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金曜時評

被爆者の思い胸に - 編集委員 辻 恵介

 いささか旧聞に属するが「5月に長崎を訪れた横浜市の公立中学の男子生徒数人が、被爆者で語り部の男性に『死に損ないのくそじじい』などの暴言を吐き、抗議を受けて校長が謝罪した」という報道(8日付2面)には、考えさせられた。

 被爆遺構を案内していた語り部に対して、数人が大声で先述の言葉を叫び、注意されてもなお、周囲の生徒に「拍手しろ」などと言って妨害などを続けたという。案内前に、問題の生徒の1人が、男性から振る舞いについて厳しく注意されたことが伏線としてあるのかもしれない。だが、年長者に対する尊敬の念もなく、傷ついた被爆者をさらに傷つけたことは、まさに「許すまじ」である。

 引率の先生たちは、一体何をしていたのだろうか。くだんの生徒への注意や適切な指導、十分な事前学習をしていたら、こんな騒ぎにはならなかっただろう。「平和学習なんて広島・長崎に行って、関係者の話を聞いてくればいいや」といった安易な対応や考え方に陥ってはいなかったか。平和学習が形骸化し、観光コースの一部と化してしまっている、というのが現状ではあるまいか。

 被爆者は、悪夢のような体験をし、後遺症に苦しみながら戦後を生きぬいてきた。就職や結婚などの差別を恐れ、被爆体験自体を語らないまま亡くなる人がほとんどだ。

 そんな中で、語り部となった人たちは、勇気をふるって後世に戦争の悲惨さを語り継ぐために奮闘している。語りたくても語れなかった人たちの、無念の思いも胸に秘めながらの活動であろう。被爆者の高齢化は進み、平均年齢は80歳前後となり、亡くなる人の数も増加の一途だ。1人でも多くの生徒たちに体験を語り、後世に伝えていってほしいとの切なる思いだけで「一期一会」の出会いを大切にして生きているのだろう。

 年長者を敬い、人の心の痛みを共有し、平和の尊さを学ぶ体験教育の場が、台なしになってしまったことを、教育関係者は「他山の石」として受け止めてほしい。

 ここで私事を書くことをお許し頂きたい。15歳で長崎市内(三菱電機長崎製作所)で被爆し、3月に83歳で亡くなった父は、大阪府下で語り部の活動をしていた。生きていたら、何と言うだろうか。

 平和学習を生きたものに、実りあるものにするため、学校関係者の奮起を望む。被爆者に直接話を聞ける時間は、残念ながらあまり残されていないのだから。

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