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万葉の景色

国境の神

北国に続く歌姫街道

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▲日没とともに灯ろうに火がともり、幻想的な雰囲気に。
歌姫街道沿いにたたずむ、ここ添御縣坐神社は
国境と街道の神が祭られている(奈良市歌姫町)

 前回に続き、奈良市の奈良山かいわい。大和から山城への山越えの道を奈良山越えと呼んでいた。繰り返しになるが、奈良山という山があるわけではなく佐保・佐紀の山々の総称だが、平城宮跡の中ほどを北上する歌姫街道は北国への玄関口。大和平野を南北に貫く上つ道、中つ道、下つ道の一つ、下つ道の延長上にあり、ここが奈良山越えの道と考えるのが自然だ。

 ほかに今の県庁辺りから北上し奈良坂を越えて京都府木津町に至るルート(奈良街道)など、いずれも高低差はさほどないが山越えの道と思われる。車社会となった現在、人やモノの往来はJR関西線と並走する国道号バイパスが大半を占め、主役の座に。電車の車両基地があるJR平城山駅前には長屋王が詠んだ万葉歌碑がたたずみ、干支(えと)のモニュメントも見を引く。

『 佐保すぎて 寧楽(なら)の手向に 置く幣は  妹を目離れず 相見しめとそ 』 (巻3~300)

 「手向(たむけ)」は旅の安全を祈り、道の神に幣(ぬさ)を供えること、また、その場所といわれている。余談だが、坂道を登りつめたところで祈ったことから峠の語源を「たむけ」という説も。北国に旅立つ日、妻と片時さらず会っていたいと心境をしたためた。かの長屋王、佐保左大臣とも称され、佐保の地に屋敷があった。当代きっての知識人で、平城宮跡の邸宅発掘時、おびただしい文字資料群が日の目を見た。中でも地中からよみがえった3万5000点もの木簡は研究者の度肝を抜いた。

 歌姫街道に今もひっそり鎮座する添御縣坐(そうのみあがたにいます)神社境内にも同様の歌碑が建つ。佐紀の駐在所を北へ約10分、クスノキなどの樹木が茂る杜(もり)にあり道路沿いの鳥居をくぐるとおびただしい灯ろうが並ぶ。約80戸の氏子が守る社は簡素だが、手入れが行き届き国境沿いの神として古くから尊崇されていたことがうかがえる。朝夕、手を合わせる氏子らの姿も。

『 磐がねの こごしき山を 越えかねて 哭には泣くとも 色に出でめやも 』(巻3~301)

 こちらも妻との別れを悲しんで詠んだ長屋王の歌。悲劇の結末をたどる序章か…。ちょっぴりセンチメンタルに。日本海沿いの国々から多種多様な海産物や塩は平城京に運ばれたことは出土品などから明らかだが、どこを通りどう運ばれたのだろうか。2010年、平城遷都1300年を迎える年を目指し、宮の中枢・第一次大極殿の復元工事が進む。間近の街道も脚光を浴びることだろう。


写真と文 牡丹 賢治

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