国原譜
背筋を真っすぐに伸ばして闊歩(かっぽ)…
背筋を真っすぐに伸ばして闊歩(かっぽ)する姿は、今でも目に焼き付いている。独特の口調で語りかける奥野節は、姿勢を正さねば聞けなかった。
信念の政治家・奥野誠亮さんが逝った。昭和38年の衆院選で旧県全県区(定数5)で初当選以来、小選挙区になってからの当選を含め13期連続当選を果たした。
自民党にあって無派閥を貫きながら、文相、法相、国土庁長官と大臣を歴任した。法相時代に県庁内での記者会見を取材したが、そのまま記事にできるほど明瞭な言い回しだった。
国土庁長官時代に先の大戦は「侵略戦争ではなかった」との発言が問題となり辞任したが、「発言が間違っているから辞めるのではない」と信念の人ぶりを最後まで示した。
当時、本紙の論調も厳しいものだったが、後年、ある会合で席を同じくした時に、「あの時の奈良新聞の論調は」と、思い出したように語っていた。
書いた本人が隣の席にいたのだが、お祝いの場で論争するわけにもいかず、苦笑しながら応対した。あの奥野節がもう聞けないと思うとさみしい。安らかにお休みください。合掌。(治)
信念の政治家・奥野誠亮さんが逝った。昭和38年の衆院選で旧県全県区(定数5)で初当選以来、小選挙区になってからの当選を含め13期連続当選を果たした。
自民党にあって無派閥を貫きながら、文相、法相、国土庁長官と大臣を歴任した。法相時代に県庁内での記者会見を取材したが、そのまま記事にできるほど明瞭な言い回しだった。
国土庁長官時代に先の大戦は「侵略戦争ではなかった」との発言が問題となり辞任したが、「発言が間違っているから辞めるのではない」と信念の人ぶりを最後まで示した。
当時、本紙の論調も厳しいものだったが、後年、ある会合で席を同じくした時に、「あの時の奈良新聞の論調は」と、思い出したように語っていた。
書いた本人が隣の席にいたのだが、お祝いの場で論争するわけにもいかず、苦笑しながら応対した。あの奥野節がもう聞けないと思うとさみしい。安らかにお休みください。合掌。(治)