歴史に自然科学のような絶対的正解はない…
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歴史に自然科学のような絶対的正解はない。解釈は時代とともに変遷する。先日、「神君伊賀越えの真相」(奈良新聞社刊)の著者・上島秀友氏の講演を聞いて確信した。
本能寺の変の際、少人数で堺にいた家康は宇治田原(京都)から信楽(滋賀)を経由して東へ逃げたのが通説であるが、上島氏は「大和を越えた」と提唱している。
「創業記考異」「当代記」など徳川家の文書や伊賀者由緒の記述は、大和越えを示しているという。「光秀のいた京へ向かうははずがない」「馬で大和から伊賀へ抜けた」と。
通説の京越えと大和越えは江戸時代までは共存していたのだが、昭和になって大和越えは抹殺された。当時の著名な歴史研究家が文書や書状を吟味せずに「妄説」と決めつけたからだと。
家康は馬で大和へ、供の者は京都へ陽動隊として向かったという計略も考えられ、まるでミステリー小説である。
謎があるから歴史は面白い。もし桜井市の箸墓から卑弥呼ゆかりの品が発掘されたら邪馬台国のロマンはしぼんでしまう。と書くと邪馬台国九州説の人からは猛反発されそうだが。(栄)