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奈良と徳川家康【7】 家康は大和を越えた? 伊賀越えに新説 - 上島秀友さん(歴史作家)

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徳川家康の「伊賀越え」で近年、「大和越え」説が提唱されている奈良の地

 今回からは徳川家康の三大危難の一つ「伊賀越え」をみていこう。1582(天正10)年、当時絶頂期にいた織田信長が、京で家臣明智光秀に討たれた本能寺の変。伊賀越えは、堺(堺市)にいた徳川家康が領国の三河(愛知県)へ逃走して難を逃れることで有名だが、近年新説が注目されている。それがその際に奈良県を通ったとする「大和越え」だ。

 

 本能寺の変が起きたのは6月2日。家康は信長の勧めで前日から堺を遊覧。当日は堺を出発して京都に向かう途中、飯盛山(大阪府四条畷市)で変の知らせを受けた。供はわずかで、三河への帰国を決断。現在の京都府京田辺市、同府宇治田原町、滋賀県甲賀市、三重県伊賀市を通り、伊勢湾西岸から海を渡って領国へ。わずか3日間で逃走した―。あるいは同府精華町から伊賀へと抜けた。

 

 通説となったそんな伊賀越えに待ったをかけ、大和越え説を唱えているのは奈良県香芝市の歴史作家上島秀友さん。あまり知られていない多くの史料を丹念に調査した。

 

 戦国時代から江戸時代初期の政治や情勢を記した「当代記」は、「家康、堺に於いてこのこと(本能寺の変)を聞き、大和路へかヽり」と記述。著者は家康の孫で、大和郡山藩主や姫路藩主を務めた松平忠明と考えられている。

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