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廃仏毀釈とは何だったのか 天理の廃寺に「沈める寺」を想う - 大和酒蔵風物誌・第3回「稲乃花 瑠璃」(稲田酒造)by侘助(その3)

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「沈める寺」 ブルターニュ民話から永久寺へ

 フランスの作曲家クロード・ドビュッシーに「沈める寺」というピアノ曲がある。前奏曲集第1巻に収められていて、これはその第2巻とともに24曲からなり、音楽史では、バッハの平均律クラヴィーア、ショパンの前奏曲集と並んで、三大前奏曲集といわれる。

 

 バッハやショパンの曲が24の調性に基づいて構成されているのに対して、ドビュッシーのそれはもはや調性に縛られずに、作曲家の心象風景を自由な音で描く。前者のそれぞれの曲名がハ長調などの調性をタイトルとしているのに対して、後者は、たとえば第一曲が「デルフィの舞姫」とされているように、それぞれの曲のイメージがタイトルとなっている。

 

 「沈める寺」は第1巻の10番目の曲で、他の曲たちが比較的短めの構成であるなかで、唯一前奏曲らしからぬ長大な規模をもっている。そのため、コンサートでは、他のピアノの小品とともに独立して演奏されることが多い。ひとつの曲としてそれだけの魅力があるし、何より作曲家本人の思い入れが曲の規模を大きくしたのではないか、そんな想像をかき立てる名曲である。山の辺の道沿いの少し高台にある案内所から永久寺跡を見渡していたら、そのタイトルからの連想か、「沈める寺」の初めの節、海に沈んだ教会の鐘の音を表したというあのメロディが聴こえてくるような気がした。

 

永久寺案内所


 ドビュッシーがこの曲を着想したのはフランス北西部のブルターニュ地方に伝わる民話からだという。海に沈んだ町「イス」の伝説として有名な話で、この地方出身の19世紀の文献学者テオドール・エルサール・ド・ラ・ヴィルマルケはこの話を土地の民謡を編纂したその著書『バルザス=ブレイズ』で次のように記している。

 

 「キリスト教初期の時代、アルモリカには今日では失われてしまった町が存在した。(中略)グランドロンと呼ばれルールすなわち偉人と異名をとった一人の王がその町を治めていた。グランドロンは、アルモリカに最初に建立された修道院の創立者かつ初代の神父であるゲノレという名の聖人と、敬愛の念をもって交際していた。(中略)グランドロン王の首都であるケル=イス(ブルトン語で低い町)あるいはイスの町は、大潮の際にはあふれた水を吸い込むための巨大な井戸あるいは貯水池によって、海の浸水から守られていた。この井戸には秘密の門があり、王のみが鍵を所持していた。そして必要に応じて王は門を開いたり閉じたりしていた。ところがある夜、王が眠っているときのこと、彼の娘のダユーが、彼女の愛人のための宴会に花を添えようとして父親から破滅をもたらす鍵を奪い、水門を開けに走った。そして町は水没した。聖ゲノレは、(中略)この神罰を予言していたといわれる」。

 

 『バルザス=ブレイズ』はフランスにブルターニュ民謡を紹介した最も初期の著作で、イス伝説については、民間伝承の常として、その後より詳細なさまざまなヴァリエーションが伝えられている。そのなかで共通する記述でこの話を補足すると次のようになる。イスはダユーが彼女を溺愛する父グランドロン王にお願いして自分のために建ててもらった町で、娘の望むとおり海辺にあった。海面よりも低いところにあった町は大潮のときのために堤防で守られていて、その門を開ける鍵はグランドロン王がもっていた。彼女はそこで放蕩三昧の暮らしをする。海賊のような行為をしたり、色欲にふけったり。王女がそんなふうだから、いつしかイス全体が享楽と背徳のはびこる町と化していた。これを憂慮した聖ゲノレはダユーを諫めるが彼女は聞き入れない。父親から鍵を盗むきっかけとなった愛人は実は神の遣わした悪魔で、その愛人にぞっこんとなったダユーは盗んだ鍵をかれにゆだねて、悪魔は水門を開き、結局町全体が海の底に沈んでしまった。

 

案内所から永久寺跡を見下ろす

 

信仰の喪失の果てに

 『バルザス』引用文の冒頭に「キリスト教初期の時代」とあるように、この話はキリスト教を代表する聖ゲノレに逆らったダユーが神様から懲らしめられるという宗教説話的色彩が濃い。つまり信仰心を忘れた町は滅びるという宗教的メッセージがこの話には込められている。内山永久寺跡の風景から「沈める寺」のメロディが聴こえてくるような気がしたのは、イスの町同様、当時の永久寺から信仰心が失われてしまったために、ついには跡形もなく寺が消滅したという同じ運命を辿ったからではなかったか。

 

 永久寺最後の座主となった上乗院亮珍は、世の中の動きをいち早く察知して還俗し、信仰に生きるよりも貴族としての身分の獲得を優先した。他の多くの僧たちもそれに習って還俗し、イスの町がそうだったようにお寺には信仰がなくなってしまった。ならば、そこはもはや、お寺ではなく、単なる抜け殻にすぎない。抜け殻には、もちろん、生きていくだけの力はない。亮珍たちが還俗した時点で、永久寺が草木の底に沈んでいくのはすでに時間の問題だった。

 

唯一痕跡を留める回遊式庭園の池


 こんなふうに考えるのは、廃仏毀釈の後もなお存続する寺院は日本中にたくさんあるからだ。とくに奈良には歴史ある多くの古刹が今も活発な宗教活動を営んでいる。幡鎌先生によれば、当時廃絶した寺として永久寺がとくに有名だが、同じ運命をたどったお寺は他にいくつもあったとのこと。厳しい怒涛の時代を乗り越えてなお存続したお寺とそうでないお寺が現前としてある。その違いは、ひとえに信仰心、もっと正確にいえば逆風に負けない堅固な信仰心のあるかないかではなかったか。


 沈んでしまったイスの町については後日談がある。海辺で漁師が釣りをしていたら、釣り針が何かに引っかかってはずれない。何だろうと潜ってみると、釣り糸は教会の窓の格子にからまっている。中を覗くとそこには大勢の人びとがいて、司祭を中心にミサを唱えていた。それは、かつて海中に沈んだといわれるイスの大聖堂だった。この話をブルターニュ出身の思想家エルネスト・ルナンが、地元の漁師たちの話として「嵐の日には、確かに、波の合間に、この町の教会の尖塔が見える、と彼等(漁師たち)は保証する。なぎの日には、鐘の音が、その日の聖歌のしらべをありありと響かせながら、海の底から聞こえて来る」(『思い出 幼年時代と青年時代』)と書いた。

 

天理大学歴史研究会が復元した永久寺の模型


 ドビュッシーはこれを読んで「沈める寺」を作ったという。曲は寄せる波の狭間から教会の鐘の音が聴こえてくる情景に始まって、長いクレッシェンドを経て巨大な寺院が海上に姿を現し、やがて静かに再び海中に消えていく光景を音楽にしている。モンサンミシェル修道院のような教会が霧の向こうから現れるイメージを描くと、それは抒情的であり幻想的でもある。

 

 いっぽう、永久寺跡で思わずそのメロディが浮かんだということで、これをこちらの「沈める寺」で想像してみたらどうか。人気の少ないこの山里に、ときおり失われたはずの永久寺がよみがえって、大寺院だった頃のにぎわいが戻るような光景にもし遭遇したとするなら。嵐の日に伽藍が姿を現したり、果樹園の向こうから御経が聞こえてきたり。ー。うーん、抒情的、幻想的というよりは、もしそれが夜だったらむしろ怖い。ドビュッシーの音楽というより、ラフカディオ・ハーンの『怪談』の世界になってしまいそう。高台の案内所から永久寺跡を眺めていたら、そんなふうに空想が妙なほうに向かいそうになったので、そこはそれ、「沈める寺」を口ずさむ程度にして案内所を後にした。(その4へ続く)

 

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