ウチらはこうして生き残る 奈良和菓子御三家・仁義ある戦い(1)
ウチらはこうして生き残る 奈良和菓子御三家・仁義ある戦い(1)
~大和郡山市・本家菊屋編~
みなさんの地元の和菓子屋さんは創業何年でしょうか。ひっそりと店をかまえているところが、実は創業数百年でびっくりされた方もいるのでは。
和菓子屋ってどのように生き残ってはんの?その疑問を、奈良の和菓子御三家と呼ばれる3店舗に聞いてみました。
3店舗、3回にわけての連載記事となりますので最後までお楽しみくださいね。
奈良最古がベンチャー 御菓子司・本家菊屋
――1店目は大和郡山市。金魚で全国的に有名な町で、近鉄郡山駅の柳町商店街内に「本家菊屋(ほんけきくや)」の本店があります。
――こちらが天正十三年(1585年)創業、400年を越える奈良県最古の和菓子屋「本家菊屋」です。屋内や縁側で休憩もできて、すぐ近くには豊臣秀吉の弟、秀長が城主だった郡山城もあります。
――今回は本家菊屋二十六代目の菊屋英寿(きくやえいじゅ)さん(51)にお話を伺いました。
天下人からOLまで虜にする 本家菊屋ブランド
――内装に趣がありますね。あ、菓子型が棚に並べてある。天井にも!
もともとあった家屋は1854年の地震で一度、倒壊しちゃったけど。菓子型は当時のものですよ。
うちの一番人気は「御城之口餅(おしろのくちもち)」。店祖の菊屋治兵衛が豊臣秀長の兄、秀吉をもてなすために献上しました。その時に秀吉から「鴬(うぐいす)餅」の名前をもらったけど、天下人が徳川家康になって、今の名前になった。御城之大門を出て、町人街の1件目にあるお餅という意味です。
夜逃げの菊屋さんと呼ばれて
――今まで経営の危機はあったのでしょうか?また、その時はどのように乗り越えたのでしょうか?
一番危なかったのは曾祖父の時代。新しい物好きの曾祖父はクッキー製造のために、無理して借金して機械を導入した。その矢先、亡くなってしまって。売れるものは何でも売って、何とか首を繋ぎました。
「菊屋さん、いつ夜逃げしはるやろ」と陰口を叩かれ、曽祖母はずいぶん苦労したらしい。今は和菓子の原材料が手に入らない時も大変。特に小豆は台風の影響で、御城之口餅に使用する小豆を丹波産から北海道産に変更せねばならない状態です。
JALファーストクラスにも選ばれたロングセラー
――通販など、やはり大量生産のために機械の導入はされているのでしょうか?
作業は機械の方が効率は良く、コストダウンできるので導入しています。でも、例えば餡の場合、同じ品種の小豆を仕入れても育てる農家によって微妙に違うので、茹で加減が難しい。この調整は機械にはなかなかできないね。
今年2月には「菊之寿(きくのことぶき)」の製造機械を新調しました。以前はスウェーデン鋼のオーブンで焼き上げていたけど、古いから焼き加減にムラができちゃったからね。今はセンサーで、より良い焼き加減を調整できています。
――「菊之寿」などの商品はJALファーストクラスのデザートにも選ばれています。二十六代目から積極的に商品を県外にPRされたのですか?
時代によって販売方法は変わっていくし、ネットの影響も大きい。県内のみの商いは時代に合わないと思ったので、商談会にも積極的に参加し、外商の比率も上げた。百貨店などの出展もお客様やバイヤーに直接繋がれるし、相乗効果も期待できる。忘れた頃に電話やメールが届いたり、JALのような良いお話になる時もある。
県外は広く浅く繋がる、地元の商いはより深く繋がって、全体の売上を底上げしていきたいね。
シルクロードから生まれたパッケージデザイン
――現在、店頭に並んでいる商品パッケージも様々で目を引きますが何かこだわりが?
実はとある百貨店から「菊屋さんの和菓子は美味しいけど、パッケージが古くさすぎですわ」って言われて、ハッとなった。美味しい和菓子でもパッケージが古いと買ってもらえへんのかって。それからパッケージもだいぶ変更しました。
ギフト用の箱は、シルクロードから運ばれた正倉院宝物の模様がモチーフ。実は正倉院の宝物をデータ化している偉い先生がいてね。その中に文様データがあったので、それを参考にデザインした。古臭さを感じないのが良いと思っています。
パッケージを変更する時、先代から「これは必要なことなんか?」と問われました。確かにすぐに収益が上がるものではないし、コストもかかる。
今まで続いてきたものを変えていくことが本当に正しいのか、葛藤もある。でもね、何を言われようが、自分を信じて変わっていくしかない。時代に合わせて、良い方向に変わらんと生き残っていけない。
創業400年を越え、二十六代目の次の戦略とは
――今後、販売戦略で何か具体的な仕掛けなどあるのでしょうか?
各百貨店や東京メトロ銀座駅などに小さく出展したり、展示会では私が展示ブースに立ち、バイヤーの方々と直接お話する。すぐに返事ができるのが良いからね。
観光客に対しての仕掛けも、意外と東京の人は「大和郡山市の和菓子?ああ、金魚の町の」って、知っている人が多い。だから金魚のシリーズを広げていこうと思う。より観光客の多い奈良の三条店や、webで動線をつけたりしたいね。季節の限定商品も効果的に演出を工夫したい。
――他の御三家や和菓子屋について、どのような思いがありますか?
和菓子屋に限らず、奈良県全体に言えることは、もっとフレキシブルに楽しく動こうよ!かな。奈良は閉鎖的すぎ。お客さんも楽しいところに行きたがるもんです。簡単にできる、楽しいことを少しずつ広げて変わっていけばいいと思う。
うちも大和郡山市をもっと盛り上げて、この店を観光地にできるぐらい改装したり、和菓子をもっと身近に感じる、楽しい場所にしたいなぁ。
――最後に二十六代目が大切にされていることは何でしょうか?
店を潰さないこと!従業員や取引先にも迷惑がかかりますやん。自分の会社は自分のもんではない。それは大昔から変わらんと思う。うちの会社の規模ならお菓子の面白いところ、マニアックなところも続けていける。
大手のような大きな販売の土俵で商売したら、楽しく動けなくなる。規模は追わなくて良い、うちの土俵できっちり菓子を作ることを大切にしたいと思います。
――隣の製造場で「御城之口餅」の製造風景を特別に撮影させていただきました。
――通販でも商品を購入できます。
――本店の周辺には郡山城や、城下町風に整備された街並み、金魚にまつわる様々な発見もありますよ。
ウチらはこうして生き残る 奈良和菓子御三家・仁義ある戦い(1)大和郡山市・本家菊屋編はいかがでしたでしょうか。
ぜひ大和郡山市に来た時は、ブラブラと歩きながら、休憩やお土産に本家菊屋へもお立ち寄りくださいね。家屋も一見の価値ありです!
次回の2店舗目は、日本最古の神社の一つと呼ばれている大神(おおみわ)神社がある桜井市の和菓子屋をご紹介します。
・連載2回目 ウチらはこうして生き残る 奈良和菓子御三家・仁義ある戦い(2)桜井市・白玉屋榮壽編
・連載3回目 ウチらはこうして生き残る 奈良和菓子御三家・仁義ある戦い(3)奈良市・萬々堂通則編
※和菓子御三家は諸説あり、今回の御三家は和菓子屋の歴史、受け継いできた商品の視点で選ばれたものを取材しました。奈良には魅力的な和菓子屋がたくさんあり、他和菓子店等に対して優劣をつけるものではございません。