前行を含め1カ月にわたる東大寺のお水取…
前行を含め1カ月にわたる東大寺のお水取りは、ひときわ大きな籠たいまつが二月堂に上がり、終盤を迎えた。11人の練行衆(れんぎょうしゅう)は、満行の15日未明まで、昼に夜に人類の平和を祈り続ける。
昭和20年3月13日深夜、行に励む練行衆に空襲警報の知らせが入った。大阪に初めて大空襲があった夜で、明かりが漏れないよう、二月堂の扉を目張りして行を続けたという。
爆撃は翌14日未明まで続き、きょう13日で77年を迎えた。一夜にして約4千人が犠牲になったとされ、大規模な空襲は終戦間際まで続いた。
二月堂に隣接する法華堂に焼夷(しょうい)弾が落ちたら行中でも消火に行くのか、この年のお水取り前にはそんな相談もしたと、同寺の故橋本聖準長老がインタビューで明かしている(小学館「東大寺お水取り」)。
法華堂はもちろん、焼夷弾は二月堂に落ちる可能性もあった。行の継続には相当な覚悟が必要だった。
奈良時代以来、途切れることなく続いたお水取りと共に平和があり、平和があるからお水取りがある。ウクライナの惨状を前にそう考えた。(増)