これはどうしたことか―。1979年1月…
これはどうしたことか―。1979年1月、奈良市の山間部で茶の木を植え替えていた竹西英夫さんは、地中から大量に出てくる木炭に首をひねった。
やがてぽっかり穴が開き、中にあった銅板が、太安万侶の墓誌だった。縦約30センチの長方形。墓は遺骨を納めた木櫃(もくひつ)を大量の木炭で覆う構造だった。
竹西さんは2012年に他界されたが、連絡を受けて到着した県職員に「高松塚以上の騒ぎになりますよ」と言われたことや、傾斜のきつい畑で重機が入らず、手作業の植え替えが発見につながったエピソードを生前の取材で語っていた。
今年は安万侶の没後1300年。調査を担った県立橿原考古学研究所は、26日に特別講演会を開き、調査成果をまとめた映像も公開する。
世間の注目度が「高松塚以上」と表現されたのは、壁画発見から7年後という時代ゆえだが、県内ではその後も超一級の成果が世間を騒がせた。
キトラ古墳の壁画発見、黒塚古墳で見つかった大量の鏡―。県内の発掘成果は日本史の大動脈に直結する。騒ぎの指標はこれからも更新されていくだろう。(増)