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国原譜

大正10年4月、静かな斑鳩の里に全国か…

 大正10年4月、静かな斑鳩の里に全国から大勢の人が押し寄せた。法隆寺で営まれた聖徳太子1300年御忌法要への参拝者だ。その数は7日間で約26万人を数えたという。

 明治時代、法隆寺は廃仏毀釈(きしゃく)で衰退。伽藍(がらん)や仏像などの文化財としての再評価が進んだものの、往時の隆盛にはほど遠かった。

 大正7年、当時の住職だった佐伯定胤師らの尽力で聖徳太子1300年御忌奉賛会を設立。新1万円札の「顔」に決まった実業家の渋沢栄一が副会長を務めるなど当時の官民を挙げた支援もあり、法要は空前の人出でにぎわった。

 成功の背景には古くから続く聖徳太子信仰もあるだろう。太子の教えは今も昔も日本人の心に根付いている。

 2年後の令和3年には太子1400年御遠忌を迎える。8日には参道沿いに初めてのホテルが開業するなど、地元も一大行事に向けた準備が進む。

 法隆寺は修学旅行生らでにぎわうものの、奈良市に比べインバウンドの波に乗り遅れているのが現状。100年前と同様、太子の御遠忌が地域振興につながることが期待される。(法)

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