ウチらはこうして生き残る 奈良和菓子御三家・仁義ある戦い(3)
ウチらはこうして生き残る 奈良和菓子御三家・仁義ある戦い(3)
~奈良市・萬々堂通則編~
みなさんの地元の和菓子屋さんは創業何年でしょうか。ひっそりと店をかまえているところが、実は創業数百年でびっくりされた方もいるのでは。
和菓子屋ってどのように生き残ってはんの?その疑問を、奈良の和菓子御三家と呼ばれる3店舗に聞いてみました。
3店舗、3回にわけての連載記事、今回が最終回の3回目となります。
トラディショナルに歩む 御菓子司・萬々堂通則
――3店目は奈良市。東大寺の大仏や奈良公園などの観光地の最寄駅「近鉄奈良駅」に近く、奈良市を代表する商店街の一つ「奈良もちいどのセンター街」内に「萬々堂通則(まんまんどうみちのり)」 があります。
――こちらが江戸後期に創業、約200年続く和菓子屋「萬々堂通則」です。古都奈良をモチーフにした和菓子が店頭に並び、周辺には様々な飲食店やお土産屋、興福寺や奈良公園など、奈良観光の出発地として連日多くの人々が行き交っています。
――今回は萬々堂通則 五代目の河野通輝(こうのみちてる)さん(38)にお話を伺いました。
神に供える菓子からインスパイア 萬々堂通則ブランド
――ガラス張りで屋外からも店内全体が見渡せるのが良いですね!
昭和12年に今の場所に移転後、今から約35年ほど前、私の父で先代の四代目が店を改装し今の形になりました。四代目は職人肌で、和菓子作りだけでなく内装などにもこだわり、それを受け継いでいます。
看板商品は「ぶと饅頭」です。三代目が中心になり、奈良の春日大社の神饌(しんせん)菓子で唐菓子の一つ「ぶと」を研究し、商品化しました。小豆のこしあんを包み、カラッと揚げるのはサラダ油ではなくコーン油を使用し、油の風味に特にこだわっています。
製法や材料は当時のままですが、大量生産に対応できるよう製造工程は少しずつ変化しています。店の和菓子に使用している餡は主に北海道産小豆を使用し、海外輸入品は風味の違いもあり使用しません。餡の香ばしさ、やわらかさなどに特にこだわっていますよ。
後継者危機を救った家族の絆
――今まで経営の危機はあったのでしょうか?また、その時はどのように乗り越えたのでしょうか?
やはり戦時中は材料が揃わず、和菓子の製造が苦しかったと聞いています。また、祖父の三代目は39歳で亡くなり、隠居していた二代目が復帰、祖母も協力し何とか乗り越えたと聞いています。
実は四代目の父が二年前に急逝した時も、とても大変な時期でした。手作り100%、自社製造のため、父しか知らない技術もありました。年に一度しか販売しない商品もあり、現場の職人の方々に聞いて再現したりなど、みんなで協力し乗り越えました。
職人肌から生まれたオリジナル「もっとの」
――苦しい時を越えた後、何か新しい取り組みはあったのでしょうか?
二代目は職人肌で、人真似が嫌いだったそうです。奈良の銘菓「三笠」も他店が作っているので絶対に作らない。最中の形も、他店が丸いから四角にしたり。円形よりも製造の手間が省けて良いという点もあったようです。その時代にできたオリジナル商品が「もっとの」です。
当店のある通り「もちいどの」は漢字で「餅飯殿」と書きます。地名の由来は諸説ありますが、奈良の七大寺の一つ、興福寺の餅処を中心に現在の当店がある餅飯殿通ができたと言われており、この故事にならって極上の餅粉とキビ粉を練りにねって、黄粉をまぶしています。「もっとの」は「餅飯殿」を親しみをこめて呼ぶ愛称なんですよ。
将来を見据えた四代目の改革
――店頭は明るく鮮やかなパッケージが並びます。商品の製造や販売など、特に工夫されている点やこだわりが?
手作りの部分が多く機械に頼る面は少ないですが、四代目が和菓子の製造工程を改善するためにベルトコンベアなどを導入しました。和菓子も時代に合わせて商品を小さく、一人暮らしや夫婦でも買いやすいよう商品をコンパクトにするなど工夫しています。
35年前の改装と同時にパッケージや包装紙も地味な印象のものから、正倉院文様を使用した明るく目を引くものに一新するなど、先代が大きく改革をしてくれました。改装後10年を見越してデザインしたとのことでしたが、現在でも古くさい印象がなく良いと思います。製造工程の機械は老朽化もあり、より改善できる新しい導入を考えていますね。
創業200年を越え、五代目の次の戦略とは
――今後、販売戦略で何か具体的な仕掛けなどあるのでしょうか?
四代目は二代目同様に和菓子作りにこだわりがありました。だから、まずは今までの味を落とさないようにと努めています。茶道の家元も大きな顧客ですので、代がかわったから味が落ちたと思われてはいけないと。ただ、その中でも私自身が表現できる和菓子を作りたい。
特に夏場の観光客が増える時期に、夏向けの商品で新しい取り組みをしてみたいと思います。
――他の御三家や和菓子屋について、どのような思いがありますか?
経営者が高齢化、後継者もいない和菓子屋が多くなっています。インバウンドの影響で外国人も多いですが、まだ和菓子の魅力をしっかりと伝えることができず、お試しにご購入いただける程度です。奈良は観光客が年々増加しているので、みんなで手を取り合って協力し和菓子の良さを広めれたらと思います。
――最後に五代目が大切にされていることは何でしょうか?
先代の味を守ること。幼少から萬々堂通則を継ぎ、頑張ると決めていました。大学卒業後、他店で3年修行した後、この地で父の仕事を見様見真似で和菓子を作ってきました。先代の味を落としていないだろうか、今までのお客様に食べていただけるだろうか、試行錯誤の毎日ですが、今は意地でも味を守り、その後に自分の味を出せるよう一歩前に進めたらと思います。
――許可をいただき特別に店内を撮影させていただきました。
――通販でも商品を購入できます。
――観光は萬々堂通則から猿沢池~興福寺~奈良公園~東大寺~春日大社のルートで散策がおすすめですよ。
ウチらはこうして生き残る 奈良和菓子御三家・仁義ある戦い(3)奈良市・萬々堂通則編はいかがでしたでしょうか。 店内の和菓子に使われている餡も、とてもこだわって製造されています。ぜひ奈良市に来た時は観光だけでなく、とっても美味しい餡を使った萬々堂通則の和菓子を食べてみてくださいね。
奈良市は数えきれないほどの文化財に囲まれた町です。古都・奈良を知るにはまず奈良市から!奈良市を拠点に奈良県各地の観光地をぜひ巡ってみてくださいね。
和菓子に込められた思いを探して
奈良の和菓子御三家のご紹介は今回で最終回です。厳しい時代を乗り越え、伝統を受け継ぎ、新しいことに挑戦していく…それぞれの店主たちの思いは熱く、和菓子を、そして奈良を愛する思いに溢れていました。
洋菓子が主流になっている昨今ですが、明治以前、和菓子は一部の人しか食べられない最高級の贅沢品でした。
その贅沢品の味や製法、昔ながらの味を受け継いでいる和菓子に目を向けて、皆様も地元の和菓子屋を覗かれてはいかがでしょうか。
和菓子の誕生秘話や隠された意味、歴史的な背景、波乱万丈なお店のエピソードなど、新しい出会いや思わぬ発見があるかもしれませんよ。
最後まで読んでいただきありがとうございました。
・連載1回目 ウチらはこうして生き残る 奈良和菓子御三家・仁義ある戦い(1)大和郡山市・本家菊屋編
・連載2回目 ウチらはこうして生き残る 奈良和菓子御三家・仁義ある戦い(2) 桜井市・白玉屋榮壽編
※和菓子御三家は諸説あり、今回の御三家は和菓子屋の歴史、受け継いできた商品の視点で選ばれたものを取材しました。奈良には魅力的な和菓子屋がたくさんあり、他和菓子店等に対して優劣をつけるものではございません。