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金曜時評

徳勝龍引退 努力すれば花開く - 論説委員 増山 和樹

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 県出身の元幕内、徳勝龍が引退を発表した。年寄「千田川」を襲名、今後は木瀬部屋で後進の指導に当たるという。幕尻からの連戦連勝が「神懸かり的」とまで言われた2020年の初場所優勝から3年。長く幕内で踏ん張り、県民に誇りを持たせてくれたことに、心から「ありがとう」と言いたい。

 

 普段相撲観戦に熱心ではないが、その日は出先の駐車場に止めた車でテレビの大相撲中継にかぶりついた。徳勝龍が大関貴景勝を破った千秋楽の一番。県出身力士の優勝は実に98年ぶり、幕尻優勝も20年ぶり2人目の快挙だった。その瞬間、テレビの前の多くが歓声を上げたことだろう。

 

 180センチを超える巨体もさることながら、徳勝龍を強く印象づけたのは、優勝インタビューで飛び出した「自分なんかが優勝していいんでしょうか」の一言だろう。両国国技館が湧いたのは言うまでもなく、その後に続く「(ファン)に喜んでもらえて良かった」という言葉にも、人柄がにじみ出ているように感じた。

 

 翌2月に奈良市の三条通で行われた祝賀パレードには約1万人が詰め掛け、県民が徳勝龍と喜びを共有できる貴重な機会となった。1年遅ければ新型コロナ禍でパレードの実施が難しかったと思われるだけに、県史に残るパレードが無事行われたことを喜びたい。

 

 徳勝龍は当時33歳。日本出身力士としては最年長の優勝で、体の負担も大きかったと思うが、09年の初土俵以来、休むことなく土俵に立ち、休場は引退を表明した今場所だけだった。幕内は計32場所。番付が下がっても粘り強く相撲を取り続ける姿は、県民はもちろん、多くの相撲ファンを勇気づけたに違いない。

 

 13日の引退会見では、20年の優勝を「自分でもできる。幕内にいれば何かあるんだなと思った」と振り返った。師匠の木瀬親方(元幕内肥後ノ海)が「努力すれば花が咲くということをやってきた男」と評したように、地道な努力と可能性を信じる大切さを日々の取組から教えてくれた。

 

 日本書紀に天覧相撲の記述がある奈良は、相撲発祥の地とされる。その地から出た力士が相撲史に名を刻み、指導者として歩むことの意義も大きい。葛城市には立派な相撲館もある。千田川親方と書くと別人のようで寂しいが、機会があれば地元にも足を運び、県民と触れ合う機会をつくってほしい。

 

 「いい力士に恵まれた」。木瀬親方の言葉は徳勝龍を応援してきたファン、県民の誇りでもある。

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