奈良・葛城市の南今市地蔵堂内に江戸期版木 - 「曽我物語」登場の遊女・虎女が建立と由緒も
奈良県葛城市南今市の南今市地蔵堂で、江戸時代の版木が見つかった。版木には鎌倉時代の曽我兄弟の敵討ちを題材にした軍記物語「曽我物語」に登場する、虎女(とらじょ)がお堂を創建したという由緒や絵図が記されており、市歴史博物館は「地域の歴史の一端を知ることができる」としている。
2020年、地域住民が老朽化した地蔵堂を自ら修理した際に、堂内から版木7点を発見した。
同館が調査した結果、元録15(1702)年の寄進者名簿「奉加帳(ほうがちょう)」序文の版木2点▽地蔵堂の縁起や絵図を記した文政13(1830)年の版木3点▽地蔵の姿を彫った時期不明の版木2点―を確認した。
奉加帳序文や縁起には地蔵堂は虎女が建立したという由緒を記していた。同じような創建のいわれは「西国三十三所名所図会」(1853年)にも確認することができる。
曽我物語では虎女は大磯宿(神奈川県)の遊女で、曽我兄弟の兄・曽我十郎祐成の恋人として登場。父の敵討ちを果たして亡くなった兄弟の菩提(ぼだい)を弔うために出家して熊野や吉野といった諸国を巡礼するなど、生涯を通して兄弟を供養したとされる。
南今市では地蔵堂周辺に虎女が架けたという「虎ノ橋」の言い伝えが残る。また虎女の墓石「虎石」の伝承も伝わり、地蔵堂前に建つ石が虎石ではないかとみられている。
市歴史博物館の川瀬理央学芸員によると、曽我物語にまつわる伝承は全国各地に存在するが、なぜ南今市に虎女の話が伝わるかは分かっていない。ただ、曽我物語の古い形を残すとされる「真名本」には、虎女が葛城市の「當麻(たいま)」に寄った記述がある。
また、虎女は箱根山で出家しており、同じ山岳信仰や権現信仰、修験道の霊場である葛城と吉野を結ぶ、高野街道・下市街道沿いに南今市が位置することも、伝承が残る背景だった可能性がある。
街道を行き交う旅人に版木で刷った印刷物を配ることで、地蔵堂に安置された地蔵への信仰を集めたとみられ、川瀬さんは「南今市の歴史を改めて裏付ける資料。これを機会に多くの人に地域の歴史に関心を持ってもらえれば」と話す。
版木は同館の夏季企画展「葛城に伝わる『虎女』ものがたり」で展示している。9月3日まで。