特集2024年春の高校野球奈良大会速報

歴史文化

磐座(いわくら)に女性の神秘をみる古代信仰 - 石床神社・大和古社寺巡礼 011

関連ワード:

石床神社(平群石床神社)

 ※社寺名は、基本的に現在使われている名称によりました。

 ※( )内は、神社は『延喜式』神名帳による表記、寺院は史料にみえる表記です。

 ※記事中の写真の無断転載を禁止します。

 

 奈良県の平群谷(生駒谷)の西側、生駒山地の山中に巨大な磐座(いわくら)をご神体として祭り、古代の信仰の姿を今に伝える延喜式内大社で、大正時代に近くの旧・素盞嗚神社の鎮座地に遷(うつ)されました。

古代から大きな磐座が鎮まる石床神社(旧社地)

エリア/生駒郡平群町

御祭神/剣刃石床別命(けんじんいわとこわけのみこと)

配 祀/太玉命、素盞嗚命

ご霊験/浄災、下半身の病平癒

 

 

ご由緒

 甑(こしき)明神や巌上(いわうえ)社とも称された石床(いわとこ)神社の旧社地は、生駒郡平群町越木塚の南東にあり、本殿や拝殿を設けずに巨大な磐座をご神体として拝するという古代の信仰の姿を伝えてきました。平安時代の『延喜式』神名帳では、大社に列せられていました。

 

 磐座は崖面に露頭した高さ約6メートル、幅約10メートルの自然石で、「陰石」とされています。女陰石の信仰は各地にも残っていますが、子孫繁栄や豊饒(ほうじょう)への祈りがささげられてきたようです。

 

 現在の石床神社は、大正13(1924)年に旧社地より素盞嗚(すさのお)神社の地に遷され、改めて石床神社となりました。

 

 石床神社のご祭神は剣刃石床別命(けんじんいわとこわけのみこと)、または饒速日命(にぎはやひのみこと)とされます。剣刃石床別命は史料に見えない神名ですが、『延喜式』神名帳には、伊豆国田方郡に「剣刀(つるぎたち)石床別命神社」が見えます。

 

 また剣刃石床別命の神名のイメージに近い神社に、同じ生駒山地の北に鎮座する式内社・石切剣箭(いしきりつるぎや)神社(大阪府東大阪市)がありますが、同神社のご祭神は饒速日命です。

 

 『大和名所図会』では越木塚村に「巌上祠(いわうえのやしろ)」があり、神名帳に出ているとされるのは旧社地時代の石床神社。

『大和名所図会』巻3より「巌上祠」の記載(江戸時代・奈良県立図書情報館蔵)

出典:同館まほろばデジタルライブラリー

 

 

主祭神

剣刃石床別命(けんじんいわとこわけのみこと)

 剣刃石床別命は、史料に見られない神名。『大和志料』(奈良県/大正3<1914>年)には、『日本惣国風土記』に祭神を饒速日命としていることが記されています。饒速日命は大和に最初に天降って同地を治めた神で、物部氏の遠祖。

 

 

境内参拝・気が付かなければ…

※📸は撮影ポイント

※スマホを見ながら散策できるように、モデル順路

 

越木塚集落の新旧の道標

 越木塚の集落に入ると、石床神社への道しるべが立っています。古い石の道標には、近世に参詣者でにぎわったと伝わる消渇(しょうかち)神社への案内が記されています。

石床神社へ案内する新旧の道標

 

甑塚大明神石柱と手水舎

 神社への石段を上がると右手に「▢▢(不明)甑(こしき)塚大明神」と刻まれた石柱、右手に越木塚集会所と消渇神社・石床神社社務所を兼ねた建物があります。さらに左手に、手水鉢が…。

「▢▢(不明)甑(こしき)塚大明神」と刻まれた石柱
 石床神社への石段を上がると左手にある手水鉢

 

社号標と鳥居

 参道を直進すると石床神社の社号標(「大正十三<1924>年十月建立」)と鳥居があり、境内地の奥に拝殿があります。

石床神社の社号標と鳥居

 

割拝殿と狛犬と燈籠 📸

 瓦ぶきの割拝殿は、大正時代に旧社地からの遷座の時に建てられたようです。

瓦ぶきの割拝殿

 狛犬(こまいぬ)は素盞嗚神社であった頃からのものだと思われます(台座に天保5<1834>年奉献と記されています)。リアルな顔立ちと前足の指の造形が見事です。

 

顔立ちと前足の指の造形が見事な狛犬

 拝殿の前で、二礼二拍手一礼のお作法で参拝。

 

本殿

 拝殿の奥に南面して3社並立の神殿が鎮座し、瓦ぶきの覆屋で保護されています。中央に石床神社、向かって右(東)に太玉命、同左(西)に素盞嗚命をお祭りしています。

 

 素盞嗚命は、もともとこの地にお祭りされていた神様で、出雲神話では八岐大蛇(やまたのおろち)退治で知られ、また民間では牛頭天王(ごずてんのう)とも習合されて疫病退散の神として信仰されました。太玉命は天石戸神話で祭祀をつかさった神様で、忌部氏の遠祖。

 

 石灯籠は「寛文七(1667)未年四月五日 願主浄休」(『平群町史』)とあり、やはり素盞嗚神社時代の灯籠だと思われます。

中央に石床神社、向かって右に太玉命、左に素盞嗚命をお祭りする本殿

 

消渇神社

 ご祭神は消渇の神。石床神社の境内社。石床神社の拝殿左手の道を上がっても参れますが、石床神社の鳥居を出て右手に消渇神社への参道があります。

 

 土をこねる石の鉢を納める小さな建物(後述)を過ぎて、石段を登ると消渇神社が鎮座します。

消渇神社の拝殿

 

 境内の案内板には、「室町時代に旅の僧が腰の病を治してもらって以降、下半身の病気に御利益があるとして信仰される。また江戸時代には消渇という社名から女性の病気や性病に効果があるとして遠方からの参拝者もあり、参道に茶店が出るほど賑(にぎ)わった」ことが記されています。

 

 拝殿には祈願の際の土の団子や、祈願成就のお礼の米の団子が供えられていることがあります。

消渇神社の本殿

この記事の残り文字数:3,040文字
(写真枚数:16枚)

この記事は歴史文化ジャンルの有料記事です。
続きをご覧になりたい方はログインまたは会員登録をお願いします。

初月無料で今すぐ見る
(会員登録画面へ)


奈良新聞デジタルの有料プランに入ると

  • 月額550円から有料記事が読める
  • 広告なしで快適に閲覧(一部バナーを除く)
  • 上位プランで紙面宅配や紙面ビューア利用可

購読お申込みの案内はこちら

関連記事

特集記事

人気記事

  • 奈良の逸品 47CLUBに参加している奈良の商店や商品をご紹介
  • 奈良遺産70 奈良新聞創刊70周年プロジェクト
  • 出版情報 出版物のご購入はこちらから
  • 特選ホームページガイド