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金曜時評

登録へ大きな一歩 - 論説委員 増山 和樹

 日本人の原風景といわれてきた地域が、世界遺産登録に向けて大きく動き出した。県は3月、「飛鳥・藤原の宮都とその関連資産群」の推薦書案を文化庁に提出した。早ければ令和6年7月の登録を目指すという。

 文化遺産の登録は、ユネスコの諮問機関、イコモスの評価が鍵を握る。審査の基礎資料となるのが推薦書で、内容に基づき現地調査も行われる。藤原宮跡が広場として保存されているように、飛鳥・藤原は地中に埋もれた遺跡も多く、価値をどのようにアピールするか、県をはじめ、登録を目指す地元自治体は頭を悩ませてきた。

 推薦書案によって国の枠を超えた飛鳥・藤原の価値や構成資産の内容が固まり、県の担当幹部が言うように、世界遺産の日本代表候補として名乗りを上げた。国の文化審議会の審議を経て正式な推薦書となるが、登録への大きな一歩と言えるだろう。政府がユネスコに推薦書を提出すれば、諮問を受けたイコモスが現地調査、評価結果を勧告する。

 ただ、イコモスの勧告に涙をのんだ世界遺遺産候補は少なくない。「武家の古都・鎌倉」は平成25年に不登録と勧告され、政府は推薦を取り下げた。「平泉」は平成20年に登録延期勧告を受けて再出発、構成資産を見直すなどして3年後に登録を果たしている。

 飛鳥時代は推古天皇が豊浦宮で即位した592年に始まるが、藤原京の時代を含めても、平城京に都が移るまでの100年余り。平城京は既に世界遺産で、飛鳥・藤原が単に先んじる時代と捉えられると、登録は厳しくなる。県は飛鳥・藤原を東アジアとの交流を通して日本に「国家」が生まれた大変革の時代と位置づけるが、推薦書案はほんの入り口に過ぎないのかもしれない。

 忘れてならないのは、明日香村の景観が、村民の生活と一体で守られてきたことだ。開発行為が法律で厳しく規制される一方、暮らしを守る手だても講じられ、遺跡を包み込む農村風景が守られてきた。それでも産業構造の変化で経営耕地面積は昭和55年(約500ヘクタール)の半分以下、農業人口も3分の1ほどになっている。

 登録が実現した後、その価値を維持するには住民の理解と協力が必要だ。暫定リストへの記載から13年が過ぎ、「飛鳥・藤原を世界遺産に」のスローガンが色あせたのは否めない。価値を共有するためにも、地元の盛り上がりを醸成しつつ、登録への動きを加速させたい。

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