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「いにま陶房」鈴木夫妻。やさしさが伝わるうつわ、ろくろを回すよろこび。

奈良県の吉野郡、川上村。
電車もバスも通らない、車でしか行けないようなこの集落に陶芸家の夫婦がいる。工房の名前は『いにま陶房』。

 

 

「いにま」とは南アメリカのインディオの言葉で「ものをつくる人」の意味。生涯ものづくりをするという決意の意味を込めて名前をつけたという。

鈴木雄一郎さんと妻・鈴木智子さんは焼き物の産地、信楽で出会い20年前にこの村へ移住した。吉野の山々に囲まれたこの場所で、制作に励んでいる。


 

鈴木雄一郎さんのつくるうつわは、つるっとした質感と丸みのあるかたちが特徴の「やさしい器シリーズ」。


 

 

妻・鈴木智子さんのうつわは、ざらりとした土の質感が特徴で、粉引きならではの柔らかな色合いやあたたかみが表現されている。

 

 

 

2人のつくるうつわは、表現方法は違うものの雰囲気は似ていて、一緒に食卓へ並べても違和感なく使えてどんな食材にも馴染みやすい。そんな2人にやさしい器シリーズが生まれた経緯や、陶芸との向き合い方について話を聞いた。

 

 

誰もが使える、やさしい器に

 

雄一郎さんがつくる「やさしい器」シリーズは、大人も子どもも気兼ねなく使えるうつわとして何回も試行錯誤を重ねた結果、今のかたちにたどり着いた。

 

“ 名前にある「やさしい」は、使う人にとって心地よく使ってほしいという気持ちを込めています。日常生活の中で、「食卓を囲む時間」って楽しいひとときだと思うんです。私が幼いとき、両親が忙しくなかなか家族みんなで集まってご飯を食べる機会が少ない中、日曜日などの休日に揃うときがありました。そのときのうれしい気持ちって今でもよく覚えていて。手作りの料理が並んで、会話が生まれて、ワイワイと賑やかだったんですよね。みんなで集まって食卓を囲むだけで、心がほぐれるし、やさしい気持ちになれる。だから、私自身この時間を大事にしていきたいなということと、そんなことを使う人にも味わってもらえたらいいなぁと、妻と考えて「やさしい器」という名前にしました。”

 

 

やさしい気持ちになれる器。

雄一郎さんは、ただやさしいだけではなく「誰もが使えることが大事」と付け加える。

 

“ 食卓って、子どもがいたり、高齢者や手が不自由な人がいたとしても、せっかくみんなで食べるのだから、みんな同じうつわでおいしいものを楽しみたいじゃないですか。割れないようにプラスチック製品を使うのもいいですが、陶器でも「使いやすさ」があれば誰でも同じ条件で使えるはず。この「やさしい器」は、そんな気持ちがベースにあります。”

 

誰もが使えるうつわに。その気持ちが湧き出たのは、奥さんの病気がきっかけだった。

“ 実は陶芸家でもある妻は数年前、脳の病気で左半身が麻痺しました。手足が思うように動かなくて病院での生活は長く続き、楽しいはずの食事時間もうつわを手に持つことができませんでした。動く方の手で出てきたものを、ただ口に入れるだけ。だんだんと食欲を失う妻の様子を見ていくのはとても辛いものでした。”

 

 

“ 病院の食事に使われるうつわはプラスチック製で、うつわを楽しむ機会も無くなりました。もちろん、病院では様々な事情でプラスチックのうつわを使用していることも理解していましたが、せめてマグカップだけでも私がつくった陶器のものを使ってほしいと思い、妻へ渡して使ってもらったのです。そうしたら妻が、「陶器のうつわで飲むお茶はやっぱり美味しい!」とよろこんでくれました。そのとき、改めてうつわの持つ力を感じることが出来たんです。”

 

 

うつわが変わればおいしさが変わるー智子さんの病気をきっかけに実感し、使う人の目線へ意識が向くようになった雄一郎さん。そんな雄一郎さんがつくる「やさしい器」は、誰もが使えるような「やさしさ」がいたる所にほどこされている。

ご飯が最後の一粒まですくえるように、口の下にスプーンをひっかけることができる「くぼみ」をつくっていること。

 

 

手を添えやすいような丸みと高さになるよう工夫していること。高台も広めにとって安定感を出している。

 

 

 

子どもに離乳食をあげるお母さんだって、滑らずしっかりと持てるように。


さらに、リム(うつわの口の部分)を大きめにして、手を添えやすいようにしてある。それを、雄一郎さんは「利き手以外の手も、食事に参加してもらいたい」と説明する。

 

“ リムを大きくしているのは手を置きやすくするためです。例えば右手が利き手の人でも、利き手ではない左手も食事に参加してもらいたい。そんなときにうつわに「手を置く場所」があると自然なかたちで参加できると思うんです。子どもや妻のように麻痺して片手が動かない人でも、両手を動かして食事をすることで生きている実感、自信につながる。実体験から生まれた工夫なんです。 ”

 

 

毎日三食、食べることはくり返しのことだけれど、その三食の中で「うつわを触る」という感覚は、おいしい要素をつくる1つになるのかもしれない。雄一郎さんが考える「やさしさ」には、食事をよろこびとして体験する工夫が詰まっている。

 

 

最高の幸福を味わうために

 

妻の鈴木智子さんは「日常の暮らしの中で見るもの、体験すること」が制作に大きく影響していると言う。

 

“ 私は、子どもと散歩しているときに見つけたどんぐりの帽子をモチーフにカフェオレボウルをつくったり、きれいだなと感じた木漏れ日をうつわに映し取ってみたりと自然物から受けている影響は大きいと思います。ただ、いいなと思ったイメージをかたちとしてつくり出すことは本当に難しくて。私の作品の場合は、釉薬と絵付け、焼きの作業が肝になってきます。再現したい完成形のイメージははっきりあって、それに近いものをつくれるように可能な限りデータを取って、あとは感覚的なところで何度も試行錯誤してつくっています。”

 

 

雄一郎さんは、智子さんの作品を「絵画的要素が強い」と言う。納得ができる色や模様が出るまで、色んなパターンで何度も釉薬を調合したり、刷毛で色を重ねたり、奥行きを出すためにうつわにスポンジをたたき続ける。緻密な作業をひたすらやり続ける智子さんの姿を見て、雄一郎さんは「すごいなぁ」と感心しているのだそう。

 

“ 1つのうつわをつくり出すのは、気が遠くなるほど大変で細かい作業なのですが、納得できるものが見えてきたときに味わう幸福感はなんとも言えないものがあります。心の中はうれしさで興奮しているけれど、頭では冷静に、静かに淡々と作業を続ける。そのときが一番、作家としてやってきてよかったなと感じていて。これはもう最高の幸福感であり、「いまを生きる感覚」を実感できる瞬間でもあります。”

 

 

おだやかで物静かな智子さんから、淡々と語られる幸福の話。それは、ものづくりをする人だからこそ行きつくことができる醍醐味なのだろう。さらには智子さんが感じる幸福には、病気を経て、再びろくろを回すことが出来るようになったよろこびも入り混じっているようで、その言葉の中に奥行きを感じた。

 

 

時間の流れとものづくりの関係

 

“ 信楽からこの川上村に来て、時間の流れが合うなぁと日々感じています。それは、物理的な時間の流れではなく、感覚として感じる時間の流れ。誰かにせかされるようなことはなくて、自分たちのペースでものづくりができる。人との距離感も心地よくて。”

 

 

“ 子どもが産まれたことも大きな転機でした。それまではアート志向が強いオブジェなどをつくっていたのですが、子どもが産まれてから食卓にいる時間が増えて日々の暮らしに気持ちが向くようになりました。自分がつくったものを使うのはうれしいし、家族が楽しそうに使ってくれるのもうれしい。もっと日常で使えるものをつくりたい。そこから、制作の方向性のピントが合ってきて自分の向かうべき道が見えたのです。
さらにこの場所は工房(仕事場)と自宅が一緒になっているので、生活していてふと思いついたアイデアはすぐに工房でつくることができる。暮らしに近いところで陶芸に向き合える環境なんです。”

 

 

 

“ ここから見える景色もいいんですよ。ふと工房から見上げたら朝日が昇っていたり、雲海が見えたり…。おだやかな時間が流れるこの場所で暮らすことは、作品づくりに大きく影響していると思います。”

 

写真を撮らせてもらいながら、雄一郎さんと智子さんが言う「工房から見える景色」ってきっとここから見るものだろうと考えながらシャッターを押した。

 

 

ろくろを回しながらふっと顔をあげたら目の前に広がる景色。毎日、少しづつ違うのだろうけれど、きっとこの景色を見ながら考える大切なことは揺るぎないのだろうと、思いを馳せながら私はこの写真を何度も見返した。


最後に、これから2人が大切にしていきたいことを教えてくれた。

 

“ 心に時間のゆとりを持てること。自分の心が安定していないと、いいものがつくれないんです。だから、しんどくなるまではやらないって決めています。それはきっと、使う人にも伝わってしまうから。”

 

日々の暮らしをどんな場所で、どう過ごすか。
選択は人それぞれだけど、雄一郎さんと智子さんがこの場所を選び、ここで「やさしい器」をはじめとしてたくさんの作品が生まれたこと、そこに込められた気持ちや使いやすさの理由が分かったような気がした。

 

 

【プレゼント情報】※プレゼント応募期間は終了しました。

記事で紹介した「やさしい器」シリーズのペアセットを奈良新聞デジタルのスタンダード会員限定でプレゼントします。ご興味のある方は、会員に登録の上、ご応募下さい。※プレゼント応募の締切は2020年3月10日12時(正午)となります。

 

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具沢山のスープやシチュー、どんぶり、雑炊、麺鉢と使い回しのきく便利な大きさの「リムボウル」と、最後の一粒までご飯がすくえる「カレー皿」です。

 

 

色はイエローでスタッキングもできます。

 

 

 

 

 

 

[取材協力]いにま陶房

ライター・撮影松下恭子

 

 

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