奈良と徳川家康【6】 家康は験担ぎ通らなかった? - 亀の瀬(奈良県王寺町、大阪府柏原市)
徳川幕府が編さんした歴史書「徳川実記」によると、大坂冬の陣(1614年)で二条城(京都市)を出発し、木津(京都府木津川市)から奈良(奈良市)に入った徳川家康。その後は法隆寺(奈良県斑鳩町)の阿弥陀院に一泊。同寺で戦勝祈願をしたとされ、翌日には住吉大社(大阪市住吉区)に着陣している。
法隆寺から住吉大社まではどの経路で進んだのだろうか。江戸時代に三郷町の安村喜右衛門が残した古文書には、家康の進路に「亀岩」が関係したとする記事がある。亀岩は奈良と大阪の県境の狭あいな渓谷地帯、「亀の瀬」の名前の由来とされる岩だ。
家康が法隆寺から亀の瀬(龍田古道)を越えようとしたところ、亀岩に首がないため出陣に際して不吉と思い、他に道があれば案内するようにと安村喜右衛門に命じた。喜右衛門は川の対岸(南側)に山道を切り開き、家康を案内した―。