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奈良と徳川家康【1】家康が逃げ込んだ? - 山の寺念仏寺(奈良市漢国町) 

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山の寺念仏寺の境内に建つ松平定勝の墓と伝わる供養碑=奈良市漢国町

 江戸幕府を開き、引退後も実権を握った徳川家康(1542~1616年)。2023年には家康が主役となるNHK大河ドラマ「どうする家康」が放送される。奈良にも家康に関わりのある伝承や記録が残るが、家康がピンチに陥った状況の話も。家康ゆかりの伝承や、近年注目を集める歴史的見解を見てみよう。

=原則金曜配信= (竹内稔人)

 

 徳川家康が大坂冬の陣(1614年)の際、木津で真田幸村に敗れて奈良に逃げ、桶屋にあったひつぎに隠れて九死に一生を得た-。

 

 近鉄奈良駅の西側、奈良市漢国町周辺にはそんな言い伝えが残る。1933(昭和8)年刊行の高田十郎編『大和の伝説』には「家康の強運」として収録されている。

 

 江戸幕府が編さんした歴史書「徳川実記」は、同年11月15日、大坂冬の陣で二条城(京都市)を出発した家康一行が奈良に向かう途中、木津(京都府木津川市)で真田方の伏兵の襲撃に遭ったと記す。

 

 一方、家康が敵に追われて桶屋に逃げ込んだ伝承は静岡県浜松市にもあるといい、同町にある山の寺念仏寺の三宅徹誠住職は「史実と伝承が混ざり合ってできた話なのかもしれません」と推測する。

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