【ことなら'23春】安土桃山時代~ 郡山城跡 国史跡指定
土木技術など伝える城郭遺構
郡山城跡空撮写真(南から北を望む)=大和郡山市写真提供
郡山城(奈良県大和郡山市)は1580年に筒井順慶が築城したとされ、85年に豊臣秀吉の弟である秀長が入城、豊臣政権の畿内統治の拠点として大規模に整備された。1615年水野勝成が城主となり、以降は松平、本多、柳澤の譜代大名が城主を務め、幕末まで幕藩体制における畿内要所として機能した。
明治の廃城後に城郭建築は失われたが、城内には多くの城郭遺構が残り、往時の土木技術や社会構造を今日に伝えている。
郡山城跡パンフレットより抜粋
この価値が評価され、郡山城跡は昨年11月に国史跡に指定された。
2024年は「柳澤家入城300年」「金魚伝来300年」そして「大和郡山市制70周年」の記念すべき年となり、郡山城はますます盛り上がりを見せている。
知られざる歴史とこれから 大和郡山市役所担当課に聞く
実は木橋だった竹林橋
柳澤神社へと向かう竹林橋。現在は土橋であるが江戸時代までは木橋であった。明治時代初期に郡山藩知事柳澤保申が教育振興のため二の丸御殿の土地(現在の郡山高校)を県に寄付し、柳澤神社を現在の地に移動した際、建築材料の重量に耐えられるよう土橋に作り替えられたといわれている。
柳澤神社へと向かう竹林橋
奈良の頭塔から運ばれた転用材も石垣に
石垣の転用材として有名なのは天守台の「逆さ地蔵」だが、実は竹林橋付近の石垣にも「五尊石仏」がある。これは転用材として奈良市の頭塔からはるばる運ばれたもの。市の指定文化財となっている。石垣の最下部、水際にあり危険なため実際に近づくことはできない。同市ホームページで写真を確認することができる。
極楽橋と柳沢文庫前庭園
令和3年に再建された極楽橋。そのたもと、柳沢文庫前庭園には柳澤家の家紋、大和郡山市市章にもなっている花菱をかたどった園路が。もとはこの形の金魚池であった。明治時代以降、産業として発展していく大和郡山の金魚養殖。その礎となった柳澤養魚研究所に思いをはせながら、極楽橋と美しい庭園を鑑賞したい。
整備が進む郡山城跡の歴史公園
令和6年オープン予定の同公園だが、今年秋には一部をプレオープン予定だ。郡山城体験学習施設「郡山城情報館」も公開が予定されており市民の憩いの場がさらに充実する。現在進行中の整備の様子は天守台の上から一望することができる。
現在進行中の、歴史公園の整備の様子
天守台ビューの絶景ガーデンカフェ
昨年春、郡山城跡にオープンした番屋カフェ。芝生の開放的なガーデンカフェからは天守台を間近に望むことができる。スパイスカレーなどフードも本格的。ドッグランサークルも設置。
ふれ藍工房綿元(わたげん)
城下町大和郡山で本格的な灰汁発酵建て本藍染工房を開く「ふれ藍工房綿元(わたげん)」。工房では、ハンカチ・ストールをはじめとする現代的な衣料を日本古来の伝統的な手法や、藍の板締めという独特の技法を用いて染めることができる。要事前申し込み。
できあがった作品は、どれ一つとして同じ作品はない。まさに十人十色
◇体験教室(税込み) ハンカチ1500円、ストール2500円〜
※タペストリー、のれんは要相談。
予約・問い合わせは、電話:0743(52)2328、または同工房ホームページ:http://www3.kcn.ne.jp/~watagen/ 。
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