報道の世界に身を置いてから毎年思い出す…
報道の世界に身を置いてから毎年思い出す日がある。記者2人が殺傷された1987年5月3日の「朝日新聞阪神支局襲撃事件」と、43人が死亡・行方不明となった91年の6月3日の「雲仙普賢岳大火砕流」だ。
後者は、新聞・テレビ9社の記者・カメラマン・技師や、チャーターされたタクシーの運転手ら20人が巻き込まれた。他に消防団員、火山学者、警察官ら23人が犠牲になった。
当時は、デジタルカメラ、スマホ、ドローンといった、軽量かつ機能性の高い機材などはなかった。重い機材をかついでカメラマンたちは歩き、被写体にできるだけ近いポイントに三脚を立てた。
そのころ新聞社は紙面のカラー化が進み、テレビも絵になる画像を追い求めた。他社を出し抜こうという「夜討ち朝駆け」の気風も残っていた。それらが過度な取材合戦を生むことになり、犠牲者を増やしてしまう一因となった。
当然、社会からも厳しく批判され、悲劇を繰り返さないように「教訓」を生かす取り組みが進められた。
決して無理をせず、まずは身の安全を最優先に―災害現場での鉄則だ。(恵)