考古学

「吉野宮」可能性高まる - 大型建物跡発見/宮滝遺跡

奈良時代前半の大型建物跡とみられる遺跡=吉野町宮滝の宮滝遺跡(吉野町教育委員会提供) 拡大

 吉野町教育委員会と県立橿原考古学研究所は15日、聖武天皇らが行幸したとされる「吉野宮・離宮」の有力候補地の宮滝遺跡(同町宮滝)で、奈良時代前半(8世紀前半)の大型建物跡が見つかったと発表した。古代の天皇の宮殿にだけ許された様式の建物で、専門家らは「聖武朝などの内裏正殿のような中心的な建物だったと考えられる」としている。

 史跡公園の整備に伴う調査。大型の掘っ立て柱建物跡は平成元年に東端部分が出土しており、その全容解明のため昨年12月から今年3月まで、約130平方メートルを調査した。

 建物跡は東西9間(約23・7メートル)、南北5間(約9・6メートル)で、同遺跡の建物としては最大規模であることが判明。四方に庇(ひさし)が付き、周囲には石敷きがあったとみられる。柱の間隔は東西で2・7メートル、南北で1・8メートル。庇の部分に限っては、東西で2・4メートル、南北で2・1メートルだった。

 年代を絞り込む遺物を欠くものの、奈良時代前半の石敷きや石組み溝などと方位が合致することから時期を判断した。また柱を据えるために掘った穴の一部では、複数回建て替えた跡が確認された。

 大型建物跡から西に20メートルの位置には掘っ立て柱塀が確認された。建物と並行して建てられていたことから、区画する役割があったとみられる。

 橿考研によると、東西9間、南北5間の建物様式は、平城宮内裏正殿などにみられる「古代における最高位の格式」。奈良時代に元正、聖武天皇が行幸した吉野宮・離宮の中心的な建物と考えられるという。現場は既に埋め戻され、現地説明会は行われない。



 前園実知雄・奈良芸術短期大学教授(考古学)の話

 あれほど大きな建物になり、驚いた。大きさから天皇が住まいした内裏正殿のような建物と考えられる。聖武朝の時期に一段低い場所を大規模に整地して建てており、意思を感じる。吉野宮に行幸した斉明天皇や持統天皇からの政(まつりごと)の系譜を引いた特別な場所だったのだろう。周辺で他の建物も見つかると予測され、今後の調査が期待される。

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