ウチらはこうして生き残る 奈良和菓子御三家・仁義ある戦い(2)
ウチらはこうして生き残る 奈良和菓子御三家・仁義ある戦い(2)
~桜井市・白玉屋榮壽編~
みなさんの地元の和菓子屋さんは創業何年でしょうか。ひっそりと店をかまえているところが、実は創業数百年でびっくりされた方もいるのでは。
和菓子屋ってどのように生き残ってはんの?その疑問を、奈良の和菓子御三家と呼ばれる3店舗に聞いてみました。
3店舗、3回にわけての連載記事、今回で2回目となります。
王道最中のオンリーワン 白玉屋榮壽
――2店目は桜井市です。日本でも古い神社の一つ、三輪明神・大神(おおみわ)神社の大鳥居の真下に「白玉屋榮壽(しらたまやえいじゅ)」の本店があります。
――こちらが引化元年(1844年)創業、「白玉屋榮壽」本店です。桜井の地で170余年、平成24年に改装された店舗は和風喫茶も併設されています。実は1種類の最中のみ販売している、奈良で珍しい和菓子屋です。
――今回は白玉屋榮壽七代目の石河敏正さん(59)にお話を伺いました。
太平洋戦争の逆境から洗練された 白玉屋榮壽ブランド
――ショーケースには・・・最中だけがずらり。すごいインパクトです。
戦前までは様々な和菓子と一緒に「名物みむろ」を販売しておりました。しかし太平洋戦争時にお砂糖が統制下に入り、開店休業に。戦後、一番人気だった「名物みむろ」のみ復活し、昭和23年から今日まで「名物みむろ」一筋です。
製法は一子相伝七代に受け継がれ、少なくとも、五代目の祖父(明治35年生まれ)の頃から120年近く、しっかりと受け継いできた味でございます。
「名物みむろ」の名前は三輪明神・大神神社の御神体、三諸(みむろ)山の「みむろ」から。江戸時代に大神神社の調進使(菓子の調達)に指名されたのが始まりでございます。
使用する小豆は、大和大納言小豆。この地は、江戸時代の文献に残っているほど良質な小豆がとれる名産地です。この大納言小豆を使ったお菓子を売ろうと思ったのが創業のきっかけでもあります。
小豆不足の解決策は地域のコミュニティ
――今まで経営の危機はあったのでしょうか?また、その時はどのように乗り越えたのでしょうか?
平成5年の米不足(日本国内で栽培されていた米の記録的な生育不良)が起きた時、小豆もとれなくなっていました。お菓子のお値段も高くなりましたが、それ以上に量の確保ができなくなったことが、大変苦しゅうございました。
お米と一緒に少しだけお赤飯などに使う、お祝い用の小豆を作られている農家がいくつかございましたので、懇意のお米屋さんにお願いし、ご無理を言って小豆を集めてもらい、何とか乗り越えたのでございます。
シンプルビジネスがロケーションに誘う
――現在は店頭販売がメインですが、今後はネット販売等の展開はあるのでしょうか?
ネット通販の必要性はもちろん感じています。ただ、お客様の顔や声もきけずに販売させていただくことは、少し寂しいと感じ、今一歩踏み出せないところです。店頭でお客様と接することで気付くこともございますし、お電話での注文受付なのは、せめてお声だけでもお聞きかせください、という接点作りのためでございます。
百貨店出店のお声がけもありましたが、先代の親父と悩み結局は見送りました。この場所に来た時に「名物みむろ」を買うお客様が減るかもしれん。桜井に来た人がついでに買う、それを増やしていき、全員が買ってくれるようにしようやないかって。そこに私は夢があると思う。
奈良に行ったら、こんな場所で、こんなものを売っていた、お客様が景色も含め見ていただけるよう努力すること、今はそれを優先すべきだと考えております。
マニュアル言葉に縛られない接客トーク
――従業員は全員正社員とのことですが、何か特別な取り組みなどはありますか?
お正月が一番忙しい時期でもありますし、良い菓子を作る、再びお客様が来ようと思える接客など、高い意識で学び成長するには、しっかりと雇用を安定するべきでしょう。基本的なこと以外は、型にはめるための研修はしないし、マニュアル言葉は使わない。お客様が何を望んでいるのか、自分で考え、しっかりと自己アピールできる人間をめざすという方針。先輩を見て現場で覚えるという大切さを、社員たちは理解してくれていると思います。
創業170年を越え、七代目の次の戦略とは
――今後、七代目が継続すべきことは何でしょうか?
お菓子は美味しくないといけない。そのことに対する努力は大前提でございます。極端ですが、外国輸入が増え、農家が小豆を生産できなくなり、国産小豆がなくなる危機がくるかもしれません。このような先々の問題に対して、的確に対応できる技術、情報を仕入れ続けることが重要だと思います。
――他の御三家や和菓子屋について、どのような思いがありますか?
ライバルがあるからこそ、競い良いものができると共に、賑わいになる。当社奈良店のある三条通りには多くの和菓子屋が商いをされています。だからこそお客様には「奈良のここでなら、いろんな和菓子が買える」そう思っていただけると。1を分け合ったとしても、全体でプラスになる。ライバルがいても仲良く競い合いたい、そのような思いがございます。
――最後に七代目が大切にされていることは何でしょうか?
「名物みむろ」の名前を絶対に汚さないこと。ご先祖さんから引き継いだものや従業員たちを、責任を持ち守ることは自分の縛りになり、ありがたいと最近は思います。そして、最中はいわゆる大衆菓子に含まれるので、手づかみで、ガブッと食べてほしい。
「名物みむろ」は奈良に来たら、いつでもいくらでも食べられる、そう思っていただけるよう、お客様との距離が近い関係を大切にしていきたいです。
――本店内にある製造場で「名物みむろ」の製造風景を特別に撮影させていただきました。
――公式HPでは「名物みむろ」の情報が詳しく掲載されています。
――白玉屋栄壽本店から大神神社まで徒歩で行ける距離です。参拝の出発点にもおすすめですよ。
ウチらはこうして生き残る 奈良和菓子御三家・仁義ある戦い(2)桜井市・白玉屋榮壽編はいかがでしたでしょうか。
大神神社の参拝以外にも、特産品の三輪そうめんや、桜井市と天理市を繋ぐ古道「山の辺の道」もオススメです!のどかな田園風景が広がるウォーキングコースで、「記紀・万葉集」 ゆかりの地名や伝説、古い社寺や古墳などの史跡巡りを白玉屋榮壽「名物みむろ」を片手に歩いてみてはいかが。
次回の3店舗目は、東大寺の大仏や鹿がいっぱいの奈良公園など、奈良観光の中心地・奈良市の和菓子屋をご紹介します。
・連載3回目 ウチらはこうして生き残る 奈良和菓子御三家・仁義ある戦い(3)奈良市・萬々堂通則編
・連載1回目 ウチらはこうして生き残る 奈良和菓子御三家・仁義ある戦い(1)大和郡山市・本家菊屋編
※和菓子御三家は諸説あり、今回の御三家は和菓子屋の歴史、受け継いできた商品の視点で選ばれたものを取材しました。奈良には魅力的な和菓子屋がたくさんあり、他和菓子店等に対して優劣をつけるものではございません。