社会

川端康成の手紙2通 - 「白樺サロンの会」の雑誌で発表

新たに見つかった川端康成の書簡=6日、県庁 拡大

 ノーベル賞作家、川端康成(1899~1972年)が戦前、早世した文学者の兄の遺志を継いで文学を志す女性に宛てた書簡2通が見つかった。温かみと思いやりのある川端の人となりが分かる資料で、専門家は「川端の作家同士の手紙は多く残るが、一般の人への手紙は珍しい」と話す。

 書簡は、宮武慶之・梅花女子大学非常勤講師の祖母、萩子(当時・谷本久子)さん(98)=津市在住=に宛てられたもので、萩子さんが自宅で保管。便箋に書かれたものを現在は軸装している。宮武さんが今年3月、志賀直哉旧居(奈良市高畑町)を拠点に活動する研究会「白樺サロンの会」の雑誌「りずむ」第9号の中で発表した。

 萩子さんの兄、谷本知平(本名・寛=ゆたか、1916~42年)は中国・北京で小説家として活躍したが、病気を患い死去。萩子さんは面識はないものの、兄の死の報告と遺志を継いで文学を志す手紙を川端に送ったという。

 川端の昭和17年11月15日付の書簡(便箋4枚)は、萩子さんの手紙に返信したもの。「文学ハ極めて特殊な者の道ですから よく御考へ下さい」とアドバイスし、「私もあなたの将来有望の御才能認められますなら何かと御役に立つ事に致しませう。見込みなければ御断念下さい」と書かれている。

 18年6月19日付の書簡は、萩子さんが川端の自宅(神奈川県鎌倉市)を訪れて面会した後に送られた手紙。急逝した知平の作品を「よい短篇です。惜しい事をしました」と評価。「今日、正午頃、警報解除になりました。いよいよ厳しくなります。しかし今日の戦争でハ敵機頭上に来るのは必然でせう。私共は念々刻々生きる限り立派に仕事してゐきたいものです」と記し、戦時下における心境も吐露している。

 川端康成学会の森本穫特任理事(78)によると、川端は無名の新人発掘に積極的だったといい、「一般の人への親切な対応が手紙に残るのは珍しい。戦争で国が滅亡に近づいていくことに憂いと悲しみを持っていた心境の一端も伝わってくる」と話している。

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