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戦艦大和にもまつられた大和国の守護  - 大和神社・大和古社寺巡礼 005

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大和(おおやまと)神社(大和坐大國魂神社)

 ※社寺名は、基本的に現在使われている名称によりました。

 ※( )内は、神社は『延喜式』神名帳による表記、寺院は史料にみえる表記です。

 ※記事中の写真の無断転載を禁止します。

 

 第10代・崇神天皇の御代まで、天照大御神とともに宮中に同殿共床にて奉斎された日本大国魂大神(やまとおおくにたまのおおかみ/大和の守護神)を、神威を畏(かしこ)み特別に社を設け祀(まつ)るようになった古社です。

 

大和神社の一の鳥居

 エリア/天理市

 

 御祭神/日本大国魂大神・八千戈大神・御年大神

 

 ご霊験/交通安全・工事起工安全・厄除け・家内~栄

 

 

ご由緒

 第5代・孝昭天皇の御代には、天照大御神と大和神社の御祭神・日本(大和)大国魂大神は、皇居の中で同殿共床にて奉斎されていたと伝えられています。ところが『日本書紀』には崇神天皇の御代に、この二柱の神の神威を畏み宮外で祀ることになったことが記されています。

 

 天照大御神は初め皇女豊鋤入姫命(とよすきいりひめのみこと)によって笠縫邑(かさぬいのむら)で祀られ、その後は倭姫命(やまとひめのみこと)によって各地を巡行されて伊勢神宮に。日本大国魂大神は皇女渟名城入姫命(ぬなきいりひめにみこと)に託しましたが、神威が大きく祀ることができませんでした。

 

 その後、夢のお告げもあって、大倭直(大倭国造を務める)の祖・市磯長尾市(いちしのながおち)が祭祀を司ることとなり、これが大和神社の創祀とされています。平安時代には現在地に遷(うつ)されたようです。

 

 長尾市は、神武天皇の東征の際に瀬戸内海で水先案内を務めた椎根津彦(しいねつひこ)の七世の孫とされ、その由縁から奈良時代には、遣唐使が出発に際して大和神社で航海の安全を祈願しました。また戦前の戦艦大和には、大和神社の御分霊が祀られていました。

 

『大和名所図会』巻4より大和神社(江戸時代・奈良県立図書情報館蔵)

出典:同館まほろばデジタルライブラリー

 『大和名所図会』(江戸時代)で一の鳥居の右手に描かれている池は、今も存在しています。本殿は石垣の上に築かれていますが、明治時代に修復された現在の姿とは違っています。

 

 

主祭神

日本大国魂大神(やまとおおくにたまのおおかみ)

 大和の国魂・大地主(おおどこぬし)大神で、国土を守護する神。大己貴神(大国主神の別名)の荒魂(あらみたま)ともされます(『大倭神社注進状』)。

八千戈大神(やちほこのおおかみ)

 大国主神の別名のひとつが、八千戈神。国土の平安を妨害する悪神等を祓(はら)い平らげる神。

御年大神(みとしのおおかみ)

 年とは米の実りのことで、豊作をもたらしてくれる神。

 

 

境内参拝・気が付かなければ…

 ※📸は撮影ポイント

 

鳥のとまった燈籠

 一の鳥居を一礼して進むと、右手に鳩のような鳥の彫刻をあしらった「大和社常夜燈」があります。延享五(1748)年五月の寄進です。

 

 

日清戦争従軍記念碑

 左手には、明治時代の日清戦争に従軍した地元・朝和地域の54人の姓名と、戦争の経緯を漢文で記した記念碑が建っています。

 

 

二の鳥居

 一の鳥居から二の鳥居までの距離は、戦艦大和の長さ(約270メートル)と同じです。

 

 

増御子社

 二の鳥居を進むと左手に摂社・増御子(ますみこ)神社が。ご祭神は猿田彦大神と天鈿女命の夫婦神。

 

 猿田彦神は、天孫降臨の際に天孫一行の道案内をしたことから、現在も祭礼の行列の先頭を進む事が多く、大和神社のお渡りでも天狗(てんぐ)の面をつけて登場します。

 

 

珍しい井筒

 井戸の井筒が瓦質の焼き物で作られ、タガを締めた樽の形をしています。今では珍しい井筒で、大和神社にはこの他にも二つの井戸があります(飲用できません)。例祭には井戸からくまれた御神水が用いられます。

 

 

手水舎 📸

 手水舎の手水石は、貞享2(1685)年三月吉日に奉納されたものです。手水で手を洗い口をすすいで、心身を清らかにしてお参りします。

 

 

拝殿

 拝殿は明治時代に修築されました。江戸期は瓦ぶきだったようです。

 

 拝殿の前で 二礼二拍手一礼のお作法で参拝

 

 

本殿

 明治5(1872)年の改築。最近の調査で、本来は屋根裏にある棟札が、本殿の大床の下から発見されました。これは記録を長く保存しようとする、先人の知恵のようです。

 

楠と松

 拝殿の右側に変わった姿の木があります。樹齢300年以上あった楠に松が宿ったもので、松は元気に育っています。松のお力を頂いてください。

 

 

摂社・高龗神社

 古くは雨師神社とも称されました。祭神の高龗(たかおかみ)神は、水をつかさどる水神様です。

 

 『大倭神社注進状』には、吉野の丹生川上神社が、この高龗神社の別宮であると記しています。また丹生川上神社には、祈雨・止雨の祈願のため朝廷から度々奉幣が行われましたが、奉幣使にあたっては大和神社の神主が随行することが『延喜式』の臨時祭・祈雨神祭条に定められており、両神社の密接な関係がうかがえます。

 

 例年9月23日には、「紅しで踊り」が奉納されています。

雨師の磐座

 高龗神社の左手前方には磐座(いわくら)が祀られています。磐座は古い時代の祭祀の形をとどめています。

 

 

おおやまと大黒天

 すてきな笑顔で五穀豊穣(ほうじょう)、商売繁盛、金運上昇、家内安全、出世運向上を授けてくださる大黒天。令和5年に崇敬者から奉納されました。

 

 

摂社事代主神社・朝日神社・厳島神社

 中央の事代主神は、えびす様とも称される福の神。向かって左の厳島神社は市杵島姫命をお祀りしています。右の朝日神社は、桜井・奈良街道を行く人が必ず詣でたといわれます。 

 

 

祖霊社

 明治7(1874)年に官許を得て創建。御祭神は大国主神、椎根津彦命、市磯長尾市命など旧宮司家関係と、氏子である大和神道御霊之社氏子祖霊、戦艦大和第二艦隊戦没英霊等。

 

 

戦艦大和展示室

 日本海軍が誇った戦艦大和の艦内には、大和神社の神が祀られていました。境内には戦艦大和に関する資料を集めた展示室があります。精密に作られた戦艦大和の模型もあります。

 

 

境外摂社・渟名城入姫命神社(天理市岸田町)

 大和神社の神様の初代斎主である皇女渟名城入姫命(ぬなきいりひめにみこと)をお祀りしています。

 

 また近くには、例大祭(ちゃんちゃん祭り)のお渡りの際に、神さまが休憩される「お休み所」があり、御神輿(みこし)が左回りに3回回って円筒状の石台の上に休まれます。

 

 

 

歴史のなかの大和神社

星塚古墳

 神社の境内に存在する星塚古墳は、西殿塚古墳などがある大和古墳群の古墳のひとつ。全長約70メートルの前方後方墳と考えられていますが、調査は行われていません。

 

 『奈良県山辺郡誌』によると、神武天皇の皇后・姫踏鞴五十鈴媛命(ひめたたらいすずひめのみこと)の陵墓だとも伝えられてきました。

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