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やまと建築詩

栗野家住宅(宇陀市榛原区)

左右表裏で異なる屋根

MainPhoto

▲ドマとザシキを仕切る戸。大小さまざまな傷が建物の歴史を物語るかのよう

『 盾並(たてな)めて 伊那佐の山の 木(こ)の間よも い行きまもらひ 戦へば 吾はや飢(ゑ)ぬ 島つ鳥 鵜養(うがひ)が伴(とも) 今助(す)けに来ね(神武記) 』

 宇陀市榛原区栗谷は、江戸末期には和州宇陀郡伊那佐村栗谷郷と呼ばれた地。伊那佐の地名の歴史は古く古事記にも登場する。栗谷の地名も栗谷郷として古くから呼ばれていた。明治初期には栗谷外十三カ村の戸長役場が置かれていた。


▲縁側から光が差し込むブツマ。
手前の部屋とは板戸で仕切る


▲歴史を感じさせる神棚も

▲大正時代ごろに瓦屋根が
追加されたひさし。
ブリキの屋根は手前と奥で
こう配が違っている

 本家は約50代続き、代々栗野源三郎を名乗った。近くを流れる芳野川の東岸沿いに八大字の土地を持つ大地主でもあった。4代前に分家したのが栗野家。敷地内には主屋、離れ座敷、門屋、物置があるが、古くから残るのは主屋。

 建築は慶応元(1865)年と伝えられる典型的な田の字型の座敷の農家住宅。入り母屋造りの大きなわらぶき屋根をもつ。軒のひさしと瓦は大正時代ごろに追加された。わらぶき屋根を覆うトタンは昭和45年ごろに設置した。玄関のある表側と山が迫る建物裏側で屋根の傾斜が違っているのが特徴。



▲裏山を背景に建つ栗野家住宅。
トタンで覆った屋根が左右や表裏で異なる


 ケヤキやクリ、アカマツなどを使い、くぎを使わず建てられ、江戸末期や昭和初期の大地震にも耐えた。玄関から入るとドマの上に大きく曲がった太い梁(はり)が目に入る。左手の板戸を開けてザシキに入る。四間のうち左手奥がトコと仏壇があるブツマになる。ドマ奥はイタノマ、その右手はダイドコロ。ドマ右手は元の牛小屋。天井裏には使用人の部屋もある。

 現在は、ダイドコロは床が張られ、牛小屋は風呂になるなど少しずつ改造されてはいるが、東宇陀地域の典型的な農家住宅といわれ、往時を保つ。



DATA

● 栗野家住宅 ●

宇陀市榛原区栗谷560

見学は外観のみ可能。見学希望者は、明治・大正・昭和初期の古民家を大切にする会事務局で日程などの調整を。

◎見学料は無料

電話:0745(82)6034

情報が古くなっている場合がございますので、ご利用の際は必ず事前にお問い合わせください。

写真・文 本紙・藤井博信 (日本写真家協会会員)

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