このページでは、Javascriptを使用しています
奈良新聞WEB トップへ戻る
 
←次へ 前へ→
万葉の景色

柳の渡し

都びと絶賛の吉野川

吉野川

▲悠々と流れる吉野川。かつて、この辺りに「柳の渡し」があり、
宿場町としてもにぎわった。
吉野町側からの眺めで、対岸を吉野と大阪を結ぶ近鉄電車が走る

 奈良、橿原方面から吉野へ。国道169号を南下、芦原トンネルを抜け、悠々と流れる吉野川を目の当たりにすると目的地にぐぅーと近づいた気がする。飛鳥から峠を越え、吉野を目指した都びとも同じ思いだったろう。そこから川沿いを上流に進めば、吉野離宮があった宮滝や象(きさ)山、三船の山はもう間近だ。

飛鳥古京を流れる飛鳥川の比ではない、スケールを誇る吉野川。"あこがれの大河"、とりわけ六田あたりは川幅も広く雄大な眺めだったようだ。


『 音に聞き 目にはいまだ見ぬ 吉野川 六田の淀を 今日見つるかも 』
作者不詳(巻7-1105)

『 河蝦(かはづ)鳴く 六田の川の 川楊の ねもころ見れど   飽かぬ川かも 』
柿本人麻呂歌集(巻9-1723)


 ともに、うわさに聞いていた吉野川を絶賛。谷を渡り、険しい山を越え、ひたすら歩き続けた旅人にとって、澄み切った流れは心うるおすオアシスだったに違いない。いずれの歌からも感激が伝わってくる。

 さて、この辺りに渡しが誕生したのは、平安時代に入ってからで、大峰参拝の修験者のために開かれた。「柳の渡し」と呼ばれ、その上流に「桜の渡し」、下流には「椿(つばき)の渡し」も。かつて宿屋や茶店が立ち並び、宿場町として栄えた。

 川をはさみ、大淀町側と吉野町側に歌碑や修験道の開祖像があり、渡し場を今に伝える。大淀側は大きな柳が目印。が、すぐ脇に国道があり、風情はない。もちろん渡し船もないが、流れる水は当時のまま、淀みないと信じたい。

 大正8年に架けられた美吉野橋のたもとには役行者像が見守る。きょう26日、アユ漁が解禁される。川一面に釣り糸が垂れ、太公望でにぎわう。

柳の大木

▲柳の大木は大淀町側、六田の渡し跡のシンボル。
こんな風の強いは欠航?

役行者像

▲修験道の開祖・役行者像が見守る吉野町側、渡し跡


写真と文 牡丹 賢治

ページ上部へ移動

グラフ:目次ページに戻る

奈良新聞WEBトップに戻る


 

会社概要採用情報新聞購読出版情報個人情報保護特定商取引法に基づく表示サイトマップ