考古学

王権の水祭祀場か - 大規模な水流施設 酒船石遺跡と共通点/飛鳥京跡苑池

北池で見つかった流水施設。王権に関わる水のまつりが行われた可能性がある=6日、明日香村岡の飛鳥京跡苑池 拡大

 日本初の本格的な宮廷庭園とされる、明日香村岡の飛鳥京跡苑池(7世紀、国史跡・名勝)で、祭祀(さいし)に伴うとみられる流水施設が見つかり、県立橿原考古学研究所が8日、発表した。石組みの升や溝、大規模な石敷きで構成された手の込んだ施設が良好な状態で残っていた。亀形石造物で知られる酒船石遺跡(同村岡)と共通点も多く、水に関わる国家的な祭祀を行った空間だった可能性が高い。

 飛鳥京跡苑池の復元整備に伴い、橿考研が北池を調査。流水施設は池の北東隅で見つかり、段違いの二つの石組み升で受けた水を中央の溝に流す構造だった。升から溝の端まで約11・5メートル。東から西に向かって水が流れる。

 奥の升は、北、東、南の三方を石積みで囲んだ空間(南北約4メートル、東西約3・5メートル)の中央に位置。升は一辺約80センチ~1メートル、深さ約50センチで、西側に板を立てて湧き水をせき止め、凹状に加工した板の上端から上澄みだけが流れるようになっていた。

 あふれ出た水は底に粘土を貼った石組み溝(長さ約2・1メートル)を通って二つ目の升に入り、さらに西の溝に流れる仕組み。二つ目の升は一辺約1・2~1・3メートル。西側の石組み溝は長さ約7メートル、幅約30センチで、底に酒船石遺跡にも用いられた砂岩(天理砂岩)の切り石が敷かれていた。二つ目の升とは20センチほどの深さで接続し、清浄な水を流すことに意味があったと考えられるという。

 二つ目の升は底に敷かれた石が水流で緩やかにへこんでおり、一つ目の升から木樋を通して二つ目の升に直接水を流した時期もあったとみられる。

 西側の溝の端は南北方向の石組み溝に接続し、最終的に池の北側に排水していた。

 流水施設の周囲は南北約13メートル、東西約8・5メートルの範囲を石敷きとしており、砂利敷きの周辺部とは空間の演出が明確に異なる。二つ目の升や西側の溝付近には、約40センチのひと回り大きな石を使っていた。

 流水施設の北側では南北約4メートル、東西約4メートルにわたって階段状の遺構が見つかり、当初は8段以上あったと考えられる。

 一つ目の升と接続部の溝、階段状遺構は7世紀中ごろの苑池築造当初から存在した可能性が高い。二つ目の升や西側の溝、石敷きなどは苑池が改修された7世紀後半に設けたと考えられるという。

 湧水部から溝に水を流し、周囲に石敷きや階段状遺構を伴う構造は、亀形石造物で知られる酒船石遺跡と酷似。飛鳥に石の文化を築いた女帝、斉明天皇の時期(7世紀中ごろ)に造営し、天武天皇の時期(7世紀後半)に改修している点も共通する。

 酒船石遺跡は天皇に関わる水まつりの施設とみられており、橿考研の岡林孝作調査部長は「飛鳥京跡苑池は宮殿の付属施設であり、流水施設も王権に関わる水のまつりの場だったと考えられる」と話している。

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