特集2024年春の高校野球奈良大会速報

国原譜

奈良時代に天然痘が猛威を振るったことは…

 奈良時代に天然痘が猛威を振るったことはよく知られている。流行は大きく2期に分けられ、第1期にあたる735(天平7)年には、日本書紀を編さんした舎人(とねり)親王ら天武天皇の皇子が2人も犠牲になった。

 小康状態を経て737年に再び大流行し、政権中枢にいた藤原4兄弟が、4月以降のわずか4カ月で先を争うように他界した。

 このときの天然痘は帰国した遣唐使や遣新羅使が持ち込んだ可能性が高く、現代の感染症を想起させる。本土の土を踏めずに帰路で亡くなる大使もいた。

 都の人々は姿の見えない病魔と向き合い、奈良大学の渡辺晃宏教授は、平城京で出土した木簡の一つに注目する。

 災いの退散を願う呪符とされ、南山の麓に住むといわれる大蛇に「唐鬼」を平らげてほしいと願っていた。736年、聖武天皇は吉野に出掛けており、南山が吉野山とすれば、この行幸が天然痘調伏(ちょうふく)の意味を持っていた可能性があるという。

 天然痘は根絶されたが、新型コロナという鬼を調伏させる特効薬まだない。「3密回避」が当面の最も有効な呪符となる。(増)

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