしまって、おしっこをしたんですね。その尿から生まれたのがミヅハノメ。それでイザナミは死んでしまう」

 

神様のおしっこから生まれた神様! まさに水が溢れるイメージなんですね。

 

 

「ミヅハ、というのは水が集まるという意味です。水が集まると小川になります。

 

小川は蛇のように曲がりくねります。これを蛇行といいますね。さらに小川が集まると大河になって、これは「龍」ですね。

 

だから、水の神様のシンボルは龍であり、蛇なんです。そこから、みなさんが蛇の口から吐き出された水の恵みを受けるのが…」

 

 

…蛇口! 

 

 

「そうなんです。蛇口の語源は形がヘビに似ているからではないんです」

 

 

明治時代に日本に水道ができたとき、水飲み場の水栓を蛇のデザインにしたのは、そういう本来の信仰があったわけですねえ。

 

 

「また、川の流れは水力発電のもとになりますから、全国の電力会社の方が参詣、奉納に来られます。また清らかな水ということでウイスキーの会社、日本酒の会社や清涼飲料水とかジュースの会社のみなさんもこちらへお越しになります」

 

なるほど。

 

「あとは、『お水』ということで、水商売にお勤めの方もよくお詣りに来られます」

 

 

す、すると、ここで待っていれば銀座のきれいなおねえさんがお参りに…! 

 

 

昼間見るとわからないかもしれませんけどね わっはっは」

 

 

「この秋祭りは、昭和の頃の写真です。今は1,700人ほどの東吉野村ですが、当時は5,000人以上の村民がいました。祭りは、合コンなんです。秋祭りは、昔はつらい農作業が終わった季節に男女が出会う場所だったんですね」

 

 

合コン。

 

 

「こういったお祭りも、もう一度盛んになるよう努力したいと思っています。古代からこの場所で信仰はあったわけですが、記録ではっきりしているだけでも丹生川上神社の歴史は今年で1343年です。私の仕事は、歴史に参加して過去と未来をつなぐことだと思うんですね」

 

 

石灯籠。有名ですよね

 

「西暦1264年から立っております。国の重要文化財です」

 

一本だけなんですね。

 

「昔は灯籠というのは、一基だけだったんです。本来、神様の通る真ん中だけを照らすという意味で。室町以降は一対ということになったんですが、こちらのは鎌倉時代のものですので本来の一本の灯籠です」

 

 

「私が宮司になった12年前には、灯籠に刻まれた文字がまだ読めました。それがこの12年で、みるみる読めなくなりまして」

 

ああ…酸性雨の影響なのか、多くの方がおさわりになるからなのか…。

 

「750年も読めた文字が、ついに読めなくなった。私が文字を読めた最後の宮司になりました」

 

 

「水の神様ですから、雨が降らなくて困っても、雨が降り続いて困っても、朝廷から祈願に来られました。記録だけでも96回来られてますね。

 

そのとき雨降り祈願には黒馬を、雨やみ祈願の時には白馬を、ここまで牽いてきたんですね。

 

ですが、けわしい山を越えてきますから、馬が崖から落ちてたどり着かない時もあった。その時に代わりに馬を絵に書いて奉納したんですね」

 

 

あ!! 絵馬! 

 

 

「そうです。絵馬の起源はこの神社なんです。いまは自分の祈願を書くものに変化して全国に広まりましたけどね」

 

 

「お詣りされましたら、もともと神様がまつられていた『夢淵』をぜひご覧になっていってください」

 

神武天皇ゆかりの地へ

 

 

「夢淵は日本でも珍しい、3つの川がひとつになっている場所で、深い淵になっているんです」

 

 

 

「『古事記』によると、神武天皇が日本建国の際、ヤマトの国と戦うにあたってここで占いをしたんです。お酒の入った瓶を淵に沈め、魚が浮けばこの国を治められると。

 

翌朝、酒に酔った魚が木の葉のように浮いたのを見た神武天皇は戦勝を確信します。その魚こそ、魚偏に占うと書く…

 

 

…鮎! 

 

「そうです。中国にはこの漢字はありません。魚で占った故事から造った『国字』なんです。そんな神武天皇のゆかりがあるもんですから、ここは鮎の禁漁区になっています」

 

 



「今、日本書紀や古事記に記される神武天皇をめぐるストーリーを『日本遺産』に申請しようという動きがあり、東吉野村もそのゆかりのまちが集う協議会立ち上げに参加しています」

…川の流れのように続いてきた歴史の、語り継がれたストーリーそのものが遺産であるという考え方。

 

 

 

ここに立ってみると、まるで物語が身体にしみこんでくるような気がします。

 

 

 

前回の橿原市に続き、奈良県でまたひとつ、日本建国のはじまりの地に立つことができて、感無量です。

 

 

エイドリアーン!! 

 

また来ます 終わりは始まり 東吉野村

 

 

山あいの深い自然の中に、日本建国の伝承が横たわる地。絶滅した獣の最後の地、若者たちが壮絶な最期を遂げはしたが、それが今の日本の始まりとなった地。

 

 

ここには、たくさんの終わりと始まりが詰まっていました。

 

 

 

 

そしていま、若い世代がこの村で、新しい日本をクリエイトしようとし始めた地。

 

 

この、不思議な終わりと始まりが同居する東吉野村を、私はまた必ず訪れることでしょう。友達になれそうな人ともたくさん会えたし。なんか一緒に仕事しような。メールください。

 

 

ありがとう東吉野村。過去を学び、未来に向かって動き出せる場所でした。きっと、必ずまた来ます。

 

 

 

 

東吉野村ホームページ

http://www.vill.higashiyoshino.nara.jp

 

 

[ライター・撮影]

 

 

田中泰延(たなかひろのぶ)

1969年大阪生まれ 

株式会社 電通でコピーライターとして24年間勤務ののち、2016年に退職。ライターとして活動を始める。

世界のクリエイティブニュース「街角のクリエイティブ」で連載する映画評論「田中泰延のエンタメ新党」は200万ページビューを突破。
Twitter:@hironobutnk

 

 

[広告主]東吉野村

[編集・撮影]奈良新聞デジタル編集部

 

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