常盤御前をかくまった「きしのをか」 宇陀市(1) - 奈良に息づく義経伝説【5】
源義経の母常盤御前は、近衛天皇の中宮九条院(藤原呈子)に仕える下級の女官、雑仕女(ぞうしめ)だった。鎌倉時代の軍記物「平治物語」によると、雑仕女の採用では都の美女1000人を集め、その100人の中から10人を選び、その10人の中の1人として選ばれた。室町時代の「義経記」は「常盤と申すは日本一の美人なり」と評している。
「常盤御前をかくまったという話が代々受け継がれています」。そう話すのは奈良県宇陀市菟田野下野芳の岸岡淳二さん。「義経記」の「常盤都落(みやこおち)の事」の冒頭。「永暦元(1160)年正月17日の暁、常盤三人の子供引具して、大和国宇陀郡きしのをかと云ふ所に、外戚の親しき者あり、是を頼み訪ねて行きけれども…」の記述がある。岸岡家の言い伝えでは、「きしのをか」は名字の「岸岡」のこと。常盤一行をかくまった際、「岸」の一字をもらったという。