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丹生川上神社上社の過去・現在・未来を語る

天空の社・龍神総本宮 丹生川上神社上社

古代からの信仰が根付く、奈良県吉野郡川上村の丹生(にう)川上神社上社。

祈雨・止雨の高龗大神(たかおかみのおおかみ)を祀る社として、天武天皇により白鳳4年(675年)に建立されたと伝えられ、その信仰の起源は縄文時代にまでさかのぼると考えられています。

 

新型コロナ禍でも信仰のよりどころとして、参拝の絶えない丹生川上神社。奈良新聞では、丹生川上神社上社の望月康麿宮司を訪ね、万葉文化論の上野誠教授(國學院大学教授、奈良大学名誉教授)と共に、丹生川上神社の過去・現在・未来について語っていただきました。

(聞き手は奈良新聞社代表取締役社長・田中篤則)

 

望月康麿宮司(左)上野誠教授(中央)田中篤則(右)

※取材・写真撮影は撮影時のみマスクを外し、

新型コロナウイルスの感染予防を徹底して行われています

 

丹生川上神社上社

 

奈良県吉野郡川上村大字迫にある神社。白鳳4年(675年)に天武天皇のご神宣により建立祭祀され、室町時代に至るまで、歴代天皇により数10回の奉幣祈願がなされた。御祭神の高龗大神(たかおかみのおおかみ)は、水・雨を司る龍神であり、祈雨・止雨の祭祀は古代から行われていたとされ、同社は霊験あらたかな場所として現在も全国各地から多くの人が訪れる。旧境内は大滝ダム建設により水没することとなり、1998年3月に現在の場所へ遷座した。

 

 

望月康麿(もちづきやすまろ)

 

丹生川上神社上社宮司。1953年静岡市生まれ。皇學館大学文学部国史学科卒。静岡浅間神社(静岡市)、寒川神社(神奈川県寒川町)、津島神社を経て、2012年から、丹生川上神社宮司。神社本庁参与、学校法人皇學館協議員、神宮評議員、神宮崇敬会代議員。

 

 

上野誠(うえのまこと)

 

國學院大學特別専任教授・奈良大学名誉教授。1960年福岡県生まれ。國學院大學大学院文学研究科博士課程後期単位取得満期退学。博士(文学)。研究テーマは万葉挽歌の史的研究と万葉文化論。第12回日本民俗学会研究奨励賞、第15回上代文学会賞受賞。『万葉集から古代を読みとく』(ちくま新書)など著書多数。原作・台本を手がけたオペラ「遣唐使」シリーズも手がける。

 

 

過去と現在を知り、未来のために何ができるか

田中:本日は丹生川上神社上社へお招きいただきありがとうございます。

 

今回は、望月宮司に上社の歴史とともに、これからの神社についての思いを伺いながら、万葉集から飛鳥・奈良時代の生活背景などを研究する上野誠教授に丹生川上神社の歴史や信仰についてもお話しいただきます。

 

長く地域に根付き、古代からの信仰が伝わり続けている丹生川上神社上社の過去と現在を知ることで、私たちがこれから地域に対して何をすべきなのか、未来のために何ができるかを考えていける場にしたいと思います。

 

 

 

 

丹生川上神社の成り立ち

田中:まずは丹生川上神社の成り立ちについて。丹生川上神社は、祈雨・止雨の神を祀る場所として、白鳳4年(675年)に天武天皇により御社殿が建立・奉祀され、奈良時代から室町時代まで数十回にわたり、歴代の天皇の命で奉幣され祈願され続けてきたとあります。

 

現在の丹生川上神社上社全景

 

神社として、約1350年という長い歴史がありますが、明治・大正時代に丹生川上神社は上社・中社・下社とわかれ、上社は大滝ダム建設によりその境内は水没してしまいました。上社の遷座時には、県立橿原考古学研究所による元境内地の調査で縄文時代の祭祀跡とみられる遺構も発掘されています。このような歴史について宮司や上野教授はどのように思われるでしょうか?

 

宮司:「人の声の聞こえざる深山、吉野の丹生川上に我が宮柱を立てて敬き祀らば、天下のために甘雨を降らし霖雨を止めぬ」と記され、豊穣の祈りとして天武天皇が奉祀されていることがはじまりとされていますが、日本最古の歴史書『日本書紀』には大昔からこの地は祭祀を行う聖域として記されています。

 

実はここではじめて丹生の字があることから、初代天皇の神武天皇時代には、すでにこの辺りでは祭祀が行われていたのではと考えられます。さらに大滝ダム建設の遷座時に、約4000年前の祭祀跡とみられる遺構が発掘されたことから、おそらくその起源は縄文時代にまでさかのぼるかもしれません。

 

上野:長い歴史のなかでも、新しい国づくりは吉野からはじまったと言われるほど、奈良の吉野は聖地であるという意識があります。天武天皇をはじめ、後醍醐天皇、源義経も吉野がはじまりの場所でした。歴史的にも丹生川上神社は特別な場所だと感じます。

 

拝殿に掲げられている額
「神雨霑灑」は神の雨がうるほしそそぎ、
恩恵をほどこすの意味

 

田中:吉野という歴史に深く関わる地であり、古代から受け継がれた信仰の伝わる地でもある、豊かな自然に囲まれた川上の地域は、奈良県内でも屈指の魅力溢れる場所のひとつだと思います。長い歴史と発掘された祭祀についても、後ほど、お二人に詳しくお話しいただきたいと思います。

 

 

人のご縁に導かれて

次に、望月宮司が丹生川上神社の宮司に就任されるまで、その生い立ち、神道を志したきっかけについてお聞かせください。

 

宮司:白髭神社の神主だった祖父がきっかけでした。祖父と同じ道を志したいと。

 

上野:それは、素晴らしい。とても喜ばれたことでしょう。

 

宮司:皇學館大学卒業後は、静岡市の浅間神社に12年間お世話になりました。

 

上野:元NHKアナウンサーの山川静夫さんのお父様、山川豊次さんが宮司をされていた頃ですね。

 

宮司:はい。ご子息にも大変お世話になりました。それから、山川豊次宮司が亡くなられ、新しく神社の結婚式場の事業を担当させていただくことになったのですが、マイクロバスの運転や接客などの業務ばかりでした。

 

田中:神社にはいろいろなお仕事があるのですね。まるで、ホテルマンのように感じます。

 

宮司:そうですね。父からは「お前は神主になるために大学で学んできたのではないか」と叱られ、悩みました。そんな時に、神奈川県の寒川(さむかわ)神社から声をかけていただきました。それから22年間、お世話になりました。

 

望月宮司
望月康麿宮司

 

上野:なるほど、浅間神社では富士山(山)、寒川神社では海の奉祀をされてきたのですね。

 

田中:丹生川上神社上社の宮司に就任されたきっかけは、どのようなものだったのでしょうか?

 

宮司:12年前、寒川神社の組織体制が変わったことなどから静岡へ帰ることにしました。叔父が津島神社を引き継いでくれていたので、禰宜として奉仕していましたが、その生活が2年ほど過ぎた頃、大学の先輩から連絡をいただきました。

 

※禰宜(ねぎ)は宮司を補佐する神職の職名。

 

当時、大学の神職養成部長、現在徳島県の大麻比古神社の圓藤恭久宮司からの連絡で、「実は丹生川上神社上社が遷座後の護持運営が大変で、疲弊困窮している。見に行ってくれるだけでも良いので、考えてくれないか」という相談をいただきました。

 

それから、大学の先輩で寒川神社時代に「全国一の宮会」でお世話になっていた、桜井市の大神神社・鈴木寛治宮司にも背中を押していただき、丹生川上神社上社の宮司として就任させていただいた次第です。

 

※「一の宮」は神社の格をあらわす分類のひとつで、その地域の中で最も社格の高いとされる神社を指す。全国の一の宮の神社が加盟している団体のこと。

 

上野:大学院の研究でも丹生川上神社上社について、調査をさせていただいております。宮司が就任されてから境内の整備なども進められ、良い方向に変わられたな、と感心しておりました。

 

 

丹生川上神社上社の宮司として

上野:浅間神社、寒川神社、郷里の津島神社の奉仕をされてきた宮司ですが、丹生川上神社上社に就任されて、土地の「気」というものを、やはり感じられるのでしょうか?

 

上野誠教授
上野誠教授

 

宮司:とても感じます。特に早朝と夕刻、そして水の神様をお祀りしていることからでしょうか、雨の時も強く感じます。私が経験してきた神社は、職員が何十人もいる大きな神社でしたので、組織の体制が整えられて業務は分担されていました。

 

今の社では全てを一人で奉仕するので、気もより深く感じられるのだと思います。偉そうなことは言えませんが神主冥利に尽きますね。

 

丹生川上神社上社ご祈祷の様子1
正式参拝(玉串奉奠/たまぐしほうてん)の様子

 

田中:たった一人で。就任されたばかりの頃は、特に大変だったのでは?

 

宮司:残念なことに前任の宮司からの引継ぎ期間は1日だけでした。特に、毎月1日の朔旦祭(さくたんさい)、毎朝の日供祭(にっくいさい)などの神事についても、「その神事の内容は宮司が考えれば良い」と言われてしまい、大変でしたね。

 

上野:それは厳しい。就任したばかりは、そのような状況だったのですね。

 

宮司:翌朝から日供祭の前に祝詞を書き、1年間お祀りの度に祝詞を書き加えていき、ご奉仕しました。幸いなことに、数代前の宮司による祝詞の下書きが残っていて、参考にできたことが良かったです。

 

お宮参りや厄除けなどのご祈祷の奉仕内容は、これまでの私の経験をもとに進めていきました。当時の私は58歳、その年齢だから何とかご奉仕できたのだと思います。

 

丹生川上神社上社ご祈祷の様子2
正式参拝(御幣振り)の様子

 

 

地域の信仰について

田中:当時は一から神社を立て直すことから始まったのですね。その中で、地域に根付く神社として認知されるために、地域の人々との交流も特に大切にされてきたと思います。どのようにして地域から理解を得たのでしょうか?

 

宮司:私が就任時、実は地域の半分の人たちは丹生川上神社上社には来たことがない、という状態でした。その理由は、丹生川上神社上社の遷座にあります。

 

上野:大滝ダムの建設で、境内が水没してしまうことが決まり、今の高台へ遷座されたことですね。当時、地域住民によるダム建設反対運動はすごいものだったと知られています。

 

吉野郡川上村大滝の大滝ダム
吉野郡川上村大滝の大滝ダム

出典:奈良県川上村 大滝ダム・学べる防災ステーション

 

※昭和34年(1959年)の伊勢湾台風による大水害を機に建設されたダム。地域住民の反対運動により、ダム建設に長い期間を有した。

 

 

宮司:先々代の宮司から、遷座は地域住民の協力は一切求めずに進められたと聞きました。もちろん、地域住民の方々のご負担がなく、遷座したことは素晴らしいことです。

 

ただ、地域住民は今の生活を守るために国との話し合いを進めるなか、神社は国から補償をいただき順調に遷座が進められたために、本来、氏子より理解と赤誠を頂き進められるべき信仰による遷座の姿が失われてしまいました。

 

なので、地域住民の信仰を取り戻すということはとても難しいことでした。

 

上野:同じ地域の人たちが共同で祀る、氏神という意識自体が薄れてしまったということですね。宮司は、この意識を大切に思われていたからこそ、今の丹生川上神社上社があると思います。

 

 

遷座後、村民との交流

田中:当時はどのようにして地域の人々とコミュニケーションを築き、信仰を取り戻されたのでしょうか?

 

宮司:まずは、地域住民の人たちに境内に来てもらおうと考えました。神饌には欠かせないお神酒がありますが、私自身、お酒がとても好きだったものですから、会食を境内で催し、一緒にお酒を飲みながら皆様とお話しをする機会を増やしました。

 

春・秋の大きな例祭には、村内のすべてにご案内状をお届けするほか、村長・区長とも情報交換をしつつ、ぜひ神社へ足を運んでほしい、とお願いも続けました。

 

それを約6年間続け、少しずつ地域の人たちが訪れる神社になってくれました。地域の人たちが訪れる神社は、地域外の人たちも自ずと来てくれるようになる、と学びましたがその通りでした。

 

上野:豊明(とよのあかり)という儀式や宴会があるように、お酒を飲み、頬を赤くすることが神様に近づく、とも言われ続けています。地域交流にそれを取り入れたことは、良い方法だと感じます。

 

例大祭での神輿渡御(みこしとぎょ)

 

神事には地域住民をはじめ、多くの人が境内へ訪れる

 

 

丹生川上神社の祭祀について

田中:ここからは、丹生川上神社の歴史とともに祭祀についても詳しく見ていきたいと思います。歴代の天皇の命で祭祀が行われていましたが、応仁の乱(1467年)以降、奉幣も途絶え、社地の所在もわからなくなってしまったと記録があります。

 

宮司:実は、この社地の所在がなくなった点については、私自身、疑問に思っています。応仁の乱の11年間で社殿は焼き討ちにあってしまった、という説もありますが、表現としては「衰退」の方が良いかもしれません。

 

大滝ダム建設による遷座時に発見された遺構の調査でも、もともと建物がなく、石の祭祀場のみがあったのではないか、と私は思っています。

 

ダム水没前の元境内地の発掘調査の様子

 

平安時代末期の本殿基壇跡

 

上野:基本的に社殿ができるのは、日本の神道の歴史では奈良時代以降ですからね。それまでは、いわゆる露天祭祀というもので、岩場などを祭場として神様をお招きするというものでした。

 

社殿がないということは、おそらく地域の至るところに祭場があり、その時々にあわせてお祀りする場所が選ばれていたのでは。

 

社殿があったとしても、お祀り自体は、露天祭祀で行われた可能性が高いと思います。例えば、春日若宮おん祭では本殿から仮宮へお遷しするように、村の祭祀の場合でも同様に仮宮へお遷しして露天祭祀が行われたのではと思います。

 

旧境内発掘調査時に縄文時代の祭祀遺跡が多数発見された
(川上村迫森と水の源流館提供)

 

 

馬の奉納と雨乞い

田中:祭祀について、天皇が白い馬・黒い馬を奉納したという記録も興味深いですね。

 

宮司:雨が降ってほしいときには黒毛馬を、晴れてほしいときには白毛馬を奉納しました。奉納された馬は、その地に放牧されたと記録があります。実はこのような特別な馬を奉納したという記録は、丹生川上神社と京都の貴船神社の2社のみと言われています。

 

拝殿内に掲げられている白毛・黒毛の絵馬

 

上野:馬をお供えすることは、広くユーラシア大陸で見ると、元を辿れば生贄祭祀です。生贄をして雨を降らせるといった、河伯信仰があった時代以降の話ですが、これが日本に伝わりました。ただし、生贄にはしない、放牧という形に変わったようです。

 

さらにそれも可哀そうだとなり、土でつくった土馬を使い、祭祀が行われたと考えられます。これは律令国家の時代に頻繁に行われ、平城京周辺の溝や川の周辺から土馬がたくさん出土したからですね。

 

そして、土馬から絵馬の時代へと繋がっていくわけです。どちらにしても、水の神を祀る雨乞いに使われた説が有力で、かなりの広範囲で行われていたと考えられます。

 

 

丹生川上神社の本社の謎

田中:明治以降には丹生川上神社の本社はどこにあったのか、と大きな論争を巻き起こしていきます。現代でも丹生川上神社の上社・中社・下社のどこに所在していたのか、という謎は残ったままです。

 

宮司:明治4年に神社の等級を決める「社格制度」が定められ、天皇が祈願をした丹生川上神社は、最高位の官幣大社として調査がはじまりました。

 

最初に選ばれたのが、下市町の下社で、目の前に丹生川という川が流れ、丹生大明神と呼ばれていたことから、ここに社殿があったことが有力であるとされていました。

 

しかし、当時の下社宮司が「下社では古文書による神社の方角が合致しない」と指摘があり、明治政府が再調査をし、上社を奥宮、下社を口宮とし、2つが官幣大社となりました。さらに、大正11年には、東吉野村の蟻通(ありどおし)神社が中社となりました。

 

丹生川上神社中社

 

丹生川上神社下社

 

田中:それから各々が独自で活動し、どこに本社社殿があったのかを主張してきたことが、論争の始まりだったのですね。

 

上野:社格制度はその時の政治家・学者の力により左右された部分もあったかと思います。特に奈良では森口奈良吉さんの力も強かったのではないでしょうか。

 

ただ、それぞれの神社の主張はあって良いことで、とても重要なことだと思います。

 

森口奈良吉(もりぐちならきち)

明治〜昭和時代の教育者であり、神職。春日大社の宮司もつとめた。東吉野の蟻通神社を延喜式内の大社丹生川上神社に比定するため奔走した。

 

 

水の神の祭祀という視点から見た場合、祭祀は基本的に住んでいる平地よりも川上で行われます。昭和30年代頃まで、雨乞いの祈願のために山にのぼり「なもで踊り」という伝統もあったことや、川をさかのぼって、水が生まれる場所へお祈りに行く、という水神祭祀の基本であることからも想定できます。

 

宮司:本社の所在地については各社が主張していたこともあり、私が宮司に就任した頃は、この三社が各々独自で活動していました。

 

いずれも過疎地の問題を抱えているのだから、共存共栄をめざして、地域のために活動すべきだと思い、各神社と相談し三社参りをはじめました。

 

三社の思いは少しずつ広まっていき、今では関東方面からも参拝に来ていただけるようになりました。未来を見据えて、三社で協力して活動をしていくことが私の願いでもあります。

 

三社参りで実現した三社による御朱印

 

 

 

地域の神社として重要なこと

田中:明治以降に社殿の所在について多くの争いはされましたが、当時は川上という地域に多くの祭場があったことから、広く一体で捉えるべきだという宮司の意見は、上野教授の歴史的な見解とも通じますね。

 

上野:どこにあったのか、というものではなく日本の歴史が変わる時間軸として吉野・丹生川上を捉えたほうが良いと感じます。

 

特に丹生川上神社の場合、白い馬・黒い馬を奉納するという祭祀は、天皇自らがおこなったということから、地域に限定されたものではなく、日本全国の雨乞いを祈願したと思われます。

 

宮司の願いのように、上社・中社・下社の隔てなく、広域の丹生川上神社として捉えることが、その神社や地域の人々にとっても幸せなことだと感じました。

 

そして、近代の歴史では残された資料を重視されがちですが、信仰上で大切なことは「伝え」だと私は思います。

 

宮司:地域の人々から、ダムの底に沈んだ当時の境内についてのお話しを聞かせていただくことがあります。ただ、その当時の祭祀については、人々の記憶が薄れているほか記録もあまり残っていません。現存する資料から、当時の祭祀の様子を再現し、後世に伝えていきたいですね。

 

お祓いする望月宮司

 

 

信仰のために

田中:信仰の形という点では、昨年、YouTuberの動画で紹介されたことでも丹生川上神社が話題になりましたが、このようなネットを活用した発信方法について、宮司はどう思われているでしょうか?

 

宮司:昨年6月末に、パワースポット巡りを動画で紹介されているYouTuberの方が訪ねてこられました。私は直接お会いできなかったのですが、とても紳士的に取材をされ動画でご紹介いただきました。

 

7月に入ってちょうど新型コロナウイルスの緊急事態宣言が解除された時期と重なったこともあり、連日、駐車場がいっぱいになるほど、多くの方々に参拝していただきました。

 

その参拝者の方々の多くが、YouTubeを視聴されていたようです。一過性のものかと思っていたのですが、12月頃まで多くの方にご参拝いただき嬉しい悲鳴でした。

 

下社・中社も同じ状況で、各神社のこれまでの地道な宣伝活動もつながって、このような結果になったのでは、と思います。

 

上野:YouTubeという思わぬ出合いがあったとき、その後に信仰が定着するかどうかは、神社のこれまでの歩み、歴史のある「伝え」が必要かと思います。

 

何の根拠もない場所なら、すぐに人々から見抜かれてしまい、一過性に終わってしまうのでしょう。このような大きな広がりから、崇敬者になる可能性もある、今の時代ならではと感じます。

 

宮司:丹生川上神社上社へ参拝に来られる方々で、ずっと空を見上げていることがあります。空にたくさん龍神様がいる、と。ただの観光で訪れていることは少ない、と感じることが多くありますね。

 

丹生川上神社上社の龍神護符

 

上野:本当に信仰を求めて訪れる人が多いのですね。

 

田中:日本全国で水神信仰は多くありますが、この吉野という土地の丹生川上神社は改めて特別な存在だと感じます。長い歴史と関わってきた人々、現代の人々の信仰からも伝わりますね。

 

かつては社格をめぐり各神社で争いがあった時代もありましたが、現代では手を取り合って三社巡りを展開するなど、地域の人々をはじめ、全国にも信仰を広め伝えておられます。

 

丹生川上神社の各神社での協力した取組みは、これからの時代に重要なことだと感じました。

 

 

 

地域の未来に必要なこと

田中:宮司は信仰の未来について、どのようなお考えをお持ちでしょうか?

 

宮司:神社本来の姿を未来へ残すべきかと考えています。昨今、いくつかの神社仏閣では世情に流され過ぎているように感じます。

 

各々事情はあると思いますが、令和の記念のお札や、新型コロナの蔓延防止にあわせたお守り、御朱印が流行しているからと安易な考えで授与したりなど、世情に流されて商売的なことをしてはいけないと思っています。

 

本来の姿というのは、伊勢神宮のように何千年も神主さんたちが努力し、信仰を受け継いでいくことだと思います。私自身そうありたいと願っているし、地方の小さな寺社仏閣でも、そうあるべきだと感じます。

 

自然のなかに八百万(やおよろず)の神様を感じ、全てに感謝する本来の信仰の在り方を維持し、後世へつないでいきたいと考えています。

 

また、神社というものは常に奇麗であるべきだと感じます。伊勢神宮が清々しい気を感じるのは、境内が奇麗なこともあげられます。ゴミ一つ落ちていません。これは職員の一人ひとりの努力で保たれています。その姿を、他の神社も見習って努力をすべきだと思います。

 

 

上野:境内を積極的に美しく整備されていたことには、宮司のそのような思いも込められていたのですね。

 

宮司:まだまだ私も微力ですが、就任当時、境内へさまざまに設置されていた看板を統一して調和のとれたものにし、一貫して奇麗であることにこだわりました。

 

上野:私は神社を研究するとき、この神社は「足し算」なのか「引き算」なのか、と観察します。わかりやすい「足し算」の例は鳥居の数などがあり、各神社によって個性は違いますが、伊勢神宮は引き算、丹生川上神社上社の境内や宮司ご本人からも「引き算の美学」を感じますね。

 

 

田中:多くの要素を追加して美しく見せるといったものではなく、無駄をそぎ落として、本来の美しさを輝かせる、ということですね。

 

宮司:もちろん、信仰は形ではないという考えを否定する訳ではありません。しかし、境内だけでなく私自身もできる限り、着る袴なども清潔にするよう努めています。

 

ご奉仕する者は形・姿も清浄であるべきだと感じますし、私自身、そうありたいと考えています。この思いは次の神主へも引継ぎたいですね。

 

上野:確かに、水は人が生きるうえで必要なもの、環境問題の多くも水に関わるものが多いです。それを祀る神社は清浄でなければならない、説得力のあるお考えだと思います。

 

宮司:また、水神の祭祀を後世へ伝えることはもちろんですが、丹生川上村は人口減少と高齢化により、2040年には消滅してしまう村と言われています。その問題を解決するために村長や地域の人々が尽力されています。私たち神社も手を取り合うことで、過疎化対策の一助となるように努めたい、それも私の未来への願いです。

 

 

さいごに

田中:便利な世の中になった反面、情報が乱雑し多くのサービスが飽和状態となっている現代だからこそ、望月宮司や上野教授が指摘された、清浄であること、本来の美しい姿を見る、という考えは必要なことなのかもしれません。

 

そして何よりも、人と地域のつながり、人とのご縁の大切さを改めて感じさせてくれるお話しでした。そのような大切なことを教えてくれる場所のひとつが、丹生川上神社のように地域に受け継がれてきた神社であり、「伝え」だと感じます。

 

いかに未来へ、神社の伝えを受け継いでいくべきか、地域の人々や各神社が手を取り合って一緒に考えていくことが、今の私たちにできることではないでしょうか。

 

 

【丹生川上神社上社アクセス情報】

丹生川上神社上社の公式ホームページはこちら

 

取材協力/丹生川上神社上社

記事制作/奈良新聞社

 

 

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