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国原譜

新緑の鮮やかな平城宮跡に復元された第一次…

 新緑の鮮やかな平城宮跡に復元された第一次大極殿の中に、初めて入った。豪華な朱塗りの天井や、天皇が座る高御座(たかみくら)は立派な出来栄えであった。

 平城遷都を指導した藤原不比等は、宮殿からの眺めをどう感じたか。後の光明皇后の父親でもある不比等の人柄はほとんど伝わっていない。

 「都の造営が完成しないままに遷都を敢行した」(「宮都の風光」千田稔著)のだという。この一点を持ってしても、不比等の政治家としての果断さがうかがえる。

 奈良時代の初め、宮都建設のために民に厳しい労働を強い、一方で災害や疫病も続き、田畑を放棄する人々が続出したという。それでもどうにか、遷都事業を進め律令国家づくりに腐心した。

 その功績を認めてか、朝廷は不比等に禄(ろく)の一種の食封や太政大臣の位を与えようとした。太政大臣は頑として辞退し、5000戸の食封に対して2000戸だけ受けたという。

 「足るを知る」というよりは反感を言わせない抜群のバランス感覚。それと粘り強さ。後世、奈良から不比等を超える政治指導者が出ないのも仕方がないか。(水)

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