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飛鳥時代最大の方墳 - 墳丘西裾に盛り土 南辺東西幅80メートル超/明日香・小山田古墳

見つかった墳丘西裾の盛り土=26日撮影、明日香村川原の小山田古墳 拡大

 舒明天皇(641年没)の初葬墓や蘇我蝦夷(645年没)の墓ではないかとみられている、明日香村川原の小山田古墳(7世紀中ごろ)で、墳丘西裾の盛り土が見つかり、県立橿原考古学研究所が31日、発表した。墳丘裾の平面形は南に開いた台形状を呈し、南辺付近の東西幅は80メートルを超えることが判明。橿考研は「飛鳥時代最大の方墳になることは確実」としている。

 小山田古墳はこれまで1辺約70メートルの正方形の方墳と推定されていた。今回、墳丘西辺を確認するため約64平方メートルを調査した。

 その結果、墳丘の盛り土を確認。西裾は墳丘北裾と比べて約2メートル低く、地形の傾斜などから墳丘裾部の平面形は南に向かってやや開くことが分かった。

 墳丘から流れた後世の堆積土からは、室生安山岩(榛原石)や結晶片岩の板石の破片が大量に出土。平成26年度調査で確認された墳丘北辺の板石積みと同じ石材で、西辺も板石を積んで装飾していたと考えられる。

 今回確認された墳丘西裾から、石室の痕跡から推定される古墳中軸線上までの距離は約39・7メートル。東辺は確認できていないものの、板石積みを含めると南辺の東西幅は80メートルを超えることが確実となった。北辺は計算上約72メートル。

 これまで飛鳥時代最大の方墳とされていたのは千葉県栄町の龍角寺岩屋古墳(1辺約78メートル)で、それを上回る規模になる。

 墳丘から流れた土の堆積土を掘りこんで埋納した土器の棺も検出。土器の年代から少なくとも7世紀後半までに、古墳の板石積みは取り外されたことが改めて分かった。

 白石太一郎・大阪府立近つ飛鳥博物館名誉館長は「古墳時代終末期では最大の方墳で、7世紀前半の大王墓より一回り大きいことが明らかになったのは重要な成果」と話す。

 現地説明会は3日午前10時から午後3時まで開催。小雨決行(悪天候時は中止)。県立明日香養護学校の西側グラウンドが出入り口になる。駐車場はないため、橿考研は公共交通機関の利用を呼び掛けている。

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