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大和の川が集まる聖地に「漫才」のルーツがあった - 廣瀬神社・大和古社寺巡礼 013

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廣瀬神社(廣瀬坐和加宇加乃売命神社)

 ※社寺名は、基本的に現在使われている名称によりました。

 ※( )内は、神社は『延喜式』神名帳による表記、寺院は史料にみえる表記です。

 ※記事中の写真の無断転載を禁止します。

 

 大和盆地を流れる主要河川が一つに集まる聖地に祀(まつ)られ、天武天皇の御代には龍田の風神と共に廣瀬の水神として、国家の祭祀が定期的に斎行された古社。

奥深い参道の入り口に建つ廣瀬神社の一の鳥居

 

エリア/北葛城郡

主祭神/若宇加能売命

相 殿/櫛玉命・穂雷命

ご神徳/五穀豊穣・水難鎮護・除災招福

 

 

ご由緒

 古来、川の合流地点は聖地とされてきましたが、大和の主要な河川(富雄川・佐保川・飛鳥川・葛城川ほか)が集まり一つになる河合の地も古くから聖なる地として崇(あが)められていました。

 

 崇神天皇9年に廣瀬の河合の里の里長・廣瀬臣藤時に神の託宣があって、一夜にして沼が陸地となり橘の木が群生しました。このことをお聞きになられた崇神天皇が、社殿を建てられたのが創祀(し)と伝えられています(『河相宮縁起』)。

 

 天武天皇の御代には、龍田の風神とともに、廣瀬の大忌神(おおいみのかみ)を「廣瀬の河曲」に祀られたことが『日本書紀』に記されています。

 

 天武4(675)年4月10日を初めとし、以後毎年4月4日と7月4日に国家の祭祀として「大忌祭」が斎行されました。これは山の口より流れ出す水を甘水として田を潤し、豊作を祈る祭りです。

 

 平安時代の『延喜式』祝詞に記載の「廣瀬大忌祭祝詞」のなかにも、「山山の口より、狭久那多利に下し賜ふ水を、甘き水と受けて、天下の公民の取作れる奥都御歳を、悪しき風・荒き水に相はせ賜はず」という詞章があります。

 

 水は人々の生命の源であり農耕にとっても欠かせない存在である一方、ひとたび大雨となると洪水を起こして災いをもたらします。この水を司(つかさど)る神として、また食物、農業の守護神として、廣瀬の神は篤い崇敬を受けてきました。

「明治二十四年調 官幣社明細帳」(部分/明治時代・奈良県立図書情報館蔵)

出典:同館まほろばライブラリー

 

 廣瀬神社は和加宇賀能売命を主祭神とし、相殿の神として櫛玉命と穂雷命をお祀りし、崇神天皇や天武天皇ほか歴代の皇室の崇敬を受けた古社です。

 

 

主祭神

若宇加能売命(わかうかのめのみこと)

 「宇加」は穀物のことで、「売」は女神であり、五穀豊穣(ほうじょう)を司(つかさど)られる女神です。またの名を広瀬大忌神とも称されます。

 

櫛玉命(くしたまのみこと)

 物部氏の遠祖である饒速日命。

 

穂雷命(ほのいかづちのみこと)

 穂雷命は火雷命と同神と考えられます。雷は稲妻ともいわれ、文字通り稲の実りを促すと考えられ、豊作を守護する神として信仰されました。

 

 相殿の2神は、かつては本殿の左右の別殿に祀られていたようで、2神ともに廣瀬郡の式内社であったとも考えられています。

 

 

境内参拝・気が付かなければ…

※📸は撮影ポイント

※スマホを見ながら散策できるように、モデル順路

 

一の鳥居

 現在の一の鳥居は、参道なかほどにあった旧・一の鳥居に代わって新しく建てられました。

 

 鳥居の前では小揖(しょうゆう=約15度頭を下げる)をして、参道は正中(中央は神様の通り道とされています)を避けて進みます。

 

日吉社・稲荷社

 滋賀県の日吉大社から勧請された日吉社は、方除(よ)けや縁結びに霊験あらたかです。

 

 江戸時代に京都府の伏見稲荷神社より勧請された稲荷社は、日の丸大明神として信仰されています。日の丸と称されるのは、伏見のお山に日の丸稲荷が祀られており、そこから勧請されたためです。

日吉社(上)と稲荷社(下)

 

 

百度石

 百度石は稲荷社に願をかけてお百度参りする際の目印とされています。

大きく立派な百度石

 

三輪山遥拝所

 参道右手、日吉社の傍らに、丸い穴の開いた不思議な形の木の標識が立てられています。日吉社の崇敬者が設けた三輪山遥拝所で、丸い穴から三輪山を望みます。

丸い穴から三輪山を遥拝

 

狛犬 📸

 かつて建っていた旧一の鳥居の手前で、左右の狛犬(こまいぬ)が迎えてくれます。嘉永2(1849)年の銘があります。

りりしい顔の狛犬

 

両部鳥居の礎石

 1998年までは、ここに一の鳥居としての両部鳥居(稚児柱のある鳥居で、神仏習合の名残りとされる)が建っていました。今はその礎石に往時が偲(しの)ばれます。

かつて鳥居のあったことを示す礎石

 

祓戸社

 祓戸社で、知らないうちに身についた罪・穢(けが)れを祓(はら)って参拝しましょう。

 

 祓詞「掛けまくも畏き伊邪那岐大神 筑紫の日向の橘の小戸の阿波岐原に 御禊ぎ祓へ給ひし時に生り坐せる祓戸の大神等 諸諸の禍事・罪・穢有らむをば 祓へ給ひ清め給へと白すことを聞こし食せと 恐み恐みも白す」を奏上。

祓戸社で身を祓って参拝

 

二の鳥居 📸

 二の鳥居の社号額の文字は、大和太守・源朝臣保光(大和郡山藩第3代藩主・柳沢保光)の揮毫(きごう)によるもので、独特の字体が魅力的です。

二の鳥居の社号額

 

手水舎

 二の鳥居の手前には手水舎があります。簡易の禊(みそぎ)として、お作法に則(のっと)って手を清め口を漱(すす)ぎます。手水鉢は宝暦5(1755)年の寄進です。

リアルな姿の龍

 

神馬舎

 神馬舎には、かつては塑像の神馬、現在は銅製の神馬がたたずんでいます。『延喜式』には大忌祭の数多くの幣物のなかに「馬一匹」とあることから、古事を偲んで奉納されたのでしょう。

神馬舎の馬

 

拝殿

 神に祈りをささげるのにふさわしい清々しい拝殿。ここでは「砂かけ祭」の殿上の儀も行われます。

拝殿全景(上)と拝殿内部(下)

 

本殿

 本殿の前には中門と祝詞舎があり、その周りを透塀が巡っています。正徳元(1711)年に造営された現在のご本殿は春日流れ造りで、屋根を支える桁の組み形が何層にもなり、廣瀬独自の姿になっています。

厳かな本殿

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(写真枚数:12枚)

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