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万葉の景色

太子ゆかりの達磨寺

達磨大師と問答の伝承

▲大和川に架かる大城橋は増水時、冠水する“潜水橋”。
生活路として地元の人らに親しまれ、のどかだ。
後方を走る電車は奈良と大阪を結ぶJR関西線大和路快速。
法隆寺、高井田の両駅も通る(河合町側から写す)

 和をもって貴しとなす…と、仏教思想に基づく和の世界の実現を追求した聖徳太子が斑鳩の宮から竹原井(現大阪府柏原市高井田)に行く最中、行き倒れの旅人を見つけ詠んだ歌がある。

『 家にあらば 妹が手まかむ 草枕 旅に臥(こや)せる この旅人あはれ 』
 (巻3―415)

 旅先ではみとる人もなく、かわいそうに…。万葉にとどめる太子唯一の歌だが、日本書紀にも同じように、旅人を悼む歌があり、自らの衣装を脱ぎ与え「…しなてる 片岡山に 飯に飢て 臥せる その旅人あはれ…」と詠んでいる。太子は塚を築き死者を手厚く葬った。さらに亡くなった人は並みの人ではないと予言。話は後々に語り継がれ、伏せた旅人は達磨大師だったという伝承が定説になる。達磨大師と聖徳太子を本尊として祀(まつ)る達磨寺が奈良盆地の西部、王寺町内にある。法隆寺の西南、直線で4キロ足らずの場所に位置し、約1400年前の創建という。

 そばを走る国道168号の拡幅を機に達磨寺は禅寺らしいたたずまいを残しつつ“平成の大改修”を終えた。本堂や庫裏を建て替え、境内を整備しこの4月、厳かに落慶法要を営んだ。基壇からの高さ約16メートル、真新しい入り母屋造りの本堂の西南角近くには推古天皇21(613)年、聖徳太子と達磨大師が出会い、歌を詠み交わした場所と伝える問答石がある。横に伏せているように見えるのが達磨石で、そこから南に10メートルほどの場所に太子石も。

 さて、法隆寺と達磨寺の間には奈良盆地を横断する大和川が流れる。もちろん、太子がたどった道は定かではないが、斑鳩町目安と河合町大輪田を結ぶ大城橋は太古の昔に逆戻りしたような思いにとらわれる。全長90メートル、幅約2メートルと自動車が一台やっと通れるほど。ガードレールや手すりもなく、増水時は冠水し通行止めになり、使い勝手はよくない。だが今も生活路として地元の人らに親しまれ、のどかだ。法隆寺五重塔が住宅の屋根越しに見え隠れする。

くろんど池

▲聖徳太子と達磨大師が出会い、
歌を詠み交わした場所という門答石の一つ、達磨石
(王寺町の達磨寺)


写真と文 牡丹 賢治

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