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馬の絵だと思っていた絵馬、実は歌舞伎「勧進帳」だった 絵の具の痕跡を調べ義経と弁慶浮かぶ

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復元された「安宅の関」の絵馬。左端に今井兼平が描かれた=12日、奈良市帝塚山7の帝塚山大学付属博物館

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奈良の今井堂天満神社、調査重ね復元

 

【帝塚山大付属博物館で展示】

 奈良市日笠町の今井堂天満神社で見つかった同神社最古となる1794(寛政6)年の絵馬を、帝塚山大学考古学研究所が復元した。風化している図像の調査を重ね、歌舞伎「勧進帳」の一場面「安宅(あたか)の関」に、神社ゆかりの平安末期の武将、今井兼平(1152〜1184年)が描かれた。復元した絵馬は、奈良市帝塚山7丁目の同大付属博物館で開催中の特別展示「田原の絵馬」で展示している。23日まで。

 

【「安宅の関」のワンシーン】

 同神社の拝殿や社務所には絵馬が数多くあり、地元からの依頼を受けて同研究所が2022〜23年に調査。その結果、184点を確認した。時代は江戸から平成まで。画題は馬の図がほとんどで179点を占めた。

 

 従来、同神社で最古の例は1818(文政元)年とされていたが、調査でさらに古い1794(寛政6)年の絵馬が見つかった。大きさは横約1・48メートル、縦80センチで神社最大だった。

 

 図像は風化してほとんど分からず、当初は他の絵馬と同様、馬が描かれていると考えていたという。ところが赤外線写真を参考に、ライトを斜めから当てて木目に残る絵の具痕跡を確認する調査を繰り返した結果、高貴な人物の前で地面に伏した人物を棒でたたく描写と判明。「安宅の関」のワンシーンだと分かった。

 

【正面を向く謎の人物はだれ?】

 図像の中央には地面に伏した義経と、義経を金剛杖で打ち据える弁慶。その右には様子を見守る義経の家臣3人。左には尋問する関守の富樫某(なにがし)とその家臣が描かれているとみられる。

 

 ただ調査を進めるうち、図像の左端に左足や襟、顔の輪郭を確認。もう一人なぜか正面を向く謎の人物がいることが分かった。

 

 そこで参考にしたのが、木曽義仲と共に日笠の地に逃れた家臣今井兼平が身を隠し、その後兼平の息子が父と義仲を祭ったのが今井堂だという神社に伝わる伝承。敵方である義経の危機的なシーンに、本来いないはずの兼平が登場していると推定した。

 

 同研究所の清水昭博所長は「兼平に関して言い伝えしかない中で、モノとして神社に残っているのでは」と話す。

 

【どんな色、どんな表情だったのか】

 復元絵馬は約3分の1サイズ。日本画家で同大付属博物館職員の安藤はるかさん(42)が図像と文字を描いた。学生に義経役や弁慶役などになって図像の場面を再現してもらい、全体像をイメージ。衣装や背景は浮世絵を参考にした。兼平は両足を開いて座る武将の姿を想像して復元した。

 

 安藤さんは「できる範囲で復元できた。ただ実際にはどんな色で、人物はどんな表情だったかが気になる。今後技術が進歩して判明したら改めて描いてみたい」と期待した。

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