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やまと建築詩

旧小川小学校(東吉野村)

歴史刻んだ白壁と板壁

 明治6年に東吉野村小川で民家を借りて開校した「明徳舎」が、この春閉校した小川小学校の約130年に及ぶ歴史の始まりだった。当時は生徒が61人で、先生は1人で教えていたという。

▲夕日に浮かぶ旧小川小学校校舎。白壁と板壁のコントラストが美しい

 同校は明治9年に教室が狭くなったため近くの宝泉寺薬師堂に移転。そして明治35年に現在地に小川高等小学校が新築される。何度か校舎改修や増築が行われたが、昭和20年1月21日午後3時、3、4年の複式教室のストーブ付近から出火し、本館が全焼した。このため、同22年から1年4カ月をかけて新校舎が建てられ、小川中学と併用で授業を始めた。この校舎が現存する校舎である。

 昭和33年の小川、四郷、高見の3村合併で東吉野村が誕生したとき、村内には小学校10校、同分校2校、中学校3校があったが、中学校は昭和48年に1校に統合された。村内の小学校は平成16年度には小川と高見の2校あったが、同17年春、この2校が合併して東吉野小学校として発足した。

 新しく発足した東吉野小学校は児童数が約110人と合併前の約70人に比べて大幅に増える。今年度は同村木津の旧高見小学校を利用し、4月6日に開校式を行う。この間、旧小川小学校を取り壊して新校舎を建設。来年度から新校舎を使用する。新校舎は鉄筋コンクリートの柱に内装などに木をふんだんに使った木造風校舎になる。

 小川小学校の下には県道に沿って立派な石垣が続く。これは明治35年に小川高等小学校が建てられた際にできた。同村近隣の石工に呼びかけたが完成できず、熊野の名人といわれる石工を招いて完成させたもの。

 白壁と板壁のコントラストが美しい校舎。内部には昔、作法室として使われた和室や広い児童集会室などもある。中学と併設していたときは正面に向かって左側が小学校、右側が中学として使っていたという。昭和38年ごろから同50年ごろのピーク時には小・中学合わせて約400人がこの校舎で学んでいたという。

 撮影に訪れたこの日、かつて同校の教壇に立ったOBたちが訪れていた。校舎との別れを惜しむかのように懐かしそうに校舎内を歩きながら昔の教室の位置などを確かめる姿もあった。机やいすなどの備品はすでに持ち出され、がらんとした校舎を見ると少し寂しげな風景だったが、来年、新校舎に生まれ変わり子供たちの喜ぶ姿に期待したい。

▲正面に向かって右側の階段

▲長く続く1階の廊下
大きな窓から光がふりそそぐ

▲1階の1年生の教室では名残を惜しむ言葉も

▲卒業生を送り出した後の6年生の教室
広い部屋に7つの机が並んでいた

DATA

● 東吉野村立旧小川小学校 ●

東吉野村小川604

高見小学校と合併し東吉野小学校として4月よりスタート。
旧校舎は新校舎建設のため近く取壊される。

情報が古くなっている場合がございますので、ご利用の際は必ず事前にお問い合わせください。

写真・文 本紙・藤井博信 (日本写真家協会会員)

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