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金曜時評

涙と笑い「全国区」 - 編集委員 辻 恵介

 徳勝龍関が、奈良県出身力士で98年ぶりという歴史的な初優勝を決めた千秋楽から10日以上過ぎたが、その感動の余韻は今も残っている。1日に帰郷してからは県内各地や母校で、郷土のヒーローの凱旋を待ちわびた人々との交流の輪が広がった。

 天理市内の後援会、奈良市内、初場所中に急逝した近畿大学相撲部の恩師、伊東勝人監督の墓、出生地の高取町・高取幼稚園、小学2年生から通った橿原市の新沢小学校、母校の近畿大学(東大阪市)などゆかりの場所を訪れて優勝を報告し、喜びを分かち合った。

 徳勝龍関は昭和61(1986)年8月22日、高取町生まれ。出産時の体重は3860グラム。わずか半年後には10キロに増えていたというから、力士になるべくして生まれたかのようだ。

 幼稚園時代の制服や体操着は特注。巨体で三輪車を壊してしまったというエピソードも。お姉さんは「体も心も大きい。正義感のある弟だった」と幼い頃を懐かしむ。当時、預かり保育を担当していた先生も「小さい子をおんぶしてお世話をするなど、すごく優しい子だった」と振り返っている。

 その優しさは、厳しい勝負の世界では、なかなかプラスに作用しなかったのかもしれない。近大を卒業後の入門から11年。身長181センチ、体重188キロという恵まれた体格を十分に生かしきれず、幕内と十両を行ったり来たりの苦しい場所が続いていた。

 しかし、今場所は近大の恩師の急死以降、取組での目つきが変わり白星を重ねた結果、栄光をつかんだ。一時期お世話になった大横綱・北の湖親方(故人)からの「お前は左四つ」との助言は、千秋楽結びの一番という初めての大舞台で「左四つでの寄り切り」という決まり手に結び付いた。

 勝ち名乗りを受ける時の涙、優勝インタビューでの涙だけでも共感を呼んだのに、関西人らしく笑いのツボを押さえたスピーチは全国の相撲ファンらを一瞬にして、とりこにした。人々は“徳勝龍劇場”の観客となり、「記録にも記憶にも残る力士」となった。

 今回の初優勝は相撲発祥の地、奈良をアピールする絶好の機会だ。三月場所(大阪)後の地方巡業で、3月30日開催の「桜井場所」も大変なにぎわいとなりそうだ。

 三月場所では、番付も前頭の上位あたりが予想され、横綱・大関陣との対決も待っている。これまで休場なしの鉄人、徳勝龍関には万全な体調で、さらなる精進を重ねて、わが道を突き進んでほしい。

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