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奈良マラソン2021特集 12日号砲

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奈良マラソン再始動

 奈良マラソン2021が12月12日(日)、奈良市のロート奈良鴻ノ池パーク(奈良市鴻ノ池運動公園)を発着点に天理市内折り返しのコースで開催されます。昨年、新型コロナウイル感染拡大予防の観点から大会が中止となりましたが、第12回大会となる今年の奈良マラソンは、規模を縮小しながらも多くのみなさんのご協力によりフルマラソンを開催することとなり、約8000人のランナーが全国から集まりの冬の奈良を走ります。

 

 奈良マラソン実行委員会では、感染症対策を徹底し、質の高い、ランナーの皆様に再び参加したいと思っていただける大会を目指し、12回大会に臨みます。

 

奈良マラソン2019

奈良マラソン2019第10回記念大会 号砲でスタートするフルマラソンのランナー

 

「いつもと違う」大会に 野田 康彦・奈良マラソン実行委員会事務局長

野田康彦 事務局長

 2010年に平城遷都1300年祭のフィナーレを飾るイベントとしてスタートして以来、支えてくださる多くの皆さまのおかげで10回の歴史を重ね、奈良県の一大イベントとして成長した奈良マラソン。昨年は新型コロナウイルス感染症の影響で中止しましたが、今年の開催をどうするか。準備に1年近くを要するため、春先から検討してまいりました。奈良マラソンは、スポーツの振興はもとより、オフシーズンの観光振興、観光以外の産業振興、そして奈良県全体の盛り上がりなど、非常に大きな意義を持ったイベントです。このため、簡単に中止にすべきではないと考え、奈良マラソン救護委員会の医師らとコロナ対策チームを立ち上げ、助言をいただきながら検討を進めてまいりました。


 先が読めない感染症の状況については、ワクチンの一般接種の進行を見込み、一定の落ち着きは見られるであろうと想定し、それを踏まえて、規模や内容を見直した上で、感染症対策を徹底することで開催できると判断し、6月に開催を発表いたしました。当然、何が何でも開催というわけではなく、安全に開催できる状況であるという条件つきです。

 

 8月にランナー募集を開始したところ、県民枠2千人は34分で、また、一般枠6千人についても2時間3分で定員に達しました。奈良マラソンの人気の高さ、コロナ禍で「走る機会」を求めているランナーの強い思いを改めて実感しました。また、ボランティアについても、多数の皆さまに参加申込みをいただきました。新型コロナに関してはまだ予断を許す状況ではありませんが、現在、感染状況は落ち着きを見せ、2年ぶりの開催が叶うこととなりました。

 

 今年の奈良マラソンは、①種目をフルマラソンのみにし、定員も8千人に縮小、②ランナー、ボランティア、スタッフの全員が大会前後2週間の体調・行動管理チェックを実施、③縦横1・5㍍の間隔を保ってスタート、④給水の紙コップに蓋、給食は個包装のみ、⑤主会場ではEXPO中止、ランナー以外の入場を禁止、⑥沿道での密集、声援、ハイタッチ、飲食物提供の自粛など、感染症対策を徹底した「いつもと違う奈良マラソン」になります。無事に成功させ、来年以降につなげていきたいと思っています。皆さまのご支援、ご協力をよろしくお願いいたします。

 

 

感染症対策で安心の大会に

 今回の奈良マラソン大会では、ランナーの皆さんおよび来賓、大会関係者、スタッフなど大会に関わるすべての人の協力のもと、大会2週間前からの体調・行動管理のチェック、当日の検温と「体調・行動管理チェックシート」の提示・提出で健康チェック新型コロナウイルスの感染症対策を徹底して行います。

若草山

若草山を前方に見ながら奈良公園へと向かう

 

体調・行動管理を徹底 下川 充・奈良マラソン2021救護委員長

下川充救護委員長

 奈良マラソン2021は、2年ぶりにフルマラソンを再始動します。11月末現在、新型コロナ感染陽性者は非常に減少しています。しかし南アフリカのオミクロン株出現を含めて、第6波はまだまだ予断を許しません。救護委員会では、これまで「参加者を心停止から守る」ことを使命としていましたが、今年は「関係者全員の命を護る」ためにリスクをいかに減らすかを議論し『体調管理と行動管理を徹底させた全員の協力』が肝要と結論しました。


 新型コロナ感染症のやっかいな点は、発症2日前の無症状期から他者への感染力を持つこと、及びずっと無症状の方も一定数存在すると考えられていることから、陽性者を特定して事前に防ぐことが極めて困難だということです。


 そのため、イベント前の体調管理は当然として、発症の可能性をできるだけ低くする事前の「行動管理」が重要になります。それは日常のマスク、手洗い、密を避けるだけでなく、同居者以外の人との飲食、宴会、カラオケなどの感染確率が高いとされる行動を2週間前から我慢して自粛するということです。さらにイベント後2週間の体調管理による発症チェック、これらを関係者全員が行うことで、ウイルスをイベントに持ち込み広める可能性が限りなく低くなります。またワクチン接種も可能な限りご協力をお願いしています。2回接種後でもブレイクスルー感染はありますが、重症化予防には絶大な効果があると考えられています。

 

 日々の対策として「飛沫(ひまつ)」「エアロゾル」「接触」の三つの感染経路を断つことに加えて、14日も前から行動自粛をすることは厳しいかもしれませんが、これらを全員が実行することで、非常に感染確率の低いイベントが開催できるといえるでしょう。

 

 高齢者や基礎疾患をお持ちの方、医療・介護関係者のみならず、この奈良マラソンに関与する全ての人が、新型コロナについての正しい知識をもって感染対策を行い、体調管理に加えて自らの行動を律し再考するきっかけとなれば、奈良マラソンというひとつのイベントにとどまらず、奈良県ひいては社会全体が新型コロナ陽性者ゼロに向かって大きく前進することと信じます。奈良マラソンが成功し、コロナに負けない社会が一日も早く復活することを切に望みます。

 

 

感染リスクを回避 ご協力をお願いします

 ランナーの皆さんには、スタートラインを越えるまでの不織布マスクの着用や前後左右1・5㍍間隔を取ってのスタート整列を行ってもらいます。レース中の会話やハイタッチの禁止をお願いしています。

 

 給水所では、水道水を止め、全てペットボトルに変更したことや、第3給水所からごろごろ水の20㍑のウオータータンクを設置してのマイカップセルフ給水、第7給水所からは紙コップに蓋を付けるなど対策をしています。

 

 また、給食はぜんざいやそうめんをやめ、柿の葉寿司や柿もなかなど個包装で配布できるものに変更するなどの対策を行います。その他、トイレや給水所等でのこまめな手洗い・消毒をお願いしています。

 

 フィニッシュ後は、マスクを着用、計測チップのご自身での取り外し、完走証のWEB配布、大会後2週間の体調・行動管理の記録をお願いしています。

 

 大会としての感染対策として開催内容を縮小し配布物なども変更・削減しています。

 

 

奈良マラソンコース周辺のみどころ

 奈良マラソンのコース沿道にはさまざまな観光名所があります。奈良マラソンをランナーとして参加される皆さん、少し足を伸ばして奈良や天理を散策してみませんか。ここではほんの一部になりますが奈良散策の紹介をしています。時間がありましたら感染症対策を万全に近隣の観光名所へお立ち寄りください。

天理市の銀杏並木

天理市内の銀杏並木を走る

 

奈良公園

奈良公園

 

 近鉄奈良駅前の東側の興福寺境内から、東大寺・春日大社を経て若草山に至る660㌶の広大な区域は、奈良公園として整備されている。落葉の木々の下、鹿がたむろしている姿は、奈良公園を象徴する光景。

 

 所在:奈良市春日野町ほか

 

 

奈良町(ならまち)

奈良町

 奈良町という行政名はなく、元興寺旧境内を中心とした地域を「ならまち」と呼んでいる。平城京の「外京」にあたり、遷都以来まちづくりが始まり、東大寺や興福寺、元興寺の門前町として栄え、南都と呼ばれた。現在の奈良市の原型となった地域。

 

 鎌倉時代には、大寺院の保護のもとに、市が開かれ商業が発達した。室町時代後半の下克上の風潮で、社寺の支配から離れ、住民たちの自治意識が高まり、町民として自立するようになった。


 安土桃山時代には郡山城の豊臣秀長の支配下になり、興福寺の勢力を恐れて商業に統制を加えたため、一時沈滞したが、江戸時代に入って奈良奉行が置かれると、晒(さらし)や酒などで産業の町として活気を取り戻す。

 

 明治時代には文明開化の波が押し寄せ、牛肉店、洋髪の散髪屋、カステーラ屋などができていた。そして明治22年に町制、明治31年に市制が施行され、現在に至っている。

 

 所在:奈良市中院町周辺

 

 

平城宮跡

平城宮跡

 平城宮は710年に遷都した平城京の大内裏。平城京の北端に置かれ、天皇の住まいである内裏と、儀式を行う朝堂院、役人が執務を行う官衙(役所)から成り、約120㌶を占めていた。文化庁による「特別史跡平城宮跡保存整備基本構想」に基づき、遺跡の整備と建造物の復元が進められており、1998(平成10)年に朱雀門が、2010(平成22)年に第1次大極殿が完成し「平城遷都1300年祭」が開催された。来春には第1次大極殿院南門が完成する。

 

 所在:奈良市佐紀町

 

 

海龍王寺

海龍王寺

 天平時代の原風景を色濃く残している佐保路に1300年の時を刻む寺院。731(天平3)年に光明皇后により創建された。初代住持の玄昉が遣唐使の任期を終えて帰国の途中、嵐に襲われた際、海龍王経を唱えて無事帰り着いたことから、以後遣唐使の渡海安全祈願が行われるようになった。弘法大師も渡海の安全祈願に訪れたと伝えられ、広く旅行、留学の安全祈願の寺院として信仰を集めた。


 創建当初からの建造物である西金堂(重文)や堂内に安置されている五重小塔(国宝)の前に立つと、天平人が見た空、吸った空気を体感でき、その雰囲気を愛する人々が大勢参拝に訪れている。

 

 所在:奈良市法華寺北町897

 

 

正暦寺

正暦寺

 992(正暦3)年、一条天皇の勅命を受けて、兼俊僧正が創建。創建当初は、堂塔・伽藍(がらん)が渓流をはさんで立ち並び威容を誇っていたが、1180(治承4)年の平重衡の南都焼き討ちで廃墟になった。

 

 1218(建保6)年に興福寺一条院大乗院住職の信円僧正(関白藤原忠通の子)が法相宗の学問所として再興し、13世紀初めの建暦年間の頃には、蓮光法師(法然上人の弟子)が草庵を結び、浄土宗の念仏道場になっていた。現在は菩提山真言宗の根本寺院。

 

 境内には菩提仙川の清流があり、その水を使って、清酒が初めて造られたと伝えられ、「日本清酒発祥之地」の碑が建つ。秋には紅葉の美しさから、古人から「錦の里」と呼ばれていた。

 

 所在:奈良市菩提山町157

 

 

石上(いそのかみ)神宮

石上神宮

 石上神宮は、日本最古の神社の一つで、武門の棟梁たる物部氏の総氏神として古代信仰の中でも特に異彩を放ち、健康長寿・病気平癒・除災招福・百事成就の守護神として信仰されてきた。


 平安時代後期、白河天皇は当神宮を殊に崇敬され、現在の拝殿(国宝)は天皇が宮中の神嘉殿(しんかでん)を寄進されたものと伝えている。

 

 石上神宮にはかつては本殿がなく、拝殿後方の禁足地(きんそくち)を御本地(ごほんち)と称し、その中央に主祭神が埋斎され、諸神は拝殿に配祀されていた。明治7年菅政友(かんまさとも)大宮司により禁足地が発掘され、御神体の出御を仰ぎ、大正2年御本殿が造営された。禁足地は現在も「布留社」と刻まれた剣先状石瑞垣で囲まれ、昔のたたずまいを残している。

 

 所在:天理市布留町384

 

 

大和(おおやまと)神社

大和神社

 約2000年前、宮中内にまつられていた日本(やまと)大国魂大神(大地主大神)を主神として創始。朝廷からの信仰が厚く、神社最高位の「正一位」に据えられた。


 勝ち運、知恵の神社として知られ、「戦艦大和」の守護神ともされ、戦艦大和と最期をともにした英霊もまつられている。

 

 所在:天理市新泉町306

 

 

長岳寺

長岳寺

 平安期の824年、淳和天皇の勅願で弘法大師が建立したとされる。最古の玉眼仏の本尊・阿弥陀三尊像はじめ、建造物4棟、仏像5体が国重文指定など貴重な文化財が多数。境内で四季折々の花が楽しめる花の寺(関西花の寺19番霊場)としても名高く、秋の紅葉は古歌に詠まれたほど美しい。

 

 所在:天理市柳本町508

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