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【解説】内郭北側に『院』存在か - 飛鳥宮跡

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 奈良県明日香村の飛鳥宮跡(7世紀代)で、内郭北側(外郭)から建物跡が見つかった。過去の調査では付近で同宮跡最大級の建物が見つかっており、複数の建物を配置した区画「院」が存在した可能性が浮上している。5日と6日には現地説明会が開かれる。検出された遺構と内郭との関係を詳しく見ていく。

 

 

飛鳥宮とは

 飛鳥宮は飛鳥時代の宮跡遺跡。これまでに蓄積された調査・研究から、3時期の宮殿遺構が重複していることが判明している。

 

飛鳥宮跡の時期区分

 

I期    舒明天皇の飛鳥岡本宮

 

II期   皇極天皇の飛鳥板蓋宮(いたぶきのみや)

 

III―A期 斉明天皇と天智天皇の後飛鳥岡本宮

 

III―B期 天武天皇と持統天皇の飛鳥浄御原宮(きよみはらのみや)

 

 奈良県立橿原考古学研究所によると、今回の調査で確認されたのはIII―B期の遺構。同時期の飛鳥宮中心部分、内郭の推定規模は東西約150メートル、南北約200メートル。内郭を囲む塀跡(1本柱列)が北面と東面、南面で見つかっている。柱の間隔は約2.7メートル。

 

 Ⅲ期の内郭の内側は南区と北区に区画された。南区は南門や大型建物、脇殿、庭で構成され、政務や儀礼の空間と考えられている。

 

 内郭の北区は「北の正殿」「南の正殿」と呼ばれる、同じ規模と構造の大型建物2棟が南北に並ぶのが特徴。平城宮(奈良市)の内裏でも確認される建物配置で、北区は天皇が日常的に居住するプライベート空間と考えられている。

 

 

東西掘っ立て柱塀跡と建物跡を検出

 今回の調査では東西方向の掘っ立て柱塀跡を検出した。柱穴は9個、約20メートル分を確認。柱を立てるために掘られた穴の大きさは1辺1.2~1.5メートル。柱は全て抜き取られていたが、柱と柱の間隔は約2.7メートルと推定された。

 

東西方向の掘っ立て柱塀跡

 

 掘っ立て柱塀跡の北側では、掘っ立て柱建物跡1棟を確認。柱穴8個を検出し、東西3間(10メートル)以上、南北2間(約6メートル)の東西に長い建物。柱の間隔は、東西方向が西から約3.5メートル、約4メートル、約3メートルと、等間隔ではない特殊な構造だった。南北方向の柱間は約3メートルの等間隔だった。

 

人が立っている範囲で検出された掘っ立て柱建物跡

 

 建物跡の西端から南に約2.4メートルの位置では、南北方向の掘っ立て柱塀跡があった。柱穴は4個、3間(約7メートル分)を確認。建物跡の西端の筋と塀の筋がそろい、東西方向の掘っ立て柱塀と直交してつながっていたとみられている。

 

 

遺構の性格は

 東西掘っ立て柱塀跡は、過去に確認されている内郭北辺の東西掘っ立て柱塀と柱筋が一致。柱の間隔も同じ寸法だった。内郭北辺の塀の一部に当たり、塀は調査区の西へさらに伸びるようだ。内郭北辺隅は今回調査区西側の道路下に当たると推測されている。

 

 掘っ立て柱建物跡は内郭北辺の塀より北に位置。内郭の外側、外郭に存在したことになる。

 

 過去にはこの建物跡の東側でも、建物跡(SB6715)が確認されており、建物同士の南端と北端の柱筋が一致していた。現在のところ両者は1棟の建物だったのか、2棟に分かれるのかは不明だが、強い関連性が認められた。

 

記者発表で飛鳥宮跡の遺構配置図を説明する調査担当者

 

 さらに2009年度には今回の調査区の北側で、大型建物跡(SB0934)が見つかっている。周囲に庇(ひさし)をもつ四面庇付き建物、あるいは南北に庇のある二面庇付き建物と考えられている。

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