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ファッションモデルIVAN しなやかな強さの秘密 - 失敗を数えるより、“一日一褒め

ラジオからファッションモデルIVANさんの明るい声が聞こえてくる。IVANさんの人柄と、時に辛口のコメントが混ざる“ヴァン様”節は、ラジオ番組のリスナーに人気で、担当している曜日には恋愛や人間関係など様々な相談が寄せられるとか。心と身体の性が一致しないことに人知れず悩んだ時期があったというIVANさんに悩みを聞いて欲しいリスナーの想いが伺えます。

Instagramのフォロワーは12万人超。モデルとしては、パリコレクションでメンズファッションのランウェイを歩いた実績があります。また、『マイナビ presents 第27回 東京ガールズコレクション 2018 AUTUMN/WINTER』では、レディースファッションを身にまとい、出演ブランドのステージのトリを華やかに飾りました。そんなIVANさんのプロフィールを見ると、出身には「奈良県」の文字が。奈良の記憶、これまでのこと、そして、これからのことをIVANさんにインタビューしました。

 

 

奈良はおばあちゃんの匂いのする場所

 

―― IVANさんのプロフィールに、出身は「奈良県(国籍:メキシコ)」とあります。奈良で生まれたのですか? 

 



生まれはメキシコ。日本に来たのは8か月くらいの時かな? ママが結婚した人が、日本人とスペイン人のハーフで、その人のお母さま…わたしからいうとおばあちゃんが、奈良の人でした。日本に来て最初は奈良のおばあちゃんのおうちにいました。小学校に上がるまで奈良で、そのあと埼玉に引っ越して、東京と埼玉を行ったり来たりしていました。

―― “小学校に上がるまでということは、5歳くらいでしょうか。奈良の思い出はなにかありますか? 

 



奈良の思い出……ド田舎だったことしか覚えてない(笑) 

あとは……電車で大阪に行っていたのを覚えてるなー。おばあちゃんと。芸能界に入ってからは奈良の会社のCMの仕事もしていましたけど、なぜか奈良の親善大使にはなってないんですよね。オファーくださいよーって(笑) 

―― (笑) 

 



奈良は……たぶん、わたしの中では、ほんとうに落ち着く場所で。なんだろ? おばあちゃんの匂いがするんです。要するにノスタルジックでもあるんだけど、すごく……一番「日本人だな、わたし」って、自分に流れている血を感じる場所ですね。なんか、奈良に泊まったりとか、奈良にお仕事で行ったりすると、ふと思うんです。すごく実家に帰ったみたいな気持ちになるので…おばあちゃん……うん、おばあちゃんの匂いかな……(笑) 

―― 奈良にまだご親戚はいらっしゃるんですか? 

 



もう、おばあちゃんも亡くなって、奈良には全然いないんですけど。だから、ほんとうに、おうち買いたいなって思っています。

―― 家?! 

 



奈良に帰る場所があったら、また奈良から……ね。こう、奈良でファミリーが増えていけばいいなって思うんで。いずれ奈良に住めたらなって、すごく思っていますね。京都でも、大阪でもなくて、やっぱ奈良なんですよね、行きたいの。行くなら、ちゃんと。

―― 少し前の質問に戻りますが、「出身」は、生まれた場所を指すことが多いと思います。生まれと育った場所が違うと、「出身はどこ?」という質問に困ることがありませんか? 

 



わたしはもう一途に「奈良」って言っています(笑)

生まれはメキシコだけど、住んだことがないことを考えると、出身、奈良だよ! って。

うちのお母さんはファンキーな人で、今結婚して住んでいるところはドミニカ共和国なんです。実家がお母さんのいる場所を指すんだったら、今はドミニカって言うしかなくて。そう、だから奈良に家があったら、ちゃんと家に帰れるし。「奈良が実家」と言えるんで。

 

 

 

夢は人前に立つ仕事。でも、モデルは予想外

 

―― IVANさんのお話にはお母さまがよく出てきますね。やはりお母さまの存在は大きいのでしょうか? 

 



すごく大きいです。ママの背中みて、ママみたいになりたいっていうのが、この仕事につくきっかけでもあったから。わたし、小学校5年か6年の時、将来の夢に「スター」って書いていたんですよ。ママはメキシコのマリアッチのランチェラというジャンルの歌手で、ステージは本当によく見ていたんです。素敵だなーとか、かっこいいなーって、いずれそういうことがしたいなとか、淡い気持ち。だから、13歳でアクターズスクール(東京地区)に入ったのは、友達に「IVAN行こう」って(言われて)オーディションに行ったからだけど、変な……根拠もなく受かる自信がありましたね。根本で、やりたいなって思うのが、歌とかお芝居とか、人前に出ることでした。

―― モデルはそのやりたいことの中に入っていたんですか? 

 



子どもの頃はおデブちゃんだったので、モデルはほんっとうに想像してなくて。もう夢のまた夢みたいな。一番自分の中でありえない、できっこないって思っていたことなので。でも、お母さんが多分一番びっくりしたと思いますよ。きっと。まさか! まさか、あなたがモデルになるとは! みたいな。

 

 

―― お母さまからは、他にどんな影響を受けたんですか? 

 



ポジティブなんですよ。うちのお母さん、すごく。だから、ポジティブシンキングになったのは、母親の影響が強いですね。

―― どうポジティブなのでしょう? 

 



とにかく全部プラスにしてくれていました。たとえば“外国人、外国人”っていじめられていた時は、「みんなうらやましいのよ、あなたのかわいい鼻が」とか、「あなたのその彫りの深-くて、おっきい目がお人形さんみたいでかわいいから。みんな、そうなりたいから言ってくるのよ」と。だから、ひねくれないで、まっすぐ伸びたなと思います(笑) 

―― お母さまの話し方は「なぜあの人はこういったのだろう」と、相手の気持ちを考えてみるきっかけになりそうですね。この変換の仕方、今は自分でも? 

 



基本的に、発想を逆転させます。嫌なことがあったりとか、悪いことだったりとか。結果が出せなかったことに対しては、もちろん反省します。でも、わたしは寝る前に自分のことを褒めて寝たいんです。“一日一褒め”したいんです。自分のこと。※読みは「いちにち ひとほめ」

失敗を数えるよりも、“一日一褒め”したい

 

―― “一褒め”とは、どういうことですか? 

 



反省もすごく大事なんだけど、それよりも褒めるんです。わたしは一回ネガティブになると翌日も引きずってしまう。だから、反省はその場でして、家に帰ったら「今日はどんないいことをしたかなー」って思い出します。“バスの席をおばあちゃんに譲った” とか、“今日は一日怒らなかった。よく我慢した”でもいいんです。できるだけ「よくやった!」と。「今日もがんばった! おつかれさまIVAN」って言って、感謝して寝る方がもやもやせず、次の日にすっきりと起きられる気がします。

―― それに気がついて実践するようになったのは、いつ頃からですか? 

 



この仕事をはじめてからかな……。おかげさまで、今でこそ「この仕事は誰かのためになるか」と、自分がやる意味を考えてお仕事ができるようになってきましたけど、若い時は言われたことをただがむしゃらに頑張っていて。なのに、結果が出せなくて自分のことをすごく責めて落ち込んだりしたから。そういうときはもう、自分のことを「これはできたよね」って慰めるしかなくて。そこからだと思います。

―― 自分自身を責めていたのが、段々と慰めるようになり、褒めることに行きついたんですね。

 



バカみたいな失敗して、もう自分なんて消えてなくなりたいと思ったけど、でも、そんな中でも誰かに必要とされていた。一人にでも必要とされているんだから、すばらしいよ! って、ポジティブに、ポジティブに(笑) 一つでも褒めるって大事です。一日一褒めするようになったら、自分のことをちっぽけでも価値のある人間だなと思えるから。

 

 

努力して気づきを得るのは、方程式を解いていくよう

 

―― 気がついて実践していくことって多いんですか? 人間観察して分析するとか……。 

 



観察は好きですけれど、分析はしないですね。気づくことの方が多いかも。「あっなるほど!」っていう。ちょっと数学に近くて、わからなかったものの答えに気がつけた時、「あー方程式解けた」みたいなのはすごくある気がします。

 

―― どういう時に、そういうことが起きるんでしょう? 

 



例えば恋愛だったら、“好きな人とつきあいました。幸せな関係を築けています”とか、お仕事でも、“いいお仕事をして満足感を得られました”という時。欲しかったものが手に入ったり、やりたかったことができたりして、それが自分の努力の結果だったりすると、「なるほどー」って気づくの。

―― 最近も思い出したことがあったそうですが…… 

 



安室奈美恵さんが引退して、気づいたことがあって。小学校の頃から、「将来の夢は“安室奈美恵”」っていうのがあったんです。結果、アクターズスクールに入り、一歩近づけた。でも、その時はまだメンズだったし、そこで初めてわかったわけです。“安室奈美恵”になれないんだって。アクターズに入って、得たものはダンスと歌い方とか、リズム感とか。モデルになれるなんて思ってなかったのに、努力して「そっか! 痩せればモデルになれるのかー」って、答えが見つかった。モデルになったら、安室さんのPVに呼ばれて、初めて共演ができて。「同じ世界で生きることはできるんだ」って思った。「そっか、じゃあメンズモデルでがんばろう」…ってなったけど、うん、女の子にはなれなくなっちゃう。じゃあどうしようとか。なんかほんとにねぇ。難しいんですけど。

 

わくわくしているから、全力で挑める。そして次のステージへ     

 

―― 一歩進んでは答えが見つかって、また歩んで……を繰り返してきたんですね。

 



この形がIVANっぽいのかな。

女の子にならないと女の子のつらさとかわからないし……なんかとりあえずやってみようとか。だから性転換も、結構みんなに「怖かったでしょ」とか「大変だったね」と言われるんですけど、わたし、わくわくしかなかったんですよねー。やっと、本来の身体に戻れるみたいな。パーティー開きたいレベル。

 ―― こわいって思う時はないんですか? 

 



IVAN論では、「こわい」って思う気持ちがあると、100%で挑めないんです。たとえば初めてテレビに出演した時もそう。わたしの中で“こわい”って“わくわく”だから、100%で自分の話ができたし、自分が持っている武器というか、存分にIVANを出せた。多分、びびってたら、こわくてちょっと自分を作っちゃうし、あそこで(トランスジェンダーだという)カミングアウトもできなかった。今のIVANはいない気がするんですよね。

 

 

 

―― IVANさんからは充実というか、居たい場所を見つけたのかなという印象を受けます。 

 



……たぶん、一人の人間として当たり前の愛を、ようやく感じられているからなのかなって思います。報道があったじゃないですか、わたし、彼と。それは別に狙ったわけでもないし、人がどう見ているのかはわからないですけど、わたしと彼は、お互いただ男女で、有名人で、報道されたっていう意識なんです。一人の女性としての居場所を見つけたなっていうのは、ここ1、2年、めっちゃ感じますね。ほんとに。まだ性別適合手術をする前っていうのは、自分の……なんか……魂と、体と、あと社会的地位みたいなものの居場所が分からなくて、ひたすら浮遊霊みたいな(笑)

―― ふわふわと漂っている感じ…… 

 



ここ1年くらいで、ようやく自分の中でちゃんと落ち着いて。ちゃんと、気持ちがそこに、とんって座っているから、今度は仕事に意欲がわいてくるんですよ。もっと仕事したい。もちろん、彼にも仕事、いっぱい頑張ってほしいけど、わたしも、すごく頑張りたいなって思っていて。次のステージに行かなきゃって思っています。

―― 次のステージというと、どういうことをしていきたいと思っているんですか? 

 



もっと、お芝居いっぱいやりたいし、本も出したいし。

3年位前まではバラエティタレントで、「オネエ」っていう枠ですごくたくさんお仕事させてもらいました。けれど、それは賞味期限があるものだと思っていて。おいしい時期をどう料理し、期限が切れてしまった時には捨ててしまうのか、違う方法でおいしく食べてもらうのか。みんなが通る道だけど、めっちゃ分かれ目で。

―― はい。

 



日本のバラエティやエンタメは「おもしろい」や「笑える」が求められていると感じます。でも、わたしにはたぶんその才能はなくて。わたしの真の才能は「魅せる」とか、「魅了する」っていうことだと思っているので……。なにが得意で、なにが得意じゃないとか、なにをすると笑ってもらえるのかは、13歳からこの世界にいて、34にもなるとわかってくるので。でもすごく面白い世界にいるなーって、どんどんどんどん変化していけたら…たのしいなあと思いますね。

―― そう思うようになったのには、なにかきっかけがあったんですか? 

 



子どものころは、自信がなくて収まろうとしたんですよね、ちっちゃいものに。「いいや、これで」とか、「自分から発信するのは、聞かれたらでいいや」とか。

でも、わたしの中でラジオの仕事が大きくて。その(出演している)曜日は人気があるとスタッフさんに教えてもらったり、リスナーからメールがたくさん来ていたりするのを見ていると、なにか形にした方がいいんじゃないかと考えだしますね。

―― それがお芝居や本という形なんですね。 

 



発信していくことが、自分の役割なんじゃないかなーって、ちょっと思いはじめて。しゃべって、それが人の心に届くんだったら、もっとそういうことしたいなーとか。お芝居もそうですけれど、人の心に残るお仕事をもっともっとしていきたいなっていうのが、今はめっちゃありますね。

―― 今の仕事では“しゃべる”ことも多いですが、相手の心に届くように言葉の選び方や伝え方の強弱は意識しているんですか? 

 



この人にはこのくらい言おうとか、ちゃんと距離保とうとか、傷つけないようにしよう、でも言いたいことははっきり言うっていう強弱は、ちゃんと自分の中で計算していますね。それがないと“ただ傷つけるだけ”とか、“ただ頭ごなしに説教するだけ”になっちゃうから。

たぶんラジオでわたしに求められているのって、飴と鞭だと思うんです。リスナーさんからのメールには、その人の悩みや特徴がしっかりと出ているんです。笑いは求められていないから、ちゃんとその人の心に伝わるように、しっかり考えて、心を込めてお話しています。

 

 

年齢は期限にしない

 

―― 次のステージに進んで、人の心に残る仕事をもっとしていきたいということですが、“いつまでに”という目標はありますか? 

 



みんなビジョンを持っていて、“いくつになるまでにどうなっていたい”っていうのがあった方がいいって言うんですけど、わたし、ないんですよね。全然。

もちろん、“こうなりたい”ということは漠然とありますけど、“いくつまでに”とか、“なになにしなきゃ”っていうのはないんです。

―― それはなぜですか? 

 



わたしはすべてタイミングだと思っているので。自分の年を考えて、何歳までになにしようという期限を決めちゃうと、結局それに向かって必死になっちゃう。自分が設けた期限が迫ってきて焦ったりすると、顔が怖くなる気がするんです。

――年齢は気にしないんですね。 

 



わたし、自分の年を忘れちゃうんですよ。最近、特に。友達と話していても、あれ? IVANいくつだっけ? って(笑) パートナーの人は、一切、年を気にしたことないとか言ってくれるし。お仕事でも、人間関係でも、その場に自分が行き、遭遇して、初めてそれと向き合う。その時にちゃんと自分で解決していきたいなって思って。走っていてその壁が来たら、それを越えるっていう動きをすればいいだけ。自分から焦ってその壁にぶつかりに行こうとは思わないので。

―― “いつまでに”っていう期限は、壁に見えるんですか? 

 



壁! わたしには。ナチュラルに生きていたい人間なので……。わたしは32(歳)くらいでようやく、ちょっと落ち着こうかーってなったんですね。それまではがむしゃらだったので。

―― “がむしゃら”にやってきたからこそ、気がついたことはありますか? 

 



結局、絶対に経験することだから。わたしは20代前半の頃は、パリコレに行きたい、歌も出したいとか、あれしたいこれしたいで必死にいろいろやっていたけど、今の年齢になって気づくのは、自然体でいて、自分を信じて芯を曲げないでいれば、結局やりたいことはできるということ。「やろう」と思っていれば。

 

 “それまで気づいていなかったことがわかった時”の感覚を「方程式が解けたみたい」だと教えてくれたIVANさん。インタビューでは問いに対し、比喩を用いたり、実際経験したことを話してくれたりと、どう言えば伝わるのかを、ものすごく考えてくれていると感じました。ラジオのリスナーだけでなく、Instagramなどでも悩みを打ち明けられたり、相談されたりすることが多いというのにも頷けます。IVANさんが自分の中で「なぜなんだろう」という問いかけを繰り返しながら、大小さまざまなことに向き合い、乗り越えてきた蓄積。その経験から生まれる思いやりがありながらも辛口の、少し耳が痛いこともあるコメントだからこそ、聴く人の心に届き、悩みからの抜け出し方に気づくことができたり、励まされたりしているのではないかと思いました。

 

自分が健やかにいるためにはどうすればいいのか。もっともっと、いい仕事ができるようになるためにはどうすればいいのだろう。失敗や反省をたくさんしてきた中から生まれた“一日一褒め”が、IVANさんのしなやかな強さの源泉なのかもしれません。

 

IVANさん、本日はありがとうございました! 

 

 

 

 

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