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奈良県宇陀市で赤色の酒の謎を追え - 大和酒蔵風物誌・第4回「神仏習合の酒」「raden」(芳村酒造)by侘助(その1)

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奈良のうま酒を楽しむ【読者プレゼントあり】

法隆寺ゆかり 黒米由来の深紅の酒「太子の黒駒」

 会社の同僚の「ならリビング」編集長は、この連載の企画段階から筆者の背中を押してくれている。本人がお酒好きなのと、やきものにも造詣が深いことから、ことのほか関心を寄せてくれて、いたずらに長い文を読んでもらうにはどうしたらいいか一緒に考えてくれたり、器の通販用にとリビングのサイトを快く解放してくれたり、ときには読後の感想をもらったりして、筆者にとっては良きアドバイザーであり、何より最も熱心な読者のひとりといっていい。

 

 連載を始めた頃、その編集長とここで取り上げるお酒について話していたら、斑鳩に面白いお酒があるらしいと教えてくれた。何でも、斑鳩に「もも太朗」という地酒専門店があって、編集長が以前から交流のあるそこの店主さんからの情報だという。今回の一本を選ぶにあたって、それを想い出して、彼女に改めてその詳細を確認したら、わざわざその店長さんに連絡を取ってくれたうえに、当のお酒まで調達してくれた。


 それは、斑鳩町産の黒米と法隆寺のアヤメから採取した酵母とで造った特注品で、「太子の黒駒」という名のお酒だった。黒米由来の美しい深紅色をしている。しかもラベルをみると、精米歩合が95%となっている。???。これはいったいどんな酒だ?

 

 斑鳩町の観光協会が宇陀の芳村酒造に依頼して造ってもらった限定品で、編集長が店主さんにこのお酒のことを尋ねたときには、すでにお店に在庫はなく、イベント用にストックしていたわずかな残りのなかから、特別に一本分けて頂いたとのことだった。で、編集長は呑んだことあるんですか?と聞いたら、「ない」との返事。えっ、そりゃアカンでしょ、調達した本人が呑む前に頂くわけにはいきません、といっても、「いやいや、連載に役立ててください。」と、二重にも三重にもありがたい言葉をいただく。元来遠慮深い性質ではないので、このまま押し問答を続けていても埒が明かないと判断して、それではお言葉に甘えて、とその場を収めた。我ながらホントにいつも図々しい。

 

「太子の黒駒」

 

 早速、帰って呑んでみて驚いた。ラベルに甘口と記載されているうえに、見た目がワインかぶどうジュースかというくらい赤いから、いかにも甘いんだろうなと思いながら最初のひと口を呑んだら、案の定、確かに甘いのは甘い。ところが、日本酒によくある水飴みたいな後を引く甘さではなく、すっきりさっぱりとした甘さで、しかもキレがいい。さらに、精米歩合が95%というから、さぞや米の雑味がどっしりとくるんだろうと思いきや、サラッとした呑み口で重さを感じさせない。こりゃ何とも不思議な酒だ。いやいや、これは本当に日本酒なのか。よくいえばまるでロゼワインのようで、もっと卑近な喩えをするならファンタグレープから砂糖を取り除いたかのような味である。その甘さに邪魔されずにくいくい盃を進めるあいだ中、このとらえどころのないお酒に起因する、何とも不思議な気分からついに逃れることができなかった。

 

 

宇陀松山の城下町で深紅の酒の謎を解く

 その不思議を解明すべく、早速宇陀の芳村酒造を訪ねた。蔵は今も近世の街並みを残す松山地区の一角にある。そこは宇陀松山城を中心に栄えた城下町で、文化庁から重要伝統的建造物群保存地区に選定されている。お城は、14世紀半ば頃に地元の豪族秋山氏により築かれた山城で、戦国時代から江戸の初期にかけて福島高春や織田信雄など城主を変えたが、17世紀の末に織田家松山藩が国替えになって以降は、幕府領になる。その後も城下町は商家町として繁栄し、その当時の面影が今に伝わって現在の街並みを形成している。それは、単に建造物だけでなく、この地で昔から盛んだった薬草や葛関係のお店が今も生業として残されていることにもよくうかがえる。

 

宇陀松山城から南方を望む

 

 ご自身が杜氏でもある芳村隆博社長によれば、芳村酒造も明治のはじめに酒造免許を取得してから今で五代目を数えるものの、それ以前はこの松山地区で油屋をされていたのだそう。この油屋をはじまりとすれば、すでに十五代目となり、草創は江戸のはじめ、つまりここを松山藩が治めていた頃と重なる。芳村さんは、「油を主な生業としていたのは間違いないとしても、米がたくさん獲れたときにはお酒も造っていたのではないか」と推測する。「お酒を造るには米が安定して供給される必要がありますから、それを考えると、米の収穫の少ない土地で専業の酒蔵は成立しようがない。だから、余分な米があるときだけ、兼業の造り手がお酒を造る。当時の田舎の酒造りは、きっとそんなふうだったはずだと思います」。

 

芳村酒造

 

 そんな話をしながらも、芳村さんは、その由緒ある家の歴史にはあまり関心がなさそう。それよりもむしろ、この方にとってたいせつなのは酒造りのほうらしい。「もう趣味の域ですから」と嬉しそうに酒造りの話をする芳村さん。「今の時代、商売として酒を造ろうとするとたいへんです。設備が良くなって誰でも簡単にお酒が造れるようになって、造り方よりもむしろ売り方が商売を左右するようになりました。自分はそっちのほうは得手ではないので、商売を考えずに気楽に酒を造っています。とくによそが造りそうにないものを積極的にやる。変わったもんをやっていると、それが新たな変わったニーズを呼んでくる。そうやって遊ばせてくれるひとがけっこういてくれまして、おかげで楽しくお酒を造らせてもらっています」。

 

歴史的建造物としても

 

 「太子の黒駒」についても、初めは斑鳩町の観光協会から、土地でできる黒米を利用して日本酒ができないか、と相談を受けたことがきっかけだった。「(冒頭で触れた)「もも太朗」の店主さんが変わったもの好きの自分ならやってくれるだろうと思って頼みに来たんですね。法隆寺が世界遺産登録から30年を迎えるのを機に何か話題づくりをしたいと聞きました。」と芳村さん。「それなら黒米だけでなく、法隆寺の境内で酵母を探して、それを使って酒にしたほうがもっと面白い、と逆に提案したんです」。えっ、酵母ってそんなに簡単に見つかるものですか、とうかがうと、「自然界に酵母は無数にあります。もっとも、何十億と存在する酵母のなかで酒造りに向くのはごくわずかですが」。芳村さんの提案を受けて、「もも太朗」さんから観光協会へ、観光協会から中西和夫斑鳩町長、町長から当時の荒井正吾奈良県知事へと話が伝わり、最終的に県の工業試験場の協力を得て、法隆寺に咲くアヤメから酒づくりの可能な酵母を採取することができた。それで出来たのが「太子の黒駒」である。まさにグッジョブ!である。


 それにしても、あの不思議な味わいはどこからくるのか。甘いのにすっきり呑めて、しかもほとんど精米していないのに米の雑味が感じられないあの矛盾に満ちた飲了感の由来は。お尋ねすると、「それにはいくつか理由があります。まず、今回アヤメから採取できた「太子夢酵母」は、お酒づくりの酵母としては力がそれほど強くないということです。お酒は米に含まれる糖分を酵母がアルコールに分解してできます。酵母の分解能力が高いと糖分がたくさん分解されてアルコール度数が高くなりますが、逆に低いとアルコールに分解されなかった糖分が残って、アルコール度数は低くなります。ですから、『太子の黒駒』は通常のお酒よりも少しアルコール度は低く、糖分は多く残っています。それが甘さの原因です。酒造りでは分解能力の強い酵母を使うのが一般的ですが、このお酒では酵母の弱さを逆に利用して特徴としたわけです。呑み口がすっきりしているのは、温度調整などによって酸味を強くしているからで、米をほとんど削っていないのに雑味が感じられないのは、この酸味と甘みが前面に出てそれが奥に隠れているんです。よくよく味わうと、米の芳醇な旨味が感じられるはずですよ」。

 

芳村隆博代表取締役社長


 芳村さんはさらに続ける。「もうひとつこのお酒が独特の甘さをもつのは、「八段仕込み」という特殊な製法で造っているからでもあります。興福寺の僧が書き残した『多聞院日記』に記載された日本酒の製法です。日本酒はまず米、麹、水、酵母でお酒の元となる酒母をこしらえて、そこに再び米、麹、水を加えて醪(もろみ)にして発酵させます。醪を造る過程で、酒母に米や麹を一気に入れると発酵が進みにくくなります。そこで、これを少しずつ分けて発酵環境を整えてあげます。これを段仕込みといい、現在ではそれを3回に分ける、つまり三段仕込みが主流ですが、『多聞院日記』が記録する500年前は、それを8回に分けていたんですね」。


 それで何で甘くなるんですか、と突っ込むと、芳村さんは、これはあくまで自分の推測ですが、と断ったうえで、次のような説明をして下さった。昔は大きな甕をいくつも使って酒造りをしていたが、酒母の出来に違いがあって、なかでも良い酒母からは良い酒ができるから何回も使った。そこに何回も米や麹を仕込むので八段仕込みとなる。その結果、酒母に含まれた酵母はだんだんと薄められて発酵力を弱めていく。そうなると、あとは「太子夢酵母」のメカニズムと同じで、アルコール度が低く甘みの強い酒が出来上がるということだ。つまり、「太子の黒駒」は、発酵力の弱いその独特の酵母と、酵母の発酵力を弱める八段仕込みという製法とのダブル効果によって、あの矛盾に満ちた味わいを実現しているというわけだ。米を削らないのも、米が貴重だった時代にそんなもったいないことをするはずがないという芳村さんの確信からきているという。「精米歩合95%というのは米の表面にひっかき傷をつける程度ということです。米の発酵のために必要な最低限の削りです。『多聞院日記』の時代も、きっとそんな風にしていたと思います」。


 なるほど、芳村さんの説明は明快で、「太子の黒駒」を口にして以来ずっともやもやしていた霧が晴れていくような気がした。「造り初めのときには、周りからこんなみりんみたいな酒を造ってといわれましたが」と愉快そうに笑う芳村さんだが、この方、誰に何といわれようと、面白い酒を造るのが楽しくて仕方がないという感じで、かりにそれが市場から受け入れられなくてもきっと平気でいられるひとなのだと思う。その証拠に御自分が心底から楽しんでいるので、そのお話を伺っているだけでこちらも楽しくなる。

 

 

大神神社ゆかり 宇陀の黒米からピンクの酒「神仏習合の酒」「raden」

「神仏習合の酒」


 そんな幸せな時間を過ごした後、ところで連載で紹介するお酒のほうはどうしましょう、と尋ねた。「太子の黒駒」は限定品で蔵にももちろん在庫がない。「原料も酵母も違いますが同じ造り方をしたお酒があるから持ってきます。」と言って、蔵から2種類のお酒を取り出してきて下さった。それぞれ「神仏習合の酒」と「raden」という名前で、ピンク色に近い赤いお酒だ。「どちらも宇陀の赤米を原料にしていて、酵母は大神神社のササユリから採取した「山乃かみ酵母」です。「太子夢酵母」と違って、これはお酒づくりのための強力な酵母で、これを八段仕込みで発酵させたお酒です。名前が違うだけで味は変わりません」。芳村さんと相談して、「神仏習合」を家呑み用に、「raden」を読者プレゼント用に分けて頂くことにする。ちなみに、宇陀産の赤米は希少で、現在は「raden」にのみ使用しているそうだ。だから、筆者が分けて頂いたこの赤い「神仏習合」は限定品で、現在出荷されているのは透明なのだそう。タイミングの良さに感謝しなければならない。そして、貴重なお話を伺えたことに重ねて感謝しながら芳村酒造を後にした。

 


 松山のこの同じ通りを北にいくと、奈良漬の老舗「いせ弥」がある。全国の地方紙が運営するネットショップ「47クラブ」に奈良県代表として長年出品してくださっている。何かとお世話になっていながらお店には伺ったことがなかったので、ちょうどいい機会でもあるし、奈良漬は恰好のアテにもなるかと思って覗いてみた。運よく社長の清水誠さんがお店番をされていて、日頃の御礼をさせて頂きながら、お薦めの商品についてお話をうかがった。

 

 奈良漬はもちろんそのまま食べても美味しいが、いせ弥ではこれを食材にした新しい食べ方の提案をされているそう。店の中央に「きざみ奈良漬」という加工品が並んでいて、そこにこれを田楽風に使ったいかにも美味しそうな大根や茄子の写真が添付されている。変わったところでは、清水さんのお母さんオリジナルの茶粥もある。肝心の奈良漬はちょうど11月になったら金ごぼうの新物ができるということで、その出荷を待つことにした。その後清水さんとはメールでやり取りをすることになるが、そのなかで別の変わった食べ方も紹介していただいた。詳細はまたアテのところで書くが、今回は、どうやら奈良漬三昧になりそうだ。(その2に続く)

 

「きざみ奈良漬」で食べるふろふき大根(いせ弥提供)

読者プレゼント 「raden」を抽選で3名様に

 今回紹介するお酒「raden」を奈良新聞デジタル読者にプレゼントします。ご希望の方は下記のURLからご応募ください。奈良新聞デジタル(有料会員)読者の中から抽選で計3名の方に賞品をお届けします。締め切りは2024年1月10日。当選は発送をもってかえさせていただきます。

https://www.nara-np.co.jp/special_present/

 

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