国原譜
一昨日の14日は「鉄道の日」だった。明治…
一昨日の14日は「鉄道の日」だった。明治5(1872)年のこの日、新橋~横浜間で日本で初めての鉄道が開通したことを記念したものだ。
新橋といえば、テレビ中継で必ず登場する名所。SL広場前は、会社員らのインタビューでおなじみの場所である。いまだにその名が全国に知れ渡っているところが面白い。
偶然だが、この日の弊紙投書欄「みんなの広場」のテーマは「鉄道の思い出」だった。時刻表、貨物、SL、ディーゼルカー(気動車)、大仏鉄道など、投稿者のさまざまな思い出話がつづられていて興味をひかれた。
筆者が佐賀県に住んでいた小学校3年生のころ、親の実家からの帰途、長崎から家族で気動車に乗った。車内は超満員で、押しつぶされそうになっていた。
するとそれに気付いた運転士さんが、私と弟を運転室に入れてくれた。列車に酔うこともなく、無事に帰り着くことができた。今では考えられない旧国鉄時代の、ありがたい思い出だ。
コロナ感染も、かなり収まってきて、旅に出る人たちも増えそうだ。いい旅の思い出ができるよう願っている。 (恵)
新橋といえば、テレビ中継で必ず登場する名所。SL広場前は、会社員らのインタビューでおなじみの場所である。いまだにその名が全国に知れ渡っているところが面白い。
偶然だが、この日の弊紙投書欄「みんなの広場」のテーマは「鉄道の思い出」だった。時刻表、貨物、SL、ディーゼルカー(気動車)、大仏鉄道など、投稿者のさまざまな思い出話がつづられていて興味をひかれた。
筆者が佐賀県に住んでいた小学校3年生のころ、親の実家からの帰途、長崎から家族で気動車に乗った。車内は超満員で、押しつぶされそうになっていた。
するとそれに気付いた運転士さんが、私と弟を運転室に入れてくれた。列車に酔うこともなく、無事に帰り着くことができた。今では考えられない旧国鉄時代の、ありがたい思い出だ。
コロナ感染も、かなり収まってきて、旅に出る人たちも増えそうだ。いい旅の思い出ができるよう願っている。 (恵)