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日本最古の神社にまつられる剣 ヤマト王権の武器庫とも - 石上神宮・大和古社寺巡礼 001

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石上神宮(石上坐布都御魂神社)

 ※社寺名は、基本的に現在使われている名称によりました。

 ※( )内は、神社が『延喜式』神名帳による表記、寺院が史料にみえる表記です。

 ※記事中の写真の無断転載を禁止致します。

 

 刀剣や神宝に宿る神の御魂(みたま)を祭り、人の御魂を鎮魂(みたまふり)によって再生・活性化させる布瑠部神業(ふるべのかむわざ)を今に伝える古社。

石上神宮の楼門

 

エリア/天理市                 

 

主祭神/布都御魂大神・布留御魂大神・布都斯魂大神

 

ご霊験/健康長寿・病気平癒・除災招福・百事成就 

 

ご由緒

 布留(ふる)山の麓に鎮座する石上(いそのかみ)神宮は、日本最古の神社のひとつとして知られています。ちなみに『日本書紀』に神宮として記されている神社は、伊勢大神宮と出雲大神宮、石上神宮の三社。

 

 第10代崇神天皇7年に、天皇が物部(もののべ)氏の祖・伊香色雄命(いかがしこおのみこと)に勅して、主祭神のうち神武天皇のご東征に関わる布都御魂(ふつのみたま)大神と、現在に伝わる特殊神事・鎮魂祭に関わる布留御魂(ふるのみたま)大神を、宮中から「布留高庭」に遷(うつ)し鎮斎したのが石上神宮の創祀で、古代の豪族・物部氏が祭祀(さいし)を司ってきました。

 

 古い神社は本殿をもたず、拝殿の後方の聖なる山や禁足地を祀る形が多い(大神神社や諏訪大社など)ですが、石上神宮も明治時代までは本殿はなく、この「布留高庭」と称された禁足地が祭祀の対象でした。

 

 ところが明治時代になって、当時の大宮司・菅政友氏が官許を得て御神体が埋斎されていると伝えられていた禁足地を調査。その結果、伝承どおり御神剣や玉類が出現、この御魂代を祭るために本殿が造営されたのです。

 

江戸時代に描かれた「布留之図」(部分)。

本殿はなく、大宮と記されている建物が拝殿。拝殿前の舞殿は、現在は社務所前に移築され、休憩所となっている。

 

 

主祭神

布都御魂大神(ふつのみたまのおおかみ)

 神武天皇東征の際に国土平定に偉功のあった、~霊剣(ふつのみたまのつるぎ)とその霊威。

布留御魂大神(ふるのみたまのおおかみ)

 物部氏の遠祖・饒速日命(にぎはやひのみこと)が天つ神より授かった、鎮魂(みたまふり)にかかわる天璽十種瑞宝(あまつしるしとくさのみづのたから)とその霊威。

布都斯魂大神(ふつしみたまのおおかみ)

 素戔嗚尊(すさのおのみこと)が、出雲で八岐大蛇(やまたのおろち)を退治された十握剣(とつかのつるぎ)とその霊威。

 

 楼門をくぐり拝殿に近づいて、二礼二拍手一礼の作法で参拝。頭を上げると、拝殿を通して、拝殿北の本殿前に据えられた御神鏡が目に入ります。この御神鏡の前あたりが、御神剣が出現された聖地…。

 

 

境内参拝・気が付かなければ…

 ※スマホを見ながら散策できるモデル順路

 ※📸は撮影ポイント

 

万葉歌碑

 西から参道を進み、大きな鳥居の手前左側に、「未通女(おとめ)らが袖振山の瑞垣の久しき時ゆ思ひき吾は」という柿本人麻呂の歌碑が。

 

 

石橋

 大鳥居を一礼して進むと、足元に石の橋が現れます。ほとんどの人は気に留めませんが、これも鳥居と同じように聖地への境界を示しています。

 

 

祓所

 神宮の祭礼の前に、祓串(はらへくし)や塩湯(えんとう)で神職や参列者の修祓(しゅばつ・おはらい)が行われる所です。もちろん六月末の夏越大祓(茅輪くぐり)、十二月末の大祓式もここで行われます。

 

奈良県景観資産「石上神宮拝殿を眺望する楼門前参道」 📷

 祓所の手前南から前方の楼門を見る光景は、奈良県景観資産に登録されています。

 

 

手水舎 📷

 手水鉢の石に刻まれた「布留社」は、石上神宮の御祭神や祭祀にちなむ別名。参拝の前には略式の禊(みそぎ)でもある手水を…。手水舎の周囲の木々の梢に、ご神鶏が止まっている摩訶不思議な光景に遭遇することも!

 

布留の神杉

 「石上 布留の神杉 神びにし 我れやさらさら 恋にあひにける」(1927番)。『万葉集』にも詠まれる布留の神杉のひとつが、手水舎北側の小高い所に…。

 

 

楼門 📷

 棟木に文保2(1318)年の墨書があり、鎌倉時代末期の建立で重要文化財。見上げると、「萬古猶新(ばんこゆうしん)」(明治の元老・山縣有朋の筆)という額が掲げられています。「真に大切なものは不変である」という言葉です。

 

 楼門をくぐって、拝殿(国宝)の前で 二礼二拍手一礼のお作法で参拝。

 

 

拝殿

 拝殿(国宝)は、白河天皇が石上神宮の鎮魂祭のために宮中の神嘉殿を寄進されたと伝えられ、日本で現存最古の拝殿として知られています。

 

本殿

 明治7年に当時の大宮司・菅政友が官許を得て禁足地の発掘調査を行い、顕現された神剣・韴霊(ふつのみたま)を改めてお祭りするために、1913(大正2)年に本殿が建立されました。

 

出雲建雄(いずもたけお)神社

 お参りの後、楼門を出て正面の石段を上がった所に、摂・末社(出雲建雄神社・天神社・七座社・猿田彦神社)が鎮座。ちなみに右手の建物は、出雲建雄神社の拝殿で国宝です。

 

 出雲建雄神社のご祭神は、素戔嗚尊(すさのおのみこと)が出雲で八岐大蛇(やまたのおろち)を退治された時に出現した草薙剣(くさなぎのつるぎ)の荒魂(出雲建雄神)です。

 

天神社・七座社

 天神社(ご祭神:高皇産霊神・神皇産霊神)と七座社(ご祭神:生産霊神・足産霊神・魂留産霊神・大宮能売神・御膳都神・辞代主神・大直日神)は、宮中八神殿に祭られていた神々と大直日神を祭る。石上神宮の鎮魂祭に深くかかわる神々です。

 

 

神田(こうだ)神社

 参拝を終えて大鳥居を出て、参道を西に進むと、道路を渡った向かいに鎮座。神武天皇東征の際に、熊野で韴霊剣を天皇に奉った高倉下命を祭る神社。境内にある「烏帽子(えぼし)岩」は、布留川に産する珍石です。

 

歴史のなかの石上神宮

拝殿(国宝)

 拝殿(国宝)は 石上神宮を崇敬された白河天皇が、神嘉殿(しんかでん)を寄進されたものと伝えられています。神嘉殿とは、宮中での祭祀(新嘗祭など)が斎行された殿舎。

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