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平城京鎮護する藤原氏の氏神 鹿は神の使い - 春日大社・大和古社寺巡礼 007

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春日大社(春日祭神四座)

 ※社寺名は、基本的に現在使われている名称によりました。

 ※( )内は、神社は『延喜式』神名帳による表記、寺院は史料にみえる表記です。

 ※記事中の写真の無断転載を禁止します。

 

 平城京鎮護のために、常陸国・鹿島の武甕槌命(たけみかづちのみこと)を迎えて御蓋山山頂の浮雲峰に祀(まつ)り(あわせて経津主命・天児屋根命をも祀ったとする説も)、その後の神護景雲2(768)年に称徳天皇の勅命により社殿が創建され、四柱の神々が祀られました。

 

春日大社の南門

 

エリア/奈良市

 

主祭神/武甕槌命・経津主命・天児屋根命・比売神

 

ご霊験/開運厄除など

 

 

ご由緒

 御蓋山の西麓に鎮座する春日大社は、神社に伝わる最古の由緒記『古社記』に神護景雲2(768)年11月9日の創建としています。しかしそれ以前には、正倉院宝物『東大寺山堺四至図』(天平勝宝8〈756〉年)にみえる御蓋山西麓の「神地」で祭祀が行われていたと考えられています。またその原初の信仰は、奈良の都を支える聖なる水源地への信仰だったともされています。

 

 いずれにしても奈良時代のはじめに、まず鹿島(茨木県)から武甕槌命を迎えて御蓋山山頂の浮雲峰に祀り、その後に香取(千葉県)から経津主命(ふつぬしのみこと)、枚岡(大阪府)から藤原氏の遠祖にあたる天児屋根命(あめのこやねのみこと)・比売神(ひめがみ、妃神)を迎え、社殿を設けて四柱を祀ったのが創祀です。

 

 春日大社は平城京の三条大路の東の延長線上に位置し、同大路は西に向かえば暗(くらがり)峠を越えて枚岡に通じており、枚岡の二神は三条大路を通って奈良に迎えられたのではないでしょうか。

 

 春日大社は藤原氏の氏神でもあり、藤原氏の栄華と共に隆盛となり、その様子は平安時代を中心とする数々の宝物(約3千点、その内国宝14件354点・重要文化財27件1482点)にうかがえます。また勅祭としての「春日祭」や奈良の祭りの最後を彩る師走の「春日若宮おん祭」などの祭礼に、春日大社の歴史がしのばれます。

 

 『春日権現験記絵』(原本は鎌倉時代)には、春日の神の数々の霊験が記されています。下の写真は、春日大社の中門で女性が春日明神の託宣を告げる場面。

 

冷泉為恭・岩瀬広隆ほか模『春日権現験記絵巻(模本)』(江戸時代/東京国立博物館所蔵)

出典:ColBase(https://colbase.nich.go.jp/)

 

主祭神

武甕槌命(たけみかづちのみこと)

 出雲の国譲りに際して天下り大国主神と談判し、国譲りを成し遂げた神様。鹿島神宮のご祭神。

 

経津主命(ふつぬしのみこと)

 同じく国譲りに際して天下り、国譲りを成し遂げた神様。香取神宮のご祭神。

 

天児屋根命(あめのこやねのみこと)

 天石屋戸神話で、祝詞を奏上し石戸にこもった天照大御神の出御に力を尽くされた神様の一柱で藤原氏の遠祖。枚岡神社のご祭神。

 

比売神(ひめがみ)

 天児屋根命の妃神。天照大御神ともされた時代もありました。

 

 

境内参拝・気が付かなければ…

※📸は撮影ポイント

※スマホを見ながら散策できるように、モデル順路

 

一之鳥居

 春日大社と興福寺の境を示す鳥居。日本三大木造鳥居(他に気比神宮、厳島神社)に数えられます。鳥居の向かって左の柱に立てかけられている紙垂の付いた榊は、現在は春日祭(3月)、春日若宮おん祭(12月)の際に立て替えられます。

 

日本三大木造鳥居に数えられる一之鳥居

 

影向の松

 一之鳥居をくぐってすぐの参道南側にある、影向(ようごう)の松。能楽堂に描かれた鏡板の松の絵のルーツです。

 

 師走の春日若宮おん祭の際に「松之下式」が行なわれ、神の依り代(よりしろ)としての松の前で、御旅所祭で奉納される芸能の一部が披露されます。

 

春日若宮おん祭の際に松の前で「松之下式」が行われる影向の松

 

参道の石橋 📸

 一之鳥居から参道を東に向かうと、次々に橋が現れます。聖域への結界でもあり、身を清めながら歩んだとも伝えられています。

 

 八位橋(馬出橋)から七位橋(馬止橋)、六位橋、五位橋と進み一位橋(雲井橋)まであります。

 

参道を進むと現れる橋の一つ、八位橋(馬出橋)

 

車舎・二之鳥居

 参道の二之鳥居の手前右側にあるのが車舎(くるまやどり/貞観元〈859〉年・重要文化財)で、天皇の行幸や貴族などの参詣の際に使われた牛車などの駐車スペース(車庫)です。

 

祓戸神社・手水所

 二之鳥居をくぐって左側に伏鹿の手水所と祓戸神社が。手水所で手と口を清め、祓戸神社に参拝後、御本殿に進みましょう。

 

 春日祭における「祓戸之儀」はこの社前で、人形(ひとがた)や解縄(ときなわ)などを用いて行われます。

 

祓戸神社

 

着到殿

 着到殿(延喜16〈916〉年・重要文化財)は、春日祭にあたって勅使が「着到之儀」を行う建物。古くは天皇行幸の際に、行在所としても使われることがありました。

 

春日祭で勅使が「着到之儀」を行う到着殿

 

 春日祭ではまず当日、祓戸社で「祓戸之儀」、着到殿で「着到之儀」が行われますが、「春日祭祓戸座並着到殿図」(貞亨1〈1684〉年)には、「祝師座」「上卿」「弁」「外記」など諸役の着座の順路と位置が描かれています。

 

「春日祭祓戸座並着到殿図」(貞亨1〈1684〉年)

出典:奈良県立図書情報館まほろばライブラリー

 

南門 📸

 南門(重要文化財)は春日大社の、いわば正門です。

 

 南門をくぐって、幣殿・舞殿の前で 二礼二拍手一礼のお作法で参拝。

 

中門 📸

 本殿の前に位置する楼門である中門(重要文化財)と、そこから左右に優雅に延びる御廊(重要文化財)は、春日大社を象徴する光景です。

 

 中門の前からの特別参拝(受付時間は午前9時から午後4時/初穂料500円)をさせて頂くことも可能です。※但し祭典など神事の都合で、特別参拝ができない場合があります。

 

本殿

 平安時代の形式をとどめる、まさに春日造りの社殿で国宝に指定されています。切妻造り妻入で正面に縋(すがる)向拝を付けています。各社殿の間には御間塀や絵馬板と呼ばれる脇塀があり、馬や獅子などの美しい絵が描かれています。向かって右から第一殿・武甕槌命、第二殿・経津主命、第三殿・天児屋根命、第四殿・比売神を、それぞれお祀りしています。

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