特集奈良ラーメン探検隊活動中!

国原譜

奈良時代の興福寺の鐘楼は、スカートのよ…

 奈良時代の興福寺の鐘楼は、スカートのような構造の「袴腰」で下層が覆われていた可能性が高いことが奈良文化財研究所の調査でわかった。袴腰がある鐘楼の最古例になる可能性があるらしい。

 同寺の袴腰付きの鐘楼は鎌倉時代の「春日権現験記」などの絵図にも描かれている。今回の調査で絵図の正確さが裏付けられたといえる。

 こうした調査に不可欠な史料が伝来したのは、都が遷った後も同寺に力があったから。中世には多くの僧兵を従え、実質的に大和を支配した。

 皇族や公家、武士ら有力者の子息も入寺。室町幕府最後の将軍足利義昭もその一人で、放映中のNHK大河ドラマ「麒麟が来る」では「覚慶」という法名で登場している。

 しかし、寺の歴史は常に順風満帆だったわけではない。特に明治維新直後は廃仏毀釈(きしゃく)で打撃を受け、多くの寺宝が流出した。

 最も重要な建物である中金堂も1300年間に6回焼失し、その都度再建された。今、発掘調査で歴史のロマンが感じられるのも、寺を守った先人たちのおかげだということを忘れてはいけない。(法)

特集記事

人気記事

  • 奈良の逸品 47CLUBに参加している奈良の商店や商品をご紹介
  • 奈良遺産70 奈良新聞創刊70周年プロジェクト
  • 出版情報 出版物のご購入はこちらから
  • 特選ホームページガイド